ものさし

ねこでした。

ものさし

「あの、水上さん、このあとちょっと時間もらってもいいですか?」


 更衣室で着替えているといきなり話しかけられた。いったん手を止めてそちらを見るとバイトの同僚である斎藤だった。白い襟付きブラウスに黒いサスペンダー付きのスカート。モノトーンでまとめた見た目はかわいらしいが、どうみても地雷系ファッションというやつだった。正直言って苦手なタイプだ。今までほとんど話したことないのにいきなりなんだろう、とびっくりしてすぐに言葉が返せなかった。


「すみません、急だったので忙しければ全然断ってもらっても……」


「ああいや、大丈夫。特に予定もないから」


「ほんとですか! 相談に乗って欲しいんです」


 今日まで事務的会話しかしていない私が相談に乗ったところで助けになるとは思えないが、とりあえず聞くことにした。バイト先のコンビニから近場のカフェへ移動する。店内には人がまばらにいた。人に話を聞かれたくないようで斎藤は奥の角席に座った。


「好きなもの頼んでください」


「え、いいの?」


「はい! ぜひ!」


「じゃあお言葉に甘えて」


 アイスコーヒーを注文させてもらう。おごってくれるのはありがたいけど、嫌な予感も増した。どんな相談なのか少し気が重くなる。面倒なことじゃなければ良いんだけど。


「……水上さんが霊感あるって話、ほんとですか?」


「えっと、なんで?」


「店長から聞いたんです。夜勤してるとき、深夜ですかね多分。お店にかかってきた電話を取ろうとした店長を止めたとか。覚えてますかこの話?」


 ああ、今の今まで忘れてたけど言った気がする。あのときは夜も遅いし疲れてたから、つい口走っちゃったんだ。普段なら霊感アピールなんて絶対しないのに、やらかした。

 しかも店長あのとき結局電話取ったんだよね。客商売だから電話無視するわけにもいかなかったのかもしれないし、私が止めたのを冗談だと思ったのかもしれない。実際のところはわからないけど、店長は電話を取ってしまった。水音と女の人が遠くの方で笑っているだけの意味不明なものだったらしい。まあ大したことなくてよかった。


「あーそれは本当。その話し持ち出すってことは、なんていうか、変な話なの?」


「はい、すごい困ってて。最近この近くに引っ越したんですけど、出るんですよ」


「出るって、斎藤さん視える人なの?」


「わからないです。こんなこと初めてで……」


「話聞くことはできるけどさ、私も人よりほんの少し視えるだけだから力になってあげられるかわからないよ。というか何もできない可能性のが高いと思う」


 実際、私は霊能力者ではない、ただの一般人だ。どうにかしてくれなんて言われてもどうしようもないのでけん制じゃないけど、頼りにしないでくれと伝えるのは間違いじゃないはず。


「聞いてくれるだけでもいいんです」


「じゃあ、聞くだけなら……。それで具体的にどう困ってるの?」


「ポルターガイストって言うんですかね、部屋の電気が勝手に消えたり、テレビが砂嵐になったり、物が落ちたり。もうひどいんですよっ!」


「うわあ、典型的というかなんというか」


「あと一番嫌なのが髪の長い女の人がずーっと窓際でうつむいて立ってるんです。窓の外の方を向いているからいつも後ろ姿しか視えないんですけど……」


「けど?」

 

 言葉が詰まった様子で口をもごもごとさせている。


「いつかこっちを振り向くんじゃないかって」



 私が帰宅しようと駅までの道を歩いていると、足音がぴったりとついて来る。正体はわかっている、斎藤だ。帰り道が違うのなんなんだ一体。

 

「えーとさ、なんで着いてくるの? 悪いけど助けになれそうにないって言ったよね?」


「話してたら怖くなってしまいまして……」


「うん」


「泊めてくれませんか?」


「はあ!?」


「お願いします! 怖いんです!」


「えー、あー、んんん」


 正直めんどくさいので断りたい、そもそも人を家に入れるのも好きじゃないし斎藤にいたってはほとんど他人だ。ちらりと横目で見ると捨てられた子犬のようなうるうるした目で私を見ていた。さっきの話を聞いているときもだいぶ精神的に参っている様子だったし、本当に困っているようだ。どうするかなあ……。あまり関わりたくはなかったんだけど。


「……わかった。今日だけね」

 

「いいんですか! ありがとうございます!」


 はあ、なんて優しいんだ私って。

 

 

