Parola-12:郷愁……そレは、酸いモ甘いモ渾然と光ありき闇ありき帆布のはたメき。
夜七時ともなると流石に薄暗い。
さらには神社の朱色の大鳥居の左右に脈々と広がった夜店屋台に張られた原色が、夜空との境をきっちり区切ることによって黒さがより際立つ。人出は結構なもんだが、海開きのシーズンにはまだまだだから俺らのような他所者はあまりいないのだろう。地元の人らだろうか、自然に粋に着こなした法被姿のじいさんおっさんらの行き来が目立つ。そして手を引かれた小さな子らのはしゃぎ声やら、それよりちょっと大きな小学生らの男女分かれたグループが興奮を押し殺しつつも昂揚感はその小さな身体から立ち上っているといった何とも言えない熱気が漂っている。むき出しの両腕に感じていたさっきまでの薄ら涼しさは、それに当てられるかのようにして霧散していっていた。と、
「ナイスタイミングでしたねー、あ、いや『善き時機』でございましたねっ」
せっかく浴衣を着たのですから、「日本語限定ルール」ぅー、とのミササギ部長の鶴の一声で、先ほどから外来語は禁止されている。使うごとに一ポイント、最も多かった者には罰ゲームが課せられるとのことで、そろそろこの面々の聖邪混ぜこぜになった「ガチ感」とでも言うべきものに怖れを感じていた俺は、予想もつかないのっぴきならないことをやらされる可能性がかなり高いこともあって絶対に負けらんねぇ、との要らん緊張感を強いられているわけだが。
白地に黒雲のような模様、その上にところどころに開いた桃色の花弁。なめらかな稜線のような肢体に巻かれ包み込むのは、そんな落ち着いた柄でありつつもところどころに鮮やかさが点在した、非常に魅力的な薄衣であったわけだが。いつもの背中まで降ろしている艶髪を今はアップに纏めて銀色の髪留めをあしらっているが、女性って髪型変えるだけでこちらの精神のどこかを確実に揺さぶってくるよね……
は、ハァハァ浴衣の下には何も身に付けないが江戸前の流儀とわたくし聞いたことがありますが部長殿はむむ無論その気高き思想の継承者なのでしょうかなッ、という鬱陶しい性急声がそう問いかけるが、我ら男子が全員気になる最重要命題であるところのそれを放ったことに対し五ポイントくらい進呈はしたくなる。そして天性のド天然の継承者であるがゆえ、ワンチャンどころかツースリーくらいまでありそうな可能性、それに賭けたい一縷の願いを込めてその思ってたより白い帯の上で緩やかになってしまっている峰の描く曲線の、透けそうな白地の部分の各所に焦点を集め、見えざる何かを見ようとするものの。
あはは今はそれ用のインナーがあるしその上から薄い長襦袢ってのもあるからねえ、との無慈悲な言の葉に、あ、でも先ほどの「ナイスタイミング」と合わせて「インナー」で計二ポイントは計上だな……とせめてものよしなしぃ足掻きをするにとどまる。
で、でもさぁ……とかもごもご言いながら隣の無藤に耳打ちをしている細く白くほんのり赤みを帯びたうなじに見惚れていると、
「えっ、てことはインナーの下、ブラもショーツも付けてないの!? それ結局ノー下着じゃあないのよ、『先がちょっと擦れちゃうよね』じゃねーんだわ!!」
素っ頓狂にでかい声が人混みの中に響き渡り、わぁわぁ言いながらそれを抑えようとする上気した羞恥顔が俺の視界に入っては網膜に焼き付いて来ようとするのだけれど。振り返りつつ極めて自然に俺が差し出した右拳に、一之瀬と砂漠の凪いだ表情で突き出された拳たちが合わせられる。ちなみに無藤も宿のおかみさんが貸してくれたとかで薄黄色に黄緑の縦横線が巡らされた、なかなかに可愛く似合う浴衣を身に着けているけど、君は着物とかがよく似合うしゅっとした体形をしてるよね……ショートの右こめかみあたりに付けられた紫の花を編んだような髪飾りに一瞬目を奪われてしまう。いかんいかん、ていうか君は早くも四ポイントだからな、何か俺に罰ゲームをさせたい気満々な感じを先ほどから受けているが、はっ、自分の心配をした方がいいぜ?
とか、結構浮かれ気分の自分を自覚して、心の中で苦笑してしまう。子供の頃は……此処のお祭りとかは来なかったな。時期が違ったのか、じいちゃんは夜も早かったしな……
色々な記憶が脳のそこかしこで埃のように舞い上がって来ていた。いかん予感がしたのでそこからは意識の焦点をずらすと、俺は松葉杖を滑らないように気を付けながら石畳に慎重に突きながら、ひしめきつつも奥の方へと整然としたベクトルを見せる人の流れに乗りつつ進んでいく。宵闇に浮かぶ提灯のオレンジ色の光。それに照らされて濃淡の違う橙色を呈し涼風にそよぐ紅白の幕。腹に響く太鼓の音も相まって、現実では無い何処かの異世界に迷い込んでしまった気分だ。
あわわ先輩は歩くの大変なんですから待ってあげてくださいよぅ、と右手側から前方の人の波にさらわれるようにして距離が開いてしまった面々へと、非難する声が熱気を孕んで揺れる人々の頭上を転がるようにして放たれていくものの、我が部員たちには気づかれずにどんどんと離れていってしまう。
いや。すいと振り返り、俺だけに分かるくらいの小さくさりげなく為された迷彩の正式な敬礼に、俺も真顔のままさりげなく、右隣のミササギ部長には悟られないように左手にて返礼する。金縁のレアカード【飛】を進呈したところ、それだけで俺に従順なる執事へと変貌を遂げたその長髪に不気味さと気持ち悪さと有難さを不等分に受け取りながら、労せずふたりきりの状況に持ち込めたことにはひとまず感謝する。左前方、醒めた流し目を送って来た黄色い浴衣姿も目には入ったがとりあえず無視した。
「ありゃぁ結構な混み混み具合でしたねぇ……でもお参りするとこで待っててくれてるでしょうから、カブラヤ先輩はゆっくりゆっくりでいいんですよ?」
俺の方を向きながら、いつもながらの上気した顔が表情豊かにそうのたまってくる。「混み混み」とか「ゆっくりゆっくり」とか、独特のリズム感を持った言葉は、「言の葉」は、考えてやってるんだろうかどうだろうか。
まるでこちらを落ち着かせるように、癒すかのように。
ちょっと話がある、とそれに対して濁した言葉を放つしかない俺は、努めて歩調を落とす。俺らの周囲を包み込むようなうわんうわんとした雑多な音が漂う雑踏の中、この方が静寂の中よりも遥かに話しやすそうな気がした。
ふぇぇ? と何らかの勘違いをさせてしまったようだが、同じように極限まで歩みの速度を緩めてくれた。その上気した顔は直視することは出来ないまま、俺はゆっくりと右脚左脚を不均等に繰り出しながら、言葉を探し探し紡ぎ出していこうとする。一瞬以上の間が空いて、その後、
「……この『部』って、何の為にやってるかってのが、少し分かった気がして」
唐突に過ぎたかもしれないし、的外れに過ぎてるかもしれなかったが、これだけは伝えておきたかった。果たして、俺の右隣で一瞬立ち止まったその小さな浴衣姿が、次の瞬間、また動き始める。視線はそちらには向けなかったが、俺の言葉を待っていてくれているような、そんな空気感を感じた。感じたから。
「全員、キッツい過去とか、現在とかがあんだな、っていうか」
それでもそんなぼやけた言葉しか出せない自分に歯噛みをしながら。
中学ん時ひどいイジメにあって不登校だった奴、親に棄てられて言葉もろくに通じないもうひとつの母国に送られてきた奴、事故に巻き込まれて身体と精神に消せない傷を刻まれた奴、義理の父親に中学上がる前からずっと性的虐待を受けてきた奴、何十万人にひとりかの難病で五年生存率が四十パーセントっつってた奴。
隣の沈黙は、思っていたよりずっとフラットな声で破られた。
「……違いますよ? それもそう見てみればそうって、言えるかも知れませんけど、本質はそうじゃなくて。ええと、私たちが集まっているのは、そういう理由ってわけじゃあないんです」
無いわけないじゃねえか。俺はそう聞いたぜ? が、いきなり俺の前に回り込んでこちらを真っすぐに見据えてきた顔は、何て言やあいいんだ、透き通るような笑顔だった。細胞のひとつひとつが引き寄せられる気がして、俺は思わず左脇に抱えた杖に力を込めて踏ん張ってしまう。そして、
「『言の葉』というものに惹かれているんです。そして『言葉』の力を信じているんです」
百パーセントは信じがたい、理解しがたい言葉だった。けれど、それで充分だった。きっとそうなんだろう。「言の葉」の力を、信じて疑わないのだろう。その境地に至るまでどれほどの事があったのかを、俺は知らないから。ミササギ部長のことだけは、俺は何も知らない。それでもそう言い切るだけのことがあったのだろうと勝手に理解した。それに今のその「言の葉」も、現に俺を揺さぶっている。影響を確実に及ぼしている。
「……だから本当に誰でも誰にでも、感じてもらいたくて。でもいつも強引に突っ走っちゃうってサユキちゃんには言われてて。それでもっ」
オレンジのぼんやりとした灯りを背に、その人影は俺には眩しく見えて。
「うれしかったんです。周りのみんなには大分うっとうしがられがちだったですけど、それは分かってたんですけど、えと、そんな時に、カブラヤ先輩があの時に、きっかけを作ってくれたのが、すごいうれしくて」
俺の腐った苦悩みたい何かを吹き飛ばすきっかけを与えてくれたのは、君なんだけどな。後ろから圧を感じて踏み出した俺は、前方を塞いでいた身体を受け止めるかたちとなってしまうが。人の波がまた窮屈になってきた。こちらを向いたまま体勢も変えられないまま後方にたたらを踏みつつ、あわわわとその艶めいて見える唇から漏らしている小顔を、その少し上から見下ろすような体勢のままで彼女が転ばないようにしっかりとその腰と背中の中間あたり位置する差しさわりの無い部分、つまり帯を掴んで支える。
「……」
引き寄せたつもりが抱き寄せたみたいになって。
拝殿の前まで二十メートルくらい、石畳の上をそのままチークダンスのようによろぼい歩んでいた。後ろから押されて、前から反発して押し返されて。次第に俺のTシャツの胸に身体を預けるようにして密着してきた頬は、ひどく熱を持っているように感じられて。
「……言葉って、やっぱり不思議ですよね。ちゃんと伝えたいって思ったことは、ちゃんと伝わる……」
確かに。じいちゃんが随分前に書いただろうあの、カードに書かれた言葉は、時を超えて俺の中の何かを揺さぶって、何かに刺さって、つまりは伝わったわけだ。何となく、俺にも「言の葉」の何たるかの一端が、うっすらとだが見えてきたように思えた。いや、もうだいぶ自分の身に思い知らされてきたことではあったか。と、
あの時の「ふた文字」も伝わってたりするのかなぁ……と汗ばんできた胸元から立ち昇ってきたいつもより弱々しいぶん甘く聴こえた「言の葉」の意味を咀嚼する間もなく、
「……お楽しみのところ御免やけど」
お参りを済ませた人らがはけていく左手方向にその例の五人が真顔でこちらを窺う図があったりして。まあ何て言うか、今が「今」ならいいのかも知れねえ。同情? 斟酌? 忖度?
そんな「言葉」は、今は要らねえんじゃあねえか?
妙に冴えわたるかのような、そんな頭の中をスカスカにさせていくような清々しさと、意識した途端に下方の半身に巡るマグマのような血流と脈動との温度差で、身体が割れるんじゃねえかくらいに定まらないメンタルのまま、俺は傍らの小さな細い、ところどころ豊潤なる身体を促し、見つめてくる五つの真顔よりもさらに真顔を己の顔筋にて形作りながら、何か? みたいな風情で杖をわざとらしく突きつつ近づいていくのであったが。
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