Parola-03:不穏……そレは、厳然とあルがままノ諸空間。

 目指す視聴覚室は、普段の教室のある本棟に直結した形で建てられた別棟の三階。位置的に逆側にあるために移動にはそれなりの時間はかかる。が、校舎丸ひとつ分を横切るのも、階段を上るのも特に苦では無かった。教科書参考書がそれなりに詰まった黒リュックも、松葉杖を突きつつなお軽やかになり過ぎる浮き足を絶妙に地に着けてくれているようで。それよりもあくまで「コトノハ云々」に純粋な興味を持ってやって来ましたよ感を出すにはどうしたらいいのか、それを道々考え脳内シミュレートを終えておくことの方が重要だ。


 日本語の包括力について、という私見を頭の中で千二百字くらいにまとめた俺は、まるで人の気配がしなくなった三階廊下の、節電のためだろうか蛍光灯がひとつ飛ばしでも無く、無秩序にまばらに間引きされた薄暗い空間でしばし立ち止まる。本当にここでいいのか? 寂れすぎでは? そもそも視聴覚室って本棟にも設置されてるからこっちのを訪れるのは初めてな気がする。気がするついでに、不穏と不安がないまぜになったような非常に嫌な予感も、この静まり返った空間を漂い始める。


 まああまりメジャーとは言えない部活動だ。そんなもんだろう、というような呑み込み方にて流した。窓外で揺れる桜の若葉を陽光が舐めるように揺らめき光り、落ち着いた良い雰囲気とも思える。そんな中で、人との距離の詰め方を少し見誤っている女子ともし二人きりにでもなったりしてみろ、何かしらの間違いが起こってしまうこと、その可能性は無きにしもあらざらむこと山の如しなのでは……ッ!!


 爆発的な演算能力を呈し始めた己の大脳を、レース直前によくやっていた肚底まで落とし込む深呼吸にてクールダウンさせると、あくまで部の見学に来ました体の顔つきに改める。入り口は、図書室のと同じような重そうな見た目の扉だ。こちらは真ん中辺りにガラスの覗き窓のようなものが切られていて、そこから室内の様子が少し見通せた。照明は点いているからやっぱ此処でいいようだ。よし。


 ちょっと日本語、って言うか言葉、「言の葉」? ってやつに興味惹かれたから来てみた。何も分からないけど、分からないなりに調べてきたことがあるんだ……


 脳内でそのような言の葉を紡ぎつつ、杖の角度を変えてやや前方向け突きつつ左手で扉を引き開ける。雑念の消えた顔に、なっているだろうか。多分あのコは食いついて来てくれるだろうが、その中でもクリティカルな第一声と、なっているだろうか。百八つの想いを秘めた俺がぐいと第一歩を、そう、ここから始まる第二の青春へ向けて踏み出していった、正にの、その、


 刹那、だった……


「デャハハハハハッ!! そこまでのようっちゃりきねッ!! がっつぁれらオレの手番がばッ!! フォイフォイフォイフォイ、ふた文字リリースからのクイックネスドロアー、<カイ>ェァ!! そんでごつそんまま『言語野の狭間』に正位置セット&即時発動ぉァッ!! はッ!! こいつでッ!! おんだらちは小学三年以上で習う常用漢字をもう使用することは出来ないがばッ!! 圧倒的ッ!! オレのッ!! 勝ちだいねッ!!」

「デュフフフフ……!! そう来るのは最早読めているどころか視えている未来でありまして、何なら光速を超えて事象が先に出てしまうまでありましたぞ……? レイテスト発動、タイプ『四字熟語フォーシークエンス』、デュホッフ、漢字を主軸に置くのならば、『むしろ低学年で習うものの方が根源的な強さを有している』ということを肝に銘ずるべきですゾナ★ コォーポッポッポォ、トラップ発動『封印ザニマの剣』がッ!! 二刀流さらにの二乗でタイプ一致ッ、イズいつもの四倍ッ!! そうだキミをうわまわる『1200コトノハ・力』へッ!! そして夢幻へと拓けニィハウマーッ!! 『花』ッ『鳥』ッ『風』ッ『月』ぅぅううううッ!! だぁぁぁぁッ!!」

「そ、そんなバカ……な、ウギャアアアアアアアアッ!!」


 えっと。


 部屋を間違えたかな。あるいは異世界への扉を開いてしまったのだろうか。右手には巨大なスクリーン、左手にはずらと並ぶ二人掛けの机がある光景は、ごくごく普通の視聴覚室を想起させたが、その中で繰り広げられていた二人の男子生徒が机を挟んで面しながら何やら奇声やら奇妙な身振り手振りやらを繰り出している「大騒ぎ」としか表現しえない事象が、俺の視聴覚を小刻みに鮮明に苛んできていた。何だってんだろう、この異空間は。


「……アメンボァー、アカイナァー、アァイーッウエオォウッ」


 と、その後方の席にて、その喧噪をまるで意にも介せず、背筋を伸ばした非常に良い姿勢にて、手元のスマホから流れる音声に合わせて自らもたどたどしい日本語を紡ぎ出してる奴もおる……褐色の彫りの深い顔はパーツパーツは整っていると言えるが、いかんせん黒目がち過ぎる上にいびつなクローバーの形をした短髪カーリーヘアが乗っかっているというけったいなワンツーパンチが見る者の網膜に左、からの右を撃ち込んでくるようなビジュアルであり。やはりここは噂に聞く学校の七不思議空間なのかも知れない……


 そんな刹那、


「あれ、キミだったのかぁ、新入部員って」


 視線を下げて息を殺し、今までの一分間くらいを無かったことにしようとしつつ静かに扉を閉めずらかろうとしていた俺に掛けられた声は、何かこちらをひどく落ち着かせてくるようなそれは落ち着いたバリトンだったので、一瞬そちらの方へと目が行ってしまった。


「一之瀬?」


 思わず喉奥から出てしまった呟き未満の俺の声に、廊下側壁際の席に横座りしながらスマホをいじっていたツーブロックが、整った顔に微笑を浮かべながら立ち上がり、こっちに来いと手招きしてくる。細くてでかいな。ほんのり日焼けした細面はムラ無くつるりとしている。間近で見るのは初めてだが、噂に違わぬイケオーラだ……我が校のバスケ部で一年の時から不動のスモールフォワードを張り、群雄割拠の都大会を勝ち抜いて去年インハイまでチームを導いた、「一之瀬 フカト」の名前を知らない奴は学内にはいないはず。が、何でそんなスター様がこの虚次元空間にいるのかは不明だ。


鏑谷かぶらやおつかれ、手術大変だったそうだな」


 そのイケ男が促した適当な席に腰かけた俺に、あまり面識無い割には結構距離を詰めた物言いで話しかけられる。すげえコミュ力だな、それは自分自身の自信から来るものだろうか。その間合いの取り方はミササギさんと似ていなくも無い。いや、あちらのはもっと、あの、アレか。とにかく俺の方も何となく話しやすい空気を醸し出してくれている。そんな俺らの周囲にてコミュ力カケラも無さそうな面々が、机の陰に身を隠しつつ遠巻きに発してくる部外者に放つ小動物が如き警戒オーラが非常に気障りではあるが。


 ああまあ何とか、とその辺は濁すに留めて、一之瀬の方こそ何こんなとこでやってんだよ都大会もうすぐだろと話をそちらに向ける。いやまあ何て言うか二刀流っつうのが今の流行りだろとか、いきなりスカスカしたような言葉を放って来た。どうした? いつも余裕の微笑を浮かべている印象のあるこいつが……との思いに達した瞬間、俺にはその動機のようなものが垣間見えたような気がした。と、それを察せられたか、鏑谷はどっち狙いなんだよ、との共犯者のようなツラをされつつ、同時にマウントをも取ろうとして来るかのようなニヤリ顔にて問われたのだが。「どっち」? 予期せぬ単語を受け、眉間に皺が寄ろうとしたその、


 刹那、だった……


「あれ、ほんまにおるやん、さっすがやなー、ミサの勧誘能力はぁ」


 入り口の方から、ぽんと軽く投げかけられる声。ミササギさんのあの甘くねちっこく吸い付いてくるのとは真逆と言えなくも無い、からりとした、例えるなら柑橘類のような爽やかな声。脊髄反射的にそちらを見やると、そこにはコンビニ袋を提げて佇む女子の姿があって。すらりとした細身の身体。地色かどうか判断しづらい絶妙な焦げ茶色のショートは耳が半分くらい出ていて襟足もばっさりいってるが、活発さみたいなのを前面に押し出して来ている反面、ふわり空気を孕んだ感じは女子感をも見事に共存させている。そしてくるくると動きのある大きな瞳と、それにそぐわなそうでそぐっているアンニュイさを醸したアヒル口……その背後から姿を見せたミササギさんと好対照な感じの女子だ。何だろう、この場は。


 わぁ、本当に来てくれたんですねっ、という弾んだ声と弾む灰色の何かを鼓膜と網膜とに同時に受けて今までの不穏さなど脳内で微塵に霧消されていく俺だったが、ふと周りを横目で窺うと、関西弁女子とイケ男からは冷笑じみた微妙な視線と、他の三人からは純度の高い敵意を向けられていることに気づく。


 うん……これが「コトノハ部」とやらなんだな……思てたよりだいぶ混沌寄りのアレだな……


 自らの精神の立ち位置を完全に見失ったまま、真顔からどんな表情に切り替えていくべきかをも思い悩み立ち尽くすがままの俺がいるわけで。

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