「おじゃましまーす」


 脳天気なあいさつに連れてきたことを今になって後悔した。リビングを素早く片付けてから招き入れる。へーとかふーんとか言いながら部屋の中をきょろきょろ観察するのはマナー違反じゃなかろうか。なぜ自分の家で私が居心地悪い思いをしなきゃならないんだ。


「斎藤さんお風呂はどうする? 着替えないでしょ」


「あ、下着だけ持ってきました」


 着替えまで持ってきてるとか端から私の家に来る気まんまんだったってことか。ちゃっかりしてるなあ。


「ジャージでよければ貸すけど」


「何から何まですみません、助かります」

 

 斎藤をお風呂に入らせて、一息ついたところで斎藤が住んでるアパートで起こっている現象について考えを巡らせる。

 住んだ当初は何もなかったらしい、しばらくしてから気配を感じたり、変な物音が聞こえたりと不自然な現象が気になり始めたという。それからだんだんとポルターガイストが酷くなっていき、この数日でついにはっきりと女の人が視えてしまったと言っていた。次にどうなるかはわからない。実害に及ぶのかもしれないし、何も起こらず今のままかもしれない。やっぱり考えてみても実害のないうちに引っ越したほうがいいくらいしかアドバイスできることもなさそうだ。


「引っ越し、ですか……」


「うん、得体のしれないものをどうにかするより自分から離れたほうが安全でしょ」


 お風呂上がりの斎藤に考えを告げる。まあ、無難だろう。


「えーとそのう、金欠で」


 斎藤はそう言って苦笑した。お金の話には口を挟みづらい。私は十分な額仕送りしてもらっているから、バイトは斎藤と違ってガッツリ入っているわけでもない。とはいえ身の安全を第一にしたほうがいいのに、と口には出さず内心でつぶやいた。


 私がベッドで横になり、斎藤が隣で床に布団を敷いているときだった。


「明日の昼、うちに来てくれませんか?」


「えっやだ」


 私は反射的に言った。


「ちょっとだけでいいんですけど」


「いやあ私が言ったところで何の役にも立たないから……」


「そこをなんとか! 来てくれたら叙々苑おごります!」


「お金ないのにどーやって?」


「……出世払いで」


 コンビニバイトの出世払いか……。斎藤の目には今まで見たことがないくらいの必死さがうかがえる。


「私さ、幽霊とかそういうの怖いし関わりたくないんだよね」


「でも水上さんって普段から視えてるから慣れてるんじゃないんですか?」


「んーん、全然慣れないよ。それに私ってそこまで視えたり感じたりするわけじゃないんだ。私のチャンネルって少ない方でさ、幽霊に慣れちゃう人はそのチャンネルが多くて私たちとは全く違う世界で生きてるんじゃないかな」


「チャンネル、ですか?」


「うん、テレビのチャンネルみたいにさ。受信できるチャンネルには個人差が合って、対応したとこの霊しか視えないんだよ」


 斎藤はぽかんとした表情を浮かべている。やばい、突然スピリチュアルな話する変な人みたいになってるかも。急いで訂正を入れた。


「あ、これ全部先輩の受け売りなんだ。私なんかよりいろんな物が視える人で、霊能力者って言葉がふさわしい人だったよ」


「そうなんですか。……ッ! その人に連絡取ってもらうことはできませんか?」


「それは無理」


「そんな、どうしてですか。知り合いなんですよね」


「無理だよ。もういないんだから」


 先輩はとても立派な人だった。両親以外で唯一尊敬できる人だったかもしれない。でもあまり思い出したくはなかった。思わず涙があふれそうになり唇を噛みしめてこらえる。私の体質を理解してくれたのは先輩だけだった。幽霊が視えるなんて誰も信じないし、不思議ちゃん扱いされるか馬鹿にされて終わり。そんな中で親身になり寄り添ってくれたのを覚えている。不器用で口下手だけど、困っている人がいたら助けようとしちゃう人だったな。


「はあ……わかった、行くよ。行ってあげる」


 斎藤は目を輝かせてお礼を言ってきた。なんだか雨が上がって散歩行けるとわかった犬みたい。


 次の日、私たちは斎藤の住んでいるアパートへ向かった。幸い私の家からそこまで遠くはなく1つ隣の駅から歩いていける距離だった。アパートは私の想像と違って真新しさを感じさせる造りだ。斎藤は二階の一番奥、角部屋に住んでいるらしい。まだ昼時ということもあるのか、変な雰囲気は全く感じられない。

 斎藤の部屋を目指して歩いていると、廊下を掃除している大家さんと出会った。感じの良いおばちゃんといった見た目をしている。二人がなにやら仲よさげに会話しているのを一歩離れて見ていると、斎藤が私のことを紹介しているようだったので会釈だけしておく。


「いい人そうだったね」


 そうなんです、と斎藤はにっこり笑った。


 目的の部屋のドアの前で斎藤が立ち止まり一呼吸する。


「では、開けますね。いいですか?」


 私がうなずくと斎藤はゆっくりとドアを開ける。ひんやりとした空気が肌に触れる感覚がした。斎藤が玄関に一歩踏み込んだとき、ひっ、と小さく漏れた声が聞こえた。私もすぐに隣に立つとその原因がわかった。

 廊下の突き当りがリビングになっていて、そのリビングへの扉が開いている。だから中の様子まではっきりと見えてしまう。斎藤の言う女の霊がそこにはいた。

 

「いるね」


 話に聞いていた通り窓に向かって立っている。幽霊の服装はなぜかパンツスタイルのビジネススーツだった。まるで普通の人間のようにも思えてしまうが、薄っすらと透けて背後の壁や窓枠が見える。それが人間であることを否定する。

 

「で、どうしよっか」


「ど、どうしましょう」


 玄関を上がってリビングに入った私たちは、当本人、いや当本霊の前で相談していた。さてどうしようか。ここに来る前、近所のスーパーによって塩を買ってきたのはいいが、すでに霊が中にいるんじゃ盛り塩したところで閉じ込めてしまうのがオチだ。直接投げつけるという手も考えた。でも却下だ。いなくなってくれれば万々歳だけど、下手に怒りを買ってしまったらと思うと恐ろしい。それと同様にアルコール成分が配合してある強そうなファブリーズも使いたくない。いざという時のためにいつでも使えるようにはしておくが。

 考え事をしながら女の霊を眺めているとふと実家の仏間が頭をよぎる。似ている。後ろ姿で、微動だにしないその姿がどうしてもだぶる。実家の仏間にはいつもおばあちゃんがいた。私が物心つく頃にはおじいちゃんもおばあちゃんも亡くなっていて、生前の姿は全く覚えていない。そう、私が視ていたおばあちゃんは幽霊だ。お母さんが言うには、おばあちゃんおばあちゃんとついて回り、くっついてばかりのおばあちゃんっ子だったらしい。そんな思い出話を聞いたところで私のおばあちゃんへの印象は良くならなかった。変なことが起きたりとかはないが、朝も夜も関係なく私が上京するまで、同じ場所でじーっと仏壇に向かって正座して拝んでいる姿が不気味だった。一度顔をのぞいたことがあるけど、うっすら微笑んで穏やかな表情を浮かべていて、でもどこか作り物めいた気がした。そんなことをつらつら考えながら、要所要所を口に出していると斎藤がなにか閃いたかのような表情を浮かべる。


「水上さんの話を聞いて思いついたんですけど、それって意味のある行動だったんじゃないですか? 水上さんのおばあさまはおじいさまのことを想って拝んでるとか」


「それは、どうなんだろ……」


 うーむ、しっくりこない。霊に目的なんてあるんだろうか、今まで生きてきてそんなこと考えたことがなかった。そういうものだと思ってたから人と同じようになにか意味があっての行動かもしれないというのは、私にとって斬新な考えだった。


「あの女の霊に真意があるとして、思いつくことってある?」


 斎藤はあごに手を当ててうんうんうなっている。仮に女の霊の意図がわかったとしても、強い恨みを持っていて私たちにはどうしようもないとかだったらどうするんだろう。ぼんやりそんなことを思っていると斎藤が突然、女の霊のもとへ歩き出し、止めるまもなく女の横まで行ってしまう。いやいや何してんのこいつ!? あんだけ怖がってたのに勇気ありすぎでしょ、どんな情緒してんだ。

 

「っ、ちょっと」


 はっとして斎藤の腕をつかんで引き戻す。


「いきなりどうしたの?」


「同じことしたらわかるんじゃないかと思いまして」


 思っても即実行するか、普通。私なら絶対やらない。


「でもわかったことがあります。窓の外の裏庭を見ているのかなーと」


「裏庭?」


「私も今まで忘れてたんですけど、裏にちょっとしたスペースがあるんですよ。試しに行ってみませんか、そこ」


 アパートは片一方の側面が道路に面していて、それ以外はすべて別の建物に囲まれた立地となっていた。裏庭に入るためにはブロック塀沿いにアパートをグルっと回っていく必要がある。ブロック塀とアパートの隙間を私たちはどうにか進んでいた。幅は人一人通るのが精一杯というくらいでかなり歩きづらい。空気の通りが悪いのか湿った空気に満ちていて不快だし、ブロック塀なんかコケむしていて絶対に触りたくない。

 開けた場所に出ると日が差し込んでいた。広さはおそらく4畳半ほどだろうか、地面は土で所々に雑草が生えている。視線を上げると斎藤の部屋の窓がある。そして窓の直ぐ側に立っている女の霊もしっかり見えた。斎藤の言っていたことは間違っていないようだ。たしかに裏庭をじっと見下ろしている。だがその表情は想像とは大きく違う。恨みつらみがこもった恐ろしい顔なんじゃないかとヒヤヒヤしていたが、物憂げな表情を浮かべているだけだった。


「なにかあると思ったんですけど……」


 斎藤はアパートの壁を観察してみたり、落とし物があるかもとウロウロしている。やっぱり意味のあるような振る舞いを見せるだけで人のものさしで考えるのは無理だったんじゃないか。私も一緒になってなにか手がかりでもないかと歩いている時、足元の違和感に気がつく。


「あれ? ここだけ土がふかふかしてるかも」


「たしかに他の場所とここだけ違います! えーと範囲はそんな広くなさそうですね」


 斎藤が地面を踏みしめながら確かめると、半径85センチくらいの円状で柔らかい箇所があった。


「不自然に柔らかい地面なんて明らかに変、だね。一度掘り起こしてからまた埋め立てたのかな」


「でもなんでそんなこと」


「さあ? 埋めたかったんじゃないの、人に見られたらいけないものでも」


 斎藤に穴掘りできそうなものを頼むと急ぎ足ですぐに戻ってきた。両手には茶碗を持っている。残念ながらスコップやシャベルみたいな便利な道具は持ち合わせていないらしい。二人してプラスチックの茶碗を片手に奮闘するも進捗は芳しくない。比較的柔らかい地面とはいえ道具がこれではどうにもならない。10センチくらいの穴ぼこを作り上げたところで諦めた。


「穴掘り用のシャベルでも買ってこないとキリないよこれ。たしかビバホームこの辺にあったよね。中途半端でやめるのも気持ち悪いし買いに行こっか」

 

 二人して長さ1メートル重さ1キロくらいのスコップを裏庭まで運んだときには、だいぶ日が沈んでいた。ここまで来たからにはやりきりたい思いがあった。斎藤を見るとうなずいた。お互い考えていることは同じようだ。

 ざくざくと掘り進め、腕がパンパンになって汗もびっしょりになった頃、ついに埋められていたものが姿をあらわした。ある程度予見していたとは言え、衝撃は強い。土で茶色く汚れているが、もともとは白かったであろうことがわかる物体。骨だ。それもおそらく人骨のたぐい。


「あ、」


 斎藤が窓を見上げた。つられて視線を向けると、さっきまでいたはずの女の霊がいなくなっている。ただ窓があるだけ。


「……気づいて欲しかったんでしょうか」


 私は何も答えなかった。

 

 

 白骨死体を掘り起こしてからは大忙しだった。通報して、参考人として事情聴取を受けて、ばたばたしすぎて感慨にふける暇などなかった。発見に至った理由が女の霊うんぬん、なんていう理由が通用するはずもないので疑われたらどうしようかと不安だったが、聴取はあっさりと終わった。裏庭の同じ場所から凶器が発見され、そこから犯人を割り出すことができたらしい。だから私たちへの聴取は形式的なものだけで済んだというわけだ。その犯人が大家さんだったと聞いて背筋に冷たいものが走ったけど。裏庭にいるところを大家さんに見つかっていたらどうなっていたか、考えたくもない。

 斎藤はというと、アパートを引き払うことにしたようだ。女の霊が現れなくなったからといって、殺人が合った部屋に住みたくはないだろうから引っ越すことにしたというのは理解できる。だが、私の家に居候しようとしていたのは想定外だった。なるべく早く出ていってもらいたいところだ。


 数週間後、斎藤はいまだに居候していた。物件探し中らしいが本当に探してるのか怪しい。

 

「そういえば、最近視線感じるんですよー。この前もバイト行くとき尾けられてるような気がして、振り返っても足音だけだったり変なんですよ」


「それ私と一緒にいる時間多いからじゃないの」


「えーと?」

 

