甘くなぁれ

 今日も今日とて日光浴。

 朝に浴びた水分はすっかり乾いているが、内部に溜め込んだは水よりも尊く、保湿力も抜群だ。すっかり大きくなった新芽たちも、同じようなペースで葉の広がりを競い合っている。


 本体である楕円形の葉を中心に、ポコっと生えた二つの新芽。それらが成長し始めてからは、みるみると動物の顔みたいな全容へと変わった。鏡で私の姿を見せてくれた時、マサミちゃんは「ウサギさんみたい」って微笑んでいた。

 新芽たちが大きくなったら、そいつらと会話ができるかもしれない、と期待していたが甘かった。新芽が別の個体として話し相手になってくれたら、マサミちゃんの帰りを待っている間も退屈はしないだろうとワクワクしていたけど、増えたところで私は私だった。でも、彼女との会話を独り占めできなくなるのも嫌だったので、結果的にはこれで良かった。


 私の前を白い野良猫が横切った。そのまま通り過ぎるのを止め、クルリと向き直って私の方をジッと見始めた。さらには、ゆっくりと近づいて私に鼻を近づけた。

 生前の研究で、猫がサボテンを食べたという事例は無かった。ネコ科の動物を挙げても該当するものは無い。サボテンを好むのはラクダが有名なくらいで、ガラパゴスのリクイグアナなんかも好んで食べると聞いている。いずれにせよ、近所で見かけるような動物でもないので大丈夫だろうと信じていた。

 しかし、実際に近寄られて興味深げにフンフンと嗅がれると不安になってくる。勢いで耳の部分をパクッとされたら、マサミちゃんもさぞ悲しむことだろう。私は石のような気持ちで身を強張らせていた。


「あっ! ダメよっ! しっしっ!」


 マサミちゃんの声に驚いた白猫は、その場から逃げるように去っていった。間一髪とはこのことだろう、今日は仕事の日じゃなくて助かった。


「ふぅ、危ない危ない。食べられちゃうところだったね」


 私の前でしゃがみ、片方の新芽を優しく摘んで状態を確かめるマサミちゃん。今日は黒いタンクトップにベージュのハーフパンツと、休日モード全開の格好だった。私の耳(新芽)へ手を伸ばすと、自然と腋の下が露になるので意識がそっちへ向いてしまう。綺麗に手入れされたその腋の下に、数秒の間で良いから挟まれたい。改良に改良を重ね完全に棘を無くすことができたサボテンには、こういったメリットもあるのだと気付いた。やはりサボテンになってみないと分からないことって多い。


「まだ小さいけど、パルミエみたいね。この耳」


 何のことだか分からないが、たぶん新芽の見た目のことを言ってるのだと思う。特徴を言うなれば、新芽はハートの形をしていた。全体はウサギに見えて、耳はハートの形、そのイメージはといったところだが、マサミちゃんが良ければ何でも有りだ。


「パルミエみたいに甘かったらどうしよう」


 期待たっぷりの嬉しそうな表情だ。

 どうやらそれは甘いらしい。ということは、スイーツの類だろうか。それなら好都合だ。私が世に出した『バーバンク・サボテン』は、人によってメロンの味だとかパイナップルの味だとかイチゴの味だとか、その意見は様々に分かれるというのが特徴でもある。とにかく、これまで食べたこともない不思議なフルーツの味なのだ。どうせなら「パルミエの味だわ!」と彼女の口から言わせたい。


 しばらく新芽を撫でていたマサミちゃんは、いったん部屋へ戻り、今度は洗濯カゴを抱えて再びベランダに出てきた。私の周囲を注意深く見回し「もう、猫は来てないわね」と笑顔を見せると、カゴから洗ってきたものを引っ張り出して干し始めた。

 薄ピンクのパンティーを洗濯バサミで留め終えた彼女は、もう一枚の薄ピンクのパンティーをカゴから取り出して「ねぇ、ルーサー」と私を呼んだ。腋の下とパンティーに目を奪われていた私は、慌てて視線を彼女の顔に移した。


「この後、一緒に公園行こうよ」


 前は海へ連れて行ってもらった。潮のベタつきが鬱陶しかったが、私の成長に支障をきたすものではなかった。公園ならば、もっと快適な時間を彼女と過ごすことができるだろう。

 外出の目的は、私を撮影することにあった。サボテンの撮影なんて学会の資料に添えるくらいだろうと思っていたが、今は『映え』なるものを発表するために撮っているらしい。

 きっかけは新芽が出始めた頃で、以来ちょいちょい撮ってはどこかへ発表しているようだった。私が学会で発表してきた頻度を軽く超える回数と、「これで良し!」といつの間に説明したのかわからないほどのプレゼンの速さに驚いたものだが、これがなのだろう。発表したものに対して細かな議論や質問の類は無く、ただ『イイね!』という評価をいかに数多く得るかがポイントだと、いつかの晩酌タイムで彼女は言っていた。


 どこへ行くにも、移動手段は車だった。

 マサミちゃんの隣の席に乗せられ、倒れないようしっかりと固定してもらったら準備完了。タンクトップとハーフパンツだった姿から、ゆるふわのワンピースへと着替えた彼女も「準備オッケー!」とご機嫌で運転席へと座った。

 起動音と共に車内の電子機器が一斉に反応し、別人の声で「ETCカードが挿入されていません」と言われた。私ではなく彼女に警告を発していたのかと思っていたのだが、いつも気にせず運転していたので、これは何かの儀式なのだろうと割り切ることにしていた。

