Parola-11:追憶……そレは、茜サす空を流れ来ひと刷けの雲絡み寄せる一陣のカぜ。
――おたからは、じぶんでもっておくもんだ。
鉛筆で書いた文字だろう。ちぐはぐで変な癖のある右上がりの字の並びは、それだけでじいちゃんの物だと分かった。ひらがなだけの文字の連なり、それだけだったが、それだけで今まで記憶の底の方にうっすらと積もるようにして捨て置いていた思い出がゆるりふわりと浮き上がるような気もした。そうだ紛れもなくこいつは俺に対しての、だ。俺宛てのメッセージ。思い出とか記憶とかと一緒に手放したかと思っていて、その時の気持ちも忘れたままで呑気に掘り返しに来てみて。色々な意向を絡みつかせて。
そして十年くらいの時を経て、奇しくも、本当に奇しくも俺の手元に届いたわけで。縁、なんだろうか。俺がこの「言の葉部」に入らなければ、さらにはその前に陸上で膝を故障しなければ無かった事象なのでは。そして「カード」という物に想起された記憶が、いい具合に変容していなければ、ここへといざなわれることは無かったと思われる。そんな、奇跡的な選択肢をくぐり抜け選び抜いて辿り着いた、約束の地……なのかも知れないな。とかの感慨にふける暇はもちろん無く、そのメモのような紙を広げてちゃぶ台の上に置くと、周りの面々が遠慮がちにしかして肩をぶつけつつ不躾にそれを覗き込んできた。何とも言えない鼻からの息が抜けた音が重なり合う。
「おたから」と思ってくれたんだろうか。でも別に俺は無くなってもいいと思ってはいなかったか。そもそももうこの家には来ないと、幼心で分かっていたのではないだろうか。それでも取っておいてくれていた。じいちゃんとはあまり話した記憶が無いが、俺の、数少ない「味方」だったのかも知れない。今となってはもう、それがどうだったのかも聞くことも出来やしないけれど。
やさしいおじいさんだったんでしょうねぇー、というミササギ部長の軽やかながら何かを含んだような声は、俺の郷愁を遠慮なく揺さぶってくる。ふいに座敷に射し込んで来ていた陽光が少し翳った。懐かしさが脳から胸の辺りへと落とし流れ込んできて、それで一杯になってしまいそうだ。ったが、それと同時に鼻息の荒くなった砂漠の脂長髪がさらに光を遮って来て、早く開封してくださいぞ的な圧も如実に受けるので情緒が定まんねぇだろうが。
缶ブタを野郎の眼鏡の右レンズ部に引っ掛けるように被せて、取り敢えずカード束を包むコンビニ袋を慎重に確かめるように色々な角度から眺めてみる……かなり被っていた粉を払いながら。その様を見ながら、左横から柑橘の香りを漂わせながら、無藤がこちらを悪戯っぽく見やってくる。という挑発には最早乗らずに目も合わせないことにしている。が、
「……何でシッカロールはそのままでカード突っ込んでもうたんやろねえ、カブラヤ少年はぁ」
言うと思った。それは俺も昔の俺に言ってやりたかったから。そう、何故か目指す包みは白い微粉が半分くらい詰まった缶の中ほどに埋まり嵌まり込むように鎮座していたわけで。何だろう、湿気を嫌ったのか? カードへのダメージは無いだろうと確信した? でもほのかな香りは確実にしみこむようにして付与されておるよね……
気を取り直して、というほどでも無かったが、無意識に厳かな手つきになってしまっていた。袋は三重にきっちり巻かれていた。ガキにしてはいい手際だな、と昔の自分を褒めてみたりしながら丁寧にそれらを剥がしていく。果たして。
ふぬおぉぉぉ、という押し殺し切れてない興奮声が俺の真正面から放たれて来るのを制しつつ、現れた「カード」をもう面倒くさいから結構な厚さを有しているデッキごとちゃぶ台の上に置いて、その上から掌を押し当てると一気にマジシャンのように広げて見せる。という風にはあまりうまく行かず段々にぐだぐだに崩れた、だけに留まってしまったため、ああ、ああというような呆れ声の六重奏の中、皆で丁寧に伸ばすように天板の上に綺麗に並べていくのであった……と、
ギィャアアアアアアアッという断末魔のような叫びはやはり砂漠から響き渡ってきたものの、他の面々も各々、食い気味に身を乗り出してその「おたから」たちを見やっている。「レア」と聞いた「金縁取り」の奴、それは目測で約五枚はあった。銀色はその倍くらい、あとは銅、だがおよそ二十枚。結構あったな。そして同時に、記憶が軋みながら俺の認識できるところまで浮かび上がって来ていた。ああこれは【霊】って書いてたのか。【火】とか【木】とかそういう簡単なのもあったのかどっちにしろ読めなかったけど。「漢字ちゃうマン」とかいうふざけたネーミングの奴にしてはカードの絵面はえらく硬派な感じだった。そんなところに惹かれたのかも知れねえな。和風な佇まいは今見ても色褪せてない。とか、他の奴らの熱気に当てられるようにしてそんな深い観察をカマしてしまった俺だが、