「霊感ある人の近くにいる時間が長いと引っ張られて、霊感上がったりするらしいよ」


「なんで言ってくれなかったんですか!?」


「いや聞かれなかったし」


 酷いだのなんなの言われても、私も忘れてたから仕方ない。それに何度も出て行かせようとしたし私は無実だな。うん。じゃあいっか。

 

「そんなことよりお盆休み帰省するんだけど、どうする?」


「一緒についてっていいんですか?」


「バカ。そうじゃなくて斎藤も帰省すんのかどうかってこと」


「実家北海道なんで今から飛行機予約したら高いですしパスです」


「じゃあどうすんの」


「お留守番してますね」


 マジかこいつ。家主がいない間も居座る気か。


「不満そうな顔しないでくださいよ、何もしないですから大丈夫ですって」

 

 八月に入り、斎藤に見送られた私は実家の岩手へと帰省すべく新幹線へ乗った。住宅街からだんだんと田や畑が多くなり、遠方に見える山々と緑が増える景色を眺めていると帰ってきた実感がひしひしと湧いてくる。


 実家は私の記憶にある姿のままだった。無駄に広い庭は草木が生え放題で、家の裏には畑が広がっていて、見渡す限り何もない。都会と比べると本当にど田舎だ。家に入ろうとして相変わらず鍵すらかかっていないことに気づく。防犯意識をどこかに置き忘れてるんだろうか。実家に住んでいるときは全く気にならなかったことが引っかかり都会に染まってるなと感じる。玄関からただいまあ、と大きめの声を出すとすぐにお母さんが出てきた。実家に帰るのは数年ぶりだが、お母さんと会うのはそこまで久しぶりでもない。両親は定期的に都内まで様子を見に来てくれるのでお互い反応は軽い。近況話をして、落ち着いたところでお母さんが言った。


「せっかく帰ってきたんだから、おじいちゃんとおばあちゃんに手を合わせてあげなさい」


「はぁい」


 言われるがまま仏間へと向かう。ふすまを開けて入ると濃いイグサの匂いがした。二畳ほどの広さで畳敷きの部屋。入ってすぐ正面が仏壇でその手前には二組の紫座布団が敷かれている。私が上京する前と何も、変わっていない。

 左の座布団にはおばあちゃんがきれいな姿勢で正座をして仏壇をまっすぐ見つめていた。

 私が実家に全然帰らなかった理由がこれだった。私が視ているのはおばあちゃんの霊だ。でもこれまでと決定的に違うことがある。今までの私はおばあちゃんにはすごい失礼だと思うけど、微動だにせず仏壇の前でじっとしている姿が怖くて怖くてしょうがなかった。今はもう違う。不気味さとは逆にむしろほっこりとした温かい気持ちになる。そんなにおじいちゃんのこと好きなんだって。

 おばあちゃんの隣に腰掛けて横顔をこっそりうかがうと優しげな表情を浮かべている。仏間の扉に手をかけて気がついた。そういえば今まで怖くてちゃんと手を合わせてあげたことなかったな。ごめんね、おじいちゃんおばあちゃん。今日はしっかりやるからね。

 仏壇の中には位牌やおじいちゃんとおばあちゃんの遺影があって、ってあれ、この写真。なにかおかしい。致命的なずれを見落としているような、しっくりこなくて気持ち悪い。なんだろうこの違和感。写真にはおじいちゃんとおばあちゃんが穏やかな顔で一緒に写っている。

 そのとき、違和感の正体がはっきりしてしまった。背中にぞわっと鳥肌が立つ。写真の中のおばあちゃんと私の隣りにいるおばあちゃんの顔。一致しない。全くの別人。じゃあ、誰なの。幼い頃から一度も離れることなく仏間にいる老婆はなんだっていうの。


 こわばる身体を無理やり動かして左に顔を向ける。


 老婆はしわくちゃに顔を歪め満面の笑みで私をのぞき込んでいた。意識がふっと遠のく。

 

 

「仏間で寝てたのよ。疲れてるのはわかるけど――」


「ごめん。もう、大丈夫」


 思わず遮ってしまった。心臓がうるさいし、手は震えていて、とにかく呼吸を落ち着けたい。何度か深呼吸をするとさっきより冷静になれたものの恐怖心は残ったままだ。数年ぶりの帰省なのにゆっくりしたくない気分だ。お母さんには悪いけどすぐに帰り支度をすることになるだろう。

 アパートの件で私は勘違いをしていた。ほんの少しでも霊のことをわかったつもりになるなんて間違いだったと、再認識できた。なんだか斎藤にだまされた気分だ。帰ったら覚えてろよ……。


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ものさし ねこでした。 @nukoneko

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