 ヘンリーよ、今の車は屋根も窓もあって、しかも警告してくれたり道を案内してくれるお手伝いさんもいて、まるで小さな家が動いているみたいだぞ。しかも、振動が少なく乗り心地は快適だ。


「未熟……無情……されど……」


 マサミちゃんの独り言が始まった。いや、彼女の好きな歌だった。ぶつぶつと呟くような歌い出しから、急に感情を込めて「美しくなれ」と叫び、テンポ良い前奏へと繋がってゆく。お気に入りの曲のようで、ドライブするたびに、車内で何度もリピートさせて歌い続けている。


「ぅうーつぅーくぅー、しぃーくぅーなぁーれぇー!」


 うーん、いつもよりが強過ぎる。七十点くらいかな。ドライブ時に限らず部屋で歌っているところも聞いてるので、上手いと感じる時とそうでもない時の違いがわかるようになってしまった。私が喋れるなら、歌い終えた後に色々とアドバイスしてあげたいくらいだ。

 本人もイマイチなのが分かっているのだろう、その後は適当な鼻歌で流している。これも彼女の癖だ。次の歌い出しがリピートされるまで、脳内で「美しくなれ」のフレーズを微調整しているに違いない。


「うーつーくぅー、しぃーぃく、なぁーれぇー!」


 六回目のリピートで、だいぶ良い感じに歌い出せた。前奏の間に「よしっ!」と満足の声を小さく漏らすところも、実に可愛らしい。この調子で、その後の歌詞も歯切れ良くメロディに乗せて歌っていた。

 ご機嫌なマサミちゃんの声は、少し高めでロングトーンの伸びも良い。これが聞けると、私の中で蓄積されているも共鳴し、体内が活性化するような気がするのだ。成長を促す作用が起きている、と言った感じか。

 聞く音楽次第で、生きとし生けるものたちの認知的、感情的、そして社会的成長が大きく変わると言われるが、私にとっては彼女の声こそが正にそれなのだろう。二つの耳(新芽)たちも、さらに大きくなろうと激しく脈打っている。


 九回目のリピートの途中で音が止んだ。エンジンも止まり、マサミちゃんがドアを開けて外へ出て行った。ガチャリと私の座るドアが開き、嬉々とした声で「さぁ、着いたよ」と彼女は私を抱え上げた。

 二階のベランダからの空も広いが、この公園から見る空はもっと広かった。カラっとした爽やかな風も心地良い。ここにずっと居れたら、私の成長も今より速いかもしれないと思った。ただ、マサミちゃんも一緒に居るというのが大前提だけど。

 手際良くテーブルを組み上げ、チェック柄のクロスを敷き、その上に籐で編まれたバスケットを乗せた彼女は、最後に私を抱えてその横に置いた。そして、小さなカメラをコチラに向けて何枚か撮影を始めた。昔のカメラはカシャとかパシャとか耳障りな音がしていたけど、今はポロリンって優しい音に変わっている。聞こえるかどうかの音量なので、たまに撮っているのかどうか分からないこともあった。

 上から、下から、斜めから、アングルを変えて撮影を終えると、カメラの画面を指でスライドさせて「うーん」と唸りながら気に入ったものを探し始めた。この時の彼女の表情は真剣そのもので、私が研究資料を作成している時の鬼気迫る姿にも似ていた。何事にも手を抜かない一生懸命な姿に、私も息を潜めて見守るしかなかった。


「あぁ! これなんかイイじゃない! ほらっ!」


 パッと明るい表情になり、私へ画面を向けるマサミちゃん。そこには、大きな青い空を背景に、私の半身と片耳(新芽の片割れ)が映っていた。なるほど、サボテンの全容を写さない撮り方も面白い。横に並んだバスケットの一部分が、ぼんやりと一緒に写っているのも新鮮だった。私の研究資料では、絶対に写さない撮り方だ。

 これに満足した彼女は「じゃ、ご飯にしよう!」と言って、バスケットに手を伸ばし中身を取り出した。サンドイッチ、ミニサラダ、プリンと、ここへ来る途中に立ち寄った店で買ったものが次々と並べられた。

 そして、並んだご飯たちを別の皿に盛り付け、再びカメラを取り出して何枚か撮影を始めた。発表を見てくれる人たちから多くの『イイね!』をもらうための努力を惜しまない姿に、私も微力ながら気孔を開いたり両耳(新芽)を少しでも膨らまそうと力んだりしてみせた。


「ねぇ、ルーサー」


 撮影を終え、のんびりと食事を始めたマサミちゃんが、片耳(新芽の片割れ)を撫でながら優しく私を呼んだ。


「あのね。食べちゃうの勿体ないけど、ウチワサボテンがどんな味がするのか、とても楽しみなんだ」


 味の感想は、是非私も聞いてみたい。その時が来たら、遠慮なく食べ尽くしてくれて構わない。そして、写真付きで食レポを全世界に発表して欲しい。知り得るものなら……『イイね!』の数も教えてくれると嬉しい。


 降り注ぐ光は優しく、葉に当たる風が清々しい。海へドライブに行った時とは大違いの心地良さだ。マサミちゃんもご機嫌で私を撫でつけている。

 少しだけ顔が近づいてきた……そして、小さく「ねぇ、ルーサー」と囁いた。それに応えるよう片耳(新芽の片割れ)を力ませ、文字通り耳を傾ける素振りを示した。


「甘くなぁーれ!」


 魔法の言葉を唱え、ダメ押しに「ふぅ」っと私に息を吹きかけた。

 私は「任せてくれ」と、気孔を開いてそれを吸い込んだ――。

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