第4話 ルビィさんの軽乗用車はウサギのマークが付いていた

 食事の後、僕達は再び黙々と作業を続けていた。


 作業している原稿の事で、ちょっと気になる事があったのでルビィさんを呼んだら、返事が無かった。


 ふと見ると、ルビィさんはいつの間に机に突っ伏したまま眠っていた。


 ちょうど原稿が一枚終わった所で気が抜けて眠気が襲ってきたのだろう。


 ルビィさんは徹夜続きだったから、相当疲れているだろうし、僕はこのまま、そっとしておく事にした。

 

 僕は1人、終電に間に合うギリギリの時間まで黙々と作業を続けた。


 ルビィさんを起こしたく無いから、ほんの僅かでも物音を立てたくなかったんだ。


 しばらくしたら、ルビィさんはぱちんと目を覚ました。


「あ、ごめん落ちてた……」


「いえ、大丈夫です。こちらの作業ももうすぐ終わりますよ」


「え、本当?早いね。琥珀こはく君、繊細なのに仕事早いのずるい」


「なんですかそれ」


「褒めてるの……いちお」


「一応ですか」


「そ。ま、私に比べたらまだまだだけどねー」


「はいはい」


 そんな感じで、僕とルビィさんは2人で笑った。


 そして、僕は帰る時間になった。


 ルビィさんは、ちょっと待ってて……と言って部屋を出ると、ヘアバンドを取って髪を下ろし、ジャージの上にカーディガンを羽織って、マスクをして戻ってきた。


琥珀こはく君、今日はありがとう。おかげで後は1人でも今日中に終われそう」


「良かったです。明日はゆっくり寝れますね……せんせ」


「こら」


「あ……えと、ルビィさん」


「うん、よろしい。じゃあ琥珀こはく君、駅まで送って行くね」


「はい、ではお願いします」


 僕は先生の運転するウサギのマークが付いた軽乗用車の助手席に乗った。

 確か、車の名前もフランス語でウサギを意味する言葉から来ていたのだと思う。


 ルビィさんらしい可愛らしい車だな……と僕は思った。


 ルビィさんの運転する車の中で、僕はルビィさんが居眠り運転をしてしまわないかと気になって、ちゃんと起きているかを心配していたけど、その必要は無かった。


 ルビィさんは運転中、あれ?とかおかしいな?とか言いながら運転していて、僕はむしろルビィさんちゃんと駅につけるんだろうかとそっちの方が心配になった。


 とは言え、ルビィさんの運転する車は無事に駅まで着く事が出来たんだ。


 ルビィさんは駅のロータリーで車を停めた。


琥珀こはく君、今日は本当にありがとう。最初はどんな人が来るのか不安だったんだけど、来たのがキミで本当に良かった」


 そう言って微笑んだルビィさんを僕は、とても可愛いと思った。


「本当ですか……ルビィさんにそう言って貰えると、とても嬉しいです」


 彼氏とかいるんだろうか……僕はふとそんな事を考えた。


 もちろん僕は、元々今回だけの助っ人で来たのだ。


 もうこの先、ルビィさんに会う事は無いかもしれない。そう思うとなんだか切ない気持ちになった。

 そんな事を思っていると、ルビィさんは少し下を見て指を絡ませながら、こう言った。


「それでね、琥珀こはく君、もしキミが良かったら……なんだけど、また手伝いに来てくれないかな?」


「えっ……良いんですか?」


 それは願っても無い言葉だった。

 またルビィさんに会える……それだけで、僕は胸が高鳴るのを感じた。


「うん」


「ぜひお願いします。また来たいです」


「ほんと?じゃ、担当の黒曜こくようさんに伝えておくね」


「ありがとうございます……あ、でも良いんですか?確かルビィさんのスタジオは男子禁制って……」


「ふふ、琥珀こはく君は特別。それにキミはもう、私の部屋の秘密を知ってしまったじゃない。……あ、絶っっっっ対に、私の部屋の事は他の人に言わないでね」


「わ……わかりました」


 やはり、汚部屋なのが男子禁制の理由なのか……


 ともあれ、またルビィさんに会いに来られる事になったのは嬉しい。

 次に、アシスタントに来るのはいつだろう。

 明日から毎日、その日が待ち遠しくなりそうだ。


「あ、琥珀こはく君、もう行かないとだね」


 ルビィさんにそう言われて僕は腕時計を見た。終電の時間がせまっていた。


「あ、ほんとだ。急がないと。じゃあ僕、行きます」


「うん、今日は遅くまでありがとう。おやすみ」


「おやすみなさい」


 僕はそう言って、車から降りると助手席のドアを閉めた。


 僕が駅の中に消えるまで、ルビィさんは車を出さずに見送ってくれた。


 帰りの電車の中で揺られていると、編集の黒曜こくようさんからメッセージが届いた。


 黒曜こくようさんもこんな時間まで仕事なのか……大変だな、と僕は思いながらメッセージを開いた。


『延長してもらったみたいでごめんなさいね。翡翠かわせみ先生の所はどうだった?』


 そうか、黒曜こくようさんは僕が終わる時間を見計らってわざわざ送ってくれたのか。


 もしかしたら、男子禁制のルビィさんの所に男の僕を送り込んだ事に責任を感じて、僕が変な事をしようとしていないかと気にしていたのかもしれないけと。


 僕は、楽しかったですと答えた。


『楽しかった……か。それなