第九話 戦闘

 無機質な空間に入った。

 やはり、俺はその空間を動く事ができる。

 恐る恐る豪鬼を見た。思っていた通り豪鬼は止まったまま動かない。

 その顔は殺意に満ちているが、視線が俺を追ってくる事ない。

 安心した瞬間、ふぅ……と勝手にため息が出てきてしまう。

 しかし、悠長にしている時間はない。この空間は僅か一分ほどしかないのだ。


 俺は豪鬼に近寄り思いっきりパンチを繰り出した。


「おりゃ! おりゃ!」


 今までの鬱憤を晴らすように殴り続けるが、なんの反応もない。

 まるで効いていないようだ。

 考えてみれば当たり前だが、この空間にきたところでそもそもの戦闘力が違いすぎるのだ。

 この空間で動ければ勝てると思っていた甘い自分を殴り飛ばしたい。

 

 全く効果のない攻撃をしていると、あの音が聞こえてきた。


―――――――――

 ピッ! ピッ!

―――――――――


 前と同じなら、この後に少し大きな音が流れて豪鬼が動き殴りかかってくるのだろう。

 俺は豪鬼を殴る事をやめて冷静に考える。


 このままだったら殴り飛ばされてしまうだろう。

 攻撃を一発食らったらアウトなのだ。

 ならば、攻撃を避けるしかない。

 昨日も受けたが豪鬼のパンチは恐ろしく早い。殴る動作を見てから動いたのであれば避けることはできないだろう。

 そのためには何処に攻撃してくるか読まなければいけない。

 こいつが狙いそうな場所。

 ……


―――――――

  ティン!

―――――――


 くる!?

 豪鬼の体が消えると、一瞬で俺の目も前に立っている。大きな体躯をねじりながら、俺に向かい拳を振り上げた。

 こいつが殴りそうな場所。それは俺が昨日、殴られた所だ。痛めつける為にならば前の傷を狙う筈だ。

 これは、勘だった。それでも賭けるしかない。俺は顔を豪鬼の攻撃モーションが始まると同時に顔を横にずらした。

 びゅうと風の切る音と共に豪鬼のパンチが頬を掠った。

 わずかな空気の流れが俺の顔に当たる。その衝撃波は真空の刃を生み出して頬に切りきずを作る。当たっていたら死んでいたかもしれない。それほど容赦のない一撃。

 それでも、致命傷の一撃は避ける事ができたのだ。

 安心して床に倒れた。


 恐る恐る豪鬼の方を見る。

 無理な体勢で硬直していた。

 その顔には驚愕の表情がぺったりと張り付いていた。

 無理な体勢をとっているのは避けられるとは思っていなかったから、思いっきり動いたからだろうか?


「ふぅ……」


 攻撃を回避できて安堵のため息が自然と出てくる。


 ただ、このままやり続けていてもジリ貧だ。

 俺はあいつから一発貰えばこの空間から追い出される可能性もある。


 唯一の勝機は今しかない。

 体勢を崩してバランスが悪くなっている今なら!


 俺は豪鬼の身体を、渾身の力を最後の一滴まで振り絞って豪鬼の身体を窓に向かい押し込んだ。


「ウオォぉぉぉ!!!!! お前なんか! 消えっちまええええ!!!!!!」


 体格差があるため、悠々とはいかない。

 こいつから受けた屈辱を!

 次のチャンスはないと言う焦りを!

 良いギフトを持ちながら自堕落な所為でこの最底辺の所にきた嫉妬を!

 今までの情けない自分を捨てる勇気を!

 

 全てを吐き出すように力を込める。

 すると、バランスが悪かった豪鬼の身体が少しだけ動いた。


 最初が動けばあとはすぐだ。

 慣性に任せるように豪鬼を押していく。

 俺は豪鬼の体をさっきこいつが机を投げ捨てた時に割れた窓の外へと放り投げた。

 豪鬼の体は重力に逆らうことなく、窓の下へと落下していく。


―――――――――――――

  ピッ! ピッ!

―――――――――――――


 あの音だ!

 ……一抹の不安が俺の脳裏をよぎった。もしかしたら、この後、豪鬼は再び俺の目の前にはくるかもしれない。

 次の攻撃は避けられないだろう。

 俺は殴られる覚悟を決めて、目を閉じて、その時を待っていた。


 ――だが、そうはならなかった。


 空間が歪み始めて、俺は元の世界へと戻っていく。

 無機質な空間に閉じ込められる前と違い目の前に豪鬼はいない。

 やった!


―――

――


 クラスメイト達は何が起きたのか理解できなかった。

 いつもいじめられてる一人の少年が突然、豪鬼に口撃を仕掛けた。それも豪鬼を罵倒する内容だ。いつものように殴られてしまうのだろうとそう思っていた。

 しかしそうはならなかったのだ。初めの驚きは豪鬼の繰り出したパンチを避けた事だ。

 何度も豪鬼のパンチ受けて吹き飛ぶ姿を見ていただけに、回避したと言う行為は不思議でならなかった。

 そして、今教室にみえている光景は、予想もしていなかったものだ。

 教室に一人立っているのは少年の方だったのだ。豪鬼の姿がない。

 皆も不思議な顔を浮かべてしまう。


「アァァァァァアアアアア!!!!! クソクソ!!!!! テメェ!!!! てめぇ!!! ポチいいい!!!! アアアァァァァァア!!!!!!」


 すると、窓の下から絶叫する声が聞こえきた。

 男の絶叫だ。しかし、その声が聞こえてきた時間は長くない。

 直後、ドシャ!!と言うなにかが潰れる音が聞こえてきた。

 嫌な予感がした美沙は窓の方に掛けていき、下を覗き込んだ。するとすぐに青い顔をしながら「豪くん!?」と叫び、何人かの女子を連れて慌てた様子で教室の外へ出て行ってしまう。


 美沙を見ていた一人のクラスメイトが同じように窓の下を覗きこんだ。そして、


「お、おい! 豪鬼の奴が地面に落ちた! 手足がありえない方向を向いてぐちゃぐちゃになってやがる!」


 その言葉を変わりきりに皆が窓から顔を乗り出して下を見る。

 鉄人も予想外だったが教室の中には歓声が轟いたのだ。


「何あれ? 何あれ? なんでクソ豪鬼の奴はおんなことになってんの??」

「わかんねー! けど、すげースッキリした!!! あのクソッタレ、ザマァみろ!!!」

「あいつこの高さから落ちてもまだ生きてるんだな……ゴミがあって助かったじゃねーかwしぶてー。めっちゃピクピク動いてやがる。」

「あっ、女子達は救護されてやんの。」


 豪鬼への恨み辛みが溜まっていたのは俺だけじゃない。

 傍若無人のあいつには皆が辟易していたのだ。


「おっ、おい!? お前がやったのか?」


 先ほど、豪鬼にぼこぼこにされれていた初めて話す名前も知らないクラスメイトが俺に声をかけてきた。この状況ならそういう判断するのも間違いないだろう。

 だが、俺はなんて説明していいかもわからないし、そもそもおばちゃん以外とまともなコミュケーションなんて取ったことはない。同級生相手にどんなコミュニケーションを取ればいいかなんて知らなかった。

 何をどこまで話せばいいのか分からず、肩をすくめながら、

 

「知らないね。あいつゴリラだから、勢いあまって勝手に落ちただけじゃないかな?」


 と、淡白な答えを口から出ていた。

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