Parola-07:非情……そレは、漆黒の氷柱ニ貼りつく慚愧のネん。

 圧勝かと思っていた勝負に、土俵際まで追い込まれて。それでも俺は落ち着きを取り戻している。バトンを受け取った時にはトップと四分の一周くらいの差がつけられていた、そんな状況か。いや、無理やり陸上で例える必要は無いのかも知れない。が、昂揚感と冷静さを同居させることが出来ていたあの頃に、少し戻れた気がした。動機は不純であれ。


「……」


 長机ひとつ挟んで相まみえるミササギ部長は、相変わらず上気させたままの小顔で、その表情には何と言うかの「逡巡」みたいのが見て取れる。何だろう、ここまで来たらその「二の矢」とやらを俺に向けて撃ち放つしかないはずと、思うけれど。


「波形がまだぐっちゃぐっちゃやで先輩ぃ……これやとつぎ測れんから、ほんのちょみっとだけクールダウンターイムいうのをあげますわぁ。『六十秒』。それまでに『平常』付近まで戻らんかったら、その時点で負けいうことで」


 無藤の無慈悲な宣告。こいつは本当にこちらの神経をねちっこくねぶってきやがる。いや、それも向こうの手かもだ。今の俺は孤立無援。その上でやるしかない、でないと本当に価値あるものなど、何も手にすることは出来ないから……ッ!!


 身体に熱の乗った血液を巡らせるようなイメージと共に、脳には呼吸と共に清浄な酸素を送り込むイメージ。大丈夫だ、俺はいける。


 戦闘態勢には無事至れそうなものの、それだけでは無論、場に立てただけに過ぎない。「次」を受け止める。いや、いなす。考えるんだ、考えて備えろ、一撃に。


 考えてみるに、「二文字」の言葉であるということは確定している。通常考えて、その音節だけで人間の精神に影響を及ぼすことなど無いはずだ。


 はずだが。


 現に喰らっている。先ほどの「すき」の一撃を俺は……ッ!! 言の葉の本質から離れてねえか、とは言ったものの、そもそもがそういうの含みで無いと成り立たないものなのかも知れない。相手を揺らす。感情を言葉によって操る……的な。それは言論とか、そこまで考えなくても普段の会話の中の言葉ことば、それらは確かにヒトの感情を動かす何かを内包している。例えば何気ない「おはよう」の中にも何かを詰め込んだりしたりされたりしてる時ってあるよな。凝縮したワンセンテンスのキャッチコピーにも一撃でこちらの心を掴む何かが秘められたりもしてるよな……そんな風に考えが及ぶと、今この場でやっている正体不明の「対局」が、実はおそろしく高度なことをやっているんではないだろうかくらいにまで感じられても来て……そこまでは考えすぎか。


 考えるのはいいが、根源的なものに答えを求めてはいけない局面の気がした。それよりも何よりも、今は限られた時間で目の前の「対策」を練るべき時だ。いつの間にか俺とミササギ部長の周りには残りの面子が興味深そげに集まって来ている。どの顔も大まかで括ると「悪そうな笑み」が主体だが、それでもこの一連のことに興味を惹かれているのだろうことは確かみたいだ。いや、考えろ。


 清音五十音プラス濁音半濁音二十五音、それらの二乗。五千六百二十五通り。実際には「を」とか「ん」とかあるから五千に満たないくらいか。結構な莫大さだが、「ああ」「あい」「あう」……とかしらみつぶしにやっている時間は本当に無い。乾坤一擲級のものだけをピンポイントで見つけ出すしかない。


 揺らされるとしたら、何だ。いや、自分に問うフリをしてる時間も勿体ない。「煩悩」界隈だ。それしか無いとまで言える。であれば、痩せても枯れても高校男子。脳内で展開させたことのあるシチュエーションに沿って探せば……なるっ。


 極限まで、脳の演算速度が上がったような感覚が俺の脊髄以高を貫く。「いや」「だめ」「ちょ」「まっ」「はう」「あっ」「うん」「そこ」「いい」「きて」「えっ」「ああ」「あぁ」「ぁあ」「んや」「っふ」「らめ」「ぇえ」「ええ」「えぇ」「いっ」「いく」「ぅう」「うっ」……ッ!!


 待て。そうまでは行かないか。そしてそういうことでは無いような気がする。何より今ここで平常心を自家発電により振動させてどうする。目の前で未だ頬を赤らめつつこちらを無意識に上目遣いで見てくる可憐顔と至近距離で相対していることもあり、何て言うかの何て言うか感もある。だが今ので免疫を少し得ることが出来たと、言えなくも無い……本人の口からどのように為されるかは未知ではあるが、先ほどのように不意打ちの一発を喰らって昏倒、とまでのインパクトは最早あり得ない気がした。大丈夫、俺は受け止められる。


 「一本」が六割削られるルールだった。けったいな率だが、仮にそれが柔道のそれを模していたとして、それ以上は無いマキシマムという推測は出来る。彼我点数状況は改めて確認したが、「5,000対20,000」。「二の矢」素点がさらに「5,000」加わるのならば「10,000対20,000」。そして「一本」を喰らったのならそれが「10,000対8,000」となり俺の逆転負けとなる。だが仮に「技あり」とかその下のレベルにとどめて受け止めることが出来たのなら、負けは無いはず。つまりは先ほどの奇襲攻撃により揺らされた、あれよりも「平常」を保つことが出来た時点で勝てるってわけだ。


 手の内が知れてしまえば、余裕のような気もしてきた。なんせ「二文字」。いかな言の葉部部長でも、その短い単語では流石に何を込めるも無いと思われた。


 であればあとは呼吸だ。呼吸を落として冷静さを取り戻せば、揺らがない盤石の「平常心」を築ける……そうだ、俺の青春は、他ならぬ俺の手で切り拓かねばならないのだから……ッ!!


「おお? 持ち直したなぁー、やっぱ陸上とかやってるヒトはそな集中力とかも凄いんかなぁ、ま、ま、じゃあ準備整ったところで、ミサ、オープンしてぇな」


 相変わらず、つつが無さすぎる無藤の仕切りにて最終決戦の幕が遂に上がる……ッ!! と言うか俺が陸上部だったってことを知ってたのか? 何か……全部が全部仕組まれていた、までありそうなパサパサした空気感に一瞬喉奥がぐっと鳴りかけるが、今は考えるな。と、


「ちょ、ちょっとやっぱり無しで……なんか恥ずかしくなってきちゃって」


 いきなりわたわたが激しくなったかと思ったら、ツヤ感が並みのグロスより多分にある薄桃色の唇からそのような言の葉が紡ぎ出されてきたのだが。ん? どうしたんだ?


「どしたんミサ? 不戦敗になるで? そしたらもうそこの目ぇ血走った先輩とこの後に何や名ばかりの履き違えた夢の国へと同伴促されても断りきれへんことになるやもやで?」


 無藤にも意外なことだったようだ。てゆーか促しはしねぇーんけどなぁ、どんだけだ。


 あ、や、でもぉ……のような教科書通りのもじもじを見せる御仁なんだが、それを盤外戦術として使っているのならば、フッ、もう俺にはそんな同じ技は通用はしないぜ……ッ!! 「言の葉」を発しないのであれば。であれば勝ち名乗りを受けるまでだ、と謹んで姿勢を正すものの。


「ミサ。ひとつ言うといたるわ。ここに集まったる面々はそれぞれが色ーんな事情とか何やらを持ってここにおるけどなぁ、みんながみな一律、思とることがある」


 はじめて真っすぐな目をした、と、俺には見えた。普段はその軽い物腰や人を喰った態度とかで偽っているかのような無藤のそれが、はじめて。そう言えば、俺は何も知らない。ミササギ部長が何故にこのような……まあ言ってしまえば常軌を逸したように思える部活をやっているのか、とか、無藤とか一之瀬がそれに乗ってるのか、あと他の奴らが、下心はもちろん底辺には存在しているだろうが、こうまで集まっているのか、とか。


「……どうしようもなく『言の葉』に惹かれてる、いうことや」


 図らずも、俺が最初の自己紹介の時にスカスカな精神にて言い放った事と、似ていた。「言の葉」。「言葉」とはまた違う響きの……意味合いの「言葉」だ。それって一体……何なんだろうか。が、それは今は分からなくてもいい気がしていた。目の前で上気した顔が途轍もなく魅力的に輝いて見えたから。力強く頷くと、そうだよね、恥ずかしいとかおかしいよね、だってそれに惹かれてるんだもんね。それでもって、それを色んな人に伝えていけたら最高だもんね、というような軽い鈴が転がるような「言の葉」は、確かに俺を揺さぶっている。が、揺らされてはいるものの、それはもう呑み込めるような「揺れ」「揺らぎ」だった。俺も大きく息を吸い込み落として、それを昂揚しながらも凪いだ心にて受け止めることが出来ている、気がした。


 これが「言の葉」か。


 悟ってしまうには早すぎるような気もしたが、受け止め方も色々なんじゃねえかとかまで思わされている。思ってた以上に深いんじゃねえか、とも。よし。


「それではオープンしますっ」


 そんな一種の清々しさを感じさせる空気の中、周りの奴らののめり込む熱気もプラスして、局面は確実に最終のものへと踏み込んだ。赤らめながらもいい笑顔の御仁と真っ向から向き合う。絡まる視線。よし来い、ミササギさん……と俺が殊更にいい顔を作ってその放たれてくる「言の葉」を受け止めようと構えた。その、


 刹那、だった……


「えっと……【ち】【つ】」


 衝撃が、完全に俺の身体を貫いてから、それがそうだったのだと気づかされた。そのくらいの威力だった。凍り付いた静寂の中、間抜けなプー音だけが、この重力が増したかのように思える視聴覚室に響き渡る。


「……いっぽぉ~ん、『10,000対8000』でミササギ部長の勝ちぃ~」


 待った。待った待った。


「今のは物言いだ。そんな暴虐は許されない、許されるはずがない」「ルールには全っ然抵触はしてへんでぇ。ていうかここまで完膚無きまでに平常心を揺らされといてそれでも食ってかかれるメンタルが逆に凄いわ」「いやいやいやいや? ルール? だと? そもそもお題に合致しているのかこいつはよ?」「あぁん? 先輩が妄想した通りやで『桃色』ぉ、誰のんを想像したんかは知らんけど、おおかた合致しとるはずやがなこれ以上ないまでに」「分かった、分かったからそれ以上は言うな。じゃあそこは置いとくにしろ何だ? 淫語を美少女に言わせる系の奴じゃあねえんだぞ。これが『言の葉』か? 言の葉の本質について物申したい」「本質本質言うとる割には、まったくもって御門違いの論点すり替え御見事やなぁ。どう受け取るかは各人次第。それがこの『KOTONOHA』の奥深いところでもあり本質や。多様性、そういった言葉で括れば満足ですかいやろかねぇええ、淫語マスター♡カブラヤ殿ぉ?」


 やろうッ、と無藤の安い嘲りにも軽く揺らされてしまった俺は、その蠱惑的かつイラつく笑みを貼りつかせたままの小顔に喰ってかかろうとするが、後ろからモブ野三兄弟に「殿中でござる」との意味不明な掛け声と共にやや過剰気味に押さえつけられると、両腕を手際よく極められながら長机の汗をかいたペットボトルが呈した水たまりの中に顔を擦り付け固められるに至る。


 それを当事者ながら精神的には遠巻きに俯瞰しているかのようなそんな立ち位置のミササギ部長から出てきた「あわわわ」という言の葉に本当にそんなの発する人間がいるのかと思わせられつつも、見下ろしてくる上気した顔とその顔を遮らんばかりの峰を焦点に結ぶに至り、遂に俺の言語野を含む大脳の大部分がオーバーヒートを醸し出してきて、そして俺は考えるのをやめる。

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