ルーサーは食べられたい
愛宕平九郎
肉厚に育ってね
トーマス(エジソン)は空を見上げて「僕は夜でも明るい世界を創る」と言い、ヘンリー(フォード)は大地を見渡して「俺はどこまでも遠くへ行ける乗り物を創る」と言った。
――「ルーサーは、どうするんだい?」
私は胸を張って「
数年後、二人は歴史的な発明を成し得て、近代産業史に新たな一ページを刻む功績を残した。私も自分なりに頑張った。新しい品種を次々と開発し、天候や土壌に左右されない種苗などを作り続けた。品種改良への興味は尽きることなく、死んだ後も再び
しかし今、私はウチワサボテンとなってマサミちゃんの帰宅を待っている。
生まれ変わっても人として生きられるだろうと思っていたのに、まさかの植物へ転生とは期待を遥かに裏切ってくれた。でも、いざサボテンになってみれば、これはこれでとても居心地が良い。なんたってそれは、生前の私が創った棘の無いサボテンだからね。自分で改良した植物が成長してゆく過程を、リアルタイムで体感できる機会なんて滅多にあるもんじゃない。身動きできないデメリットはあるが、これも新たに
部屋の明かりが点いた。電球のおかげで現代に生きる人々は大きく生活様式が変化した。トーマスよ、今はLEDと呼ばれているものが出回っているらしいぞ。電球の寿命が大幅に延びたそうだ。
静かだった部屋が慌ただしくなり、ガラリと引戸の開く音がした。マサミちゃんが仕事から帰って来た。ベランダに置かれている私の前でしゃがみ、手にした霧吹きでシュッと水を噴射してから「ただいま、ルーサー!」と呼んだ。
残念ながら、私は喋ることができない。できれば「おかえり」と応えてあげたいところだが、口を開くことは疎か、葉の先っちょから根っこに至るまでピクリとも動かすことができなかった。しかし、目と鼻と耳はそれなりに機能していた。視野は広くないがマサミちゃんの姿を見れるし、地獄耳ではないがある程度の物音や外での会話は聞き取れる。匂いも日が強く照らない時間帯だったら、気孔を開く時にちょっぴり感じることができた。
マサミちゃんは、私が暮らしていた国で言うところのアジアンビューティーだ。色艶の良いセミロングの黒髪に澄んだ黒い目、肌は透き通るように白く……と言えなくもないが、当時のカリフォルニアと呼ばれた地域では見かけることの少ない色素を持った肌だった。目鼻のパーツや骨格も異なり、見る者によっては愛想の悪い印象を与えるかもしれない。しかし、私にとっては天使のように可愛らしい女性だった。
「今日は暑かったねぇ。ルーサーは熱中症になってないかな?」
またシュッと水を噴霧して私に語りかけるマサミちゃん。彼女はウチワサボテンのことをよく調べてくれたようで、ルーサーというのは私の本名から名付けてくれたものだった。気温や陽射しの強さで参るような転生後の私ではないが、彼女に対しては熱中症状真っ盛りだ。
そして、その熱を更に滾らせるシチュエーションが、今目の前で起こっていた。スーツ姿のまましゃがんでいるもんだから、タイトスカートの奥に見える薄ピンク色のパンティーが気になってしょうがない。いつも以上に気孔を広げた私は、太腿の奥から放たれる色香を深く吸い込んで、マサミ成分を自分のものとした。
「うん。葉っぱも張りがあるし、大丈夫だね」
日中は部屋の中ではなく、陽当たりと風通しの良いベランダに置かれているおかげで、私はすくすくと成長していた。さらに彼女が居る時間帯は、こうしてマサミ成分も吸収しているもんだから、張りも艶も絶好調の毎日だ。
しばらく私を眺めていたマサミちゃんは「ちょっと着替えてくるね」と言って、徐に立ち上がりこの場から去って行った。この後は私も室内へ移動させてもらい、ビールを片手に独り言ちる彼女の相手をする。今日はどんな話を聞かせてくれるだろう。
サボテンはトゲという凶器をもった悪者であり、動物たちの敵である、と私は思っていた。しかし、その葉や実には栄養分がたっぷり含まれていることがわかった。家畜の餌にもなれば、人間の食べ物にさえなる可能性があると考えたのだ。
さらに調べていくと、サボテンは砂漠のような荒れ地でもどんどん育つ。また高温でも低温でも育つのだ。こんなに頼もしい植物は他に類が無い。悪者とばかり思ってきたが、実は良き友ではないかと考えを改め、本格的に研究を始めた。
そこで私が目をつけたのが、ウチワサボテンだった。名前の通りウチワの形をしており、平たく厚い葉をもっている。問題なのは棘と繊維による肉質の硬さで、それが人から敬遠される原因でもあると断定していた。私はこの二つをクリアすべく、棘の少ない品種を見つけては交配と淘汰を何度も繰り返し、その数ウン十万にも及ぶ雑種を根気よく作り続けた。
気が付けば約十年、ついに葉にも実にも幹にも棘のないサボテンができた。しかも食べられるものだ。調子に乗って『バーバンク・サボテン』という自分の名前が入った新種として公表した。それが今、後進の種苗家たちの手に受け継がれ、こうして私自身がウチワサボテンとなっている。感無量だ。
「お待たせー! さぁ、部屋に入ろうね」
着替えを済ませたマサミちゃんに抱えられた私は、全ての気孔を全開にして部屋に充満しているマサミ成分を吸い込んだ。嗅ぎ慣れた匂いの他に、彼女の髪から爽やかな香りがしている。私がしみじみと回顧している間に、シャワーで仕事の汗を流していたようだ。
「聞いてよ! 今日は行きと帰りの電車で痴漢に遭っちゃってさぁ」
「同僚の恵ちゃんがね、営業課の阿部くんに告白されたんだって!」
「帰りに総菜売り場で見つけたんだよ、コレ。美味しそうでしょう!」
夕飯とお酒を共にして、次々と今日の出来事を語り出すマサミちゃん。人間よりも植物を相手にした方が、言えないことも遠慮なく吐き出せるものだと思う。
私も研究者時代は、それを実践してきた。サボテンで実験を行っている間、私はしばしばサボテンに語りかけ、愛の振動を与え続けていたのだ。私の決まり文句はこうだ。
――「お前たちには恐れるものなど何もないんだよ」
――「身を守るトゲは要らないよ。私がお前たちを守ってあげるから」
どんな実験においてもサボテンに秘密を打ち明け、力になってくれるよう頼み続けるのが日課だった。小さな生命に対して甚深の敬意と愛情を抱いていることを理解してもらうために、色々と語り掛けるのだ。言葉を投げかければ投げかけるほど、植物たちはその期待に応じてくれる。その繰り返しで、私は多くの新種を開発してきた。
マサミちゃんの投げかける言葉にも、無駄なものは一切ない。彼女の語りかけによって私は想像する力を養い、逆に彼女はストレスを溜め込むことなく明日も楽しく過ごせるゆとりができる。正にウィン=ウィンの関係と言えよう。
「あ、なんか新芽が出てきた?」
そう問いかけながら葉の縁を撫でつけるマサミちゃんの人差し指の動きに、名状しがたい快感が走った。樹液を噴出させたい衝動に駆られるも、爆ぜる出口が無くてもどかしい。いっそのこと気孔から放出できれば良いのだが、開けば先に彼女の芳香を吸うのが身についているのでどうしようもない。
彼女の指摘する新芽が出始めていたのは前から気付いていた。素晴らしい環境の下で育ててもらっているので、成長のスピードも速いのだろう。頭頂部、と言えば良いだろうか、楕円に曲がる先端部分からポチっと粒状の芽が膨らんできたのだ。
しかもそれは一つではなく、やや離れたところにもう一つ。このままいけば、同時に成長して動物の耳のような全容となってゆくだろう。
マサミちゃんの人差し指の動きは止まらず、トロリとした目つきで「可愛い」とため息を漏らしながら新芽を撫で続けている。昇天できず、賢者にもなれない私は、土に隠れた根っこを伸ばすことしかできなかった。
こうして根を張り伸ばせば、栄養を補給する面積も増え、葉や新芽も更に大きくなる相乗効果が予想される。これが成長のメカニズムなのだろう、と自分に言い訳をして、いつまでも撫でられるがままでいた。
「肉厚に育ってね、ルーサー」
マサミちゃんは肉厚であることに拘っている。私がここに連れてこられた時から、ずっと「肉厚に育ってね」と投げかけてくるのは、たぶん私を食べたいからなのかもしれない。
それならそれで本望だ。私も幾度となくウチワサボテンを食してきた。最初は苦いだけのものだったが、改良に改良を重ねた結果、それなりに「美味い」と納得できる味になってくれた。これに関しては偶然の賜物だったけど、食べれるものなら美味いに越したことはない。
私はどんな味になるだろう?
それぞれのウチワサボテンは、育てられ方で味も変化するのだろうか。これは私の新たな研究課題とも言える――。
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