第八話 肉親たち
日曜の夜、卓朗は従兄弟の田所に電話をした。
「何故柊子に連絡を入れたりしたんだ」
『いつも律儀に返事をくれる卓朗兄さんが返事をしなかったからですよ。具合が悪かったんでしょう。柊子さんは今は?』
冷静な言い方に腹が立つ。むろん向こうは計算ずくだ。
「俺たちのことはどうでもいい」
『戻られたようで何よりです』
卓朗は息を吸って吐いた。
「葉月君に贈ったスタイ、使ってくれてありがとう。写真もありがとうな。わざわざ送ってくれたのに悪かった」
『こちらこそありがとうございます。その件もお礼を言いたかったんですが、伝えたいこともあったんです』
改まった言い方だった。卓朗も気を取り直す。
『葉月の写真を送ったあの日の朝、梓姉さんが電話してきて、卓朗兄さんと柊子さんのことを僕に聞いてきたんです。それが気になって一言お伝えしておきたかったんです』
卓朗は息を詰めた。
「姉さんはお前に何を聞いてきた?」
『卓朗兄さんの様子と、柊子さんがどんな人なのかと。僕は一度会っただけなので、普通なんじゃないですかとだけ返したんですが』
「悪い。気を使わせて」
『僕は別に。……梓姉さんも、もしかしたら世間話程度だったのかもしれません。葉月のこともどうかと聞いてくれて。どちらかと言えばその話の方が多くて』
だから気の回しすぎでしたねと従兄弟は言った。
「それでも教えてくれて助かる。気構えはできる。ありがとう」
田所はお気になさらずと言い、最後にお大事にとも言って電話を切った。
その日、卓朗の元に電話があった。番号を見て息を吐いた。
いずれかかってくるだとうとは思っていた。むしろ考えていたより遅かった。
その分、何か企んでいたのだろうかとも穿った。
「はい」
『久しぶり。卓朗。あなた、結婚したっていう挨拶にも来ないのね。放っておこうとも思ってたのだけど、大事なことだから連絡しておかないとと思って』
「感謝します。要件はなんでしょう」
『卓朗。お母さんに対してもっと言うことがあるでしょう。一人で拗ねて、母さんの知らない人と勝手に結婚して。どうしてあなたは、いい年をしてまだこどもみたいに、私を困らせたいの。どうして私の気苦労を増やしたいの?』
「不甲斐ない息子で申し訳ありません。要件は?」
『あなたはそうしてせっかちで。お母さんの気持ちなんて何も考えない。男の子は駄目ね。梓ちゃんの旦那さまも、優しそうだけど何を考えてるのかさっぱり分からない。きっと裏がある人よ』
「忙しいので失礼します。お元気で」
『待ちなさい。お母さんに対してなんて失礼』
卓朗は電話を切った。三十分ほど経って電話が鳴った。プライドが保てるのが短くなったんだなと卓朗は思った。
「はい」
『あなたねえ。大事な話があるって言ったでしょう。どうして電話を切るの』
「申し訳ありません。要件は?」
電話の向こうでこれ見よがしなため息が聞こえた。
『あなたの奥さんのことよ。あなたが心配で調べたのよ』
「それはどうも」
『びっくりしたわ。あなたの奥さん。……なんて言ったかしら、桐島柊子さん。どなたが名前を付けたのかしらね。ひいらぎで「とう」だなんて読まないのに。学がないというか。やっぱり、力仕事をされてる方って、そういう方面に疎くていらっしゃるのかしらね』
「それが調べたことですか?」
『そんなわけないでしょ。でも名前の付け方もいい加減で、育て方もお間違えになったんでしょうね。柊子さんて人』
再度、わざとらしいため息が聞こえた。物心ついたときから、さんざんに聞いたそれだった。
こどもの頃は、このため息が恐怖でしかなかった。今になって聞くともう少し違った見方になった。もう恐怖はない、ただ聞くに堪えない。
皮肉にも父の気持ちが分かった気がした。
「俺の妻は普通ですよ。向こうの義父さんも立派な方です」
『まあ、今はねえ……そうかもしれないけれど、ねえ』
捕らえた鼠を弄ぶ、猫を思わせる声だ。
「何かあったんですか?」
卓朗の一言に、母は飛びついてきた。
『卓朗のために、お母さんが調べてあげたの。あなたの奥さん、とんでもないことをしてたのよ。あの方、不妊なんですって?』
「俺と同じです」
『あらやだ。あなたは不妊じゃないでしょ。それにそのことは、梓と卓朗の問題でしょ。私には関係のないことです。卓朗、話を逸らさないで』
「はい」
『あの方、どうして不妊になったか、卓朗、あなた知ってる?』
「ええ」
『なんて言っていた? 子宮内膜症じゃない?』
「母さん、個人情報ですよ」
『あなたそれ信じたの? 子宮の病気なんて、大人の女性がなるものなのよ。中学生の女の子が煩う病気じゃないのよ。やっぱり男の子って、そういうことに疎いから、すぐ騙されちゃうのよね』
卓朗は驚いていた。
本当に、想定通りの言いようだ。そのことに驚いた。同時に、柊子はこんな偏見に常に晒されていたのかとも。
『本当のことを知りたいでしょ』
「それは、まあ」
いかにも気がないような返事をしつつ、本当は聞きたくてしょうがない──そんな演技などできるものかと思っていたが、顔を見られなかったのがよかったのか。母は卓朗が食らいついてきたと思ってくれた。
『教えてあげる。家に来なさい』
母は具体的な時間と日付を指定してきた。
「家は遠慮しておきます。外の方がいい。家の近くに、お寿司屋があるでしょう。俺がそこを予約しておきます」
『嫌よ。外でだなんて。あなたの奥さんのお話よ。誰にも聞かれたくないでしょう?』
「あのお寿司屋だと半個室があります」
『いいえ。うちに帰ってらっしゃい。でないと話ません』
「分かりました。では、またの機会に。失礼します」
『待ちなさい、卓朗』
母親の真の目的は、息子である自分を苦しませたいことだ。一昔前なら、匂わせて焦らせることでダメージを与えられるということも思いついていた。
だが、この人も年なのだろう、こらえ性がなくなっている。
一番の目的の、握った弱みにつけ込んで息子を絶望させることを最優先させてきた。もう一度、これみよがしのため息が聞こえた。
『ほんとにもう、仕方ないわね。分かりました。そこで会いましょう』
「ごちそうしますよ」
『ふん』
「失礼します」
卓朗が電話を切る前に、向こうから電話が切られた。卓朗も肩の力を抜いた。
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