「ちょ、これ……」
珍しく慌てた、そして素な感じの無藤の声。机に広げられたカードの一枚を摘まみ上げると、まじまじとそれをひっくり返したりしてじっくりと見ている。どうした? とんでもないレアカードでもあったかよ、と軽い感じでのたまった眼前に、そのカードをぐいと無言で突き付けられた。何だよ。そんなに近かったら焦点が定まんねえだろ。
「……」
とか、思わず受け取ってしまったそれを同じようにまじまじと眺めてしまった。そうする他は無かった。見慣れないようで見慣れた、みたいな奇妙な感覚。右隣から二の腕同士をくっつけんばかりの至近に寄って覗き込んできた甘い香りを放つ後頭部からは無理やり意識を断ち切るものの、そのカード自体を意識から切り離すことは出来そうもなかったわけで。
【諒】、とそう大書されていた。鉛筆で。
墨痕鮮やかに見えた筆文字は、鉛筆で緻密に描かれたものだった。何かを見て書いたんだろうか。緻密と言ったが、よくよく見るとその字の縁はゆっくり丁寧に書かれたと思われるのに、それでもどこか震えるような軌跡を描いているように、俺には見えた。何かのボール紙を丁寧に切って。四隅をそれらしく丸く切り取って。
「これって……」
か、かかカードの偽造は御法度ですなッ、と要らん喰い付きを見せて来た砂漠の砂漠たるバンダナに包まれた額部分を立てた人差し指の第二関節部で強めに小突いて黙らせると、こちらを向いた無藤の顔は何か呆けたような困ったような、何とも表現しづらい表情を呈して来ていた。
「主将の……」
な、何ばとらぃこげなマイナー漢字使えんちょぼッ、とか同じくそういう反応を必ず返すように脊髄辺りに何かが仕込んであるのではと危ぶむほどに即応に子猿が言い散らかしてくるが、もうっ、とそれに対し非難を込めて放たれた可愛らしいパンチが力は込められては無かったものの却ってそれが力の抜けたいい具合いい角度にて顎の一点を撃ち抜いたか、てこの原理で脳を揺らされてはさしもの脊髄も言語野とが断絶されでもしたのか急に首を折るように俯くと、何猿かは分からないが左頬と顎の先端を左右それぞれの掌で覆うと押し黙り目を瞑る、のを尻目にこちらを振り返ってくる上気した顔の潤んだ黒い瞳と至近距離でまた向き合うことになるが、近いって、唇を触れ合わせてしまうのを我慢する競技というものがあったのなら、秒殺されること請け合いのシチュエーションに、左の奥歯と奥歯の間に舌の一部を挟み込んで噛み締め何とか耐える俺がいるが。いやいやそこは置いとけ。気を取り直して、
そうだ、俺の名前だ、「諒」は。そしてそれを世界に一枚しか無い超レアなカードに仕立て上げてくれたのが、その名付け親だったらしい、じいちゃんであることは疑いようも無いわけで。
なぁに作ってんだよ、との言葉は何とか何でもない感じで出せたは出せた。が、大書された自分の名前の下にほんの小さく記された「つよくてやさしいおとこになれよ、」との右上がりの文字列を目で追ってしまった俺は、右の前歯と前歯で舌の一部を噛み込んで感情の過ぎ去るのを待つ。が、そんな俺の必死さを意にも介せず、左側からはショートヘアの間からにんまり笑う目がこちらの表情を窺ってきており、右側からはいつもの困り笑みプラス眦に光る何かを滲ませたこちらの情緒という情緒を根こそぎぶん刈り取るような感じで呈されてきており。
やったぁっ、といういささか子供っぽい底抜けに明るい歓声を上げて両腕を思い切り天に向けて伸ばした直後に跳ね上がった子供らしくない挙動で弾むふたつの何かに情緒を捏ね回されながら、ウオオオオオオオンッという屋内で放つにはでかきに過ぎる野太い雄叫びを上げる件の三人の声帯を狙って手刀を流れる手さばきにて繰り出していく。
ともかく。
思わぬ「おまけ」というか、いやもう照れずに「おたから」と言い切るが、そのようなこれからの戦いに有用であるところの重要アイテムを手に入れた我ら一行は、次なるミッションである「浴衣夏まつり」へと繰り出していくのであったが。果たして諸々これでいいのかという思いは何人もの俺の形となって俺の元へと次々と馳せ参じて来てはいたものの、「言の葉」の持つ力を何となく思い知らされつつあるのは確かであるわけで。のようなスカスカして後ろの煩悩が透けてしまっていそうな免罪符を高々と掲げつつ、それでも俺は行く。何らかの、間違いが起こらないとも言い切れない、そんな約束の場所へと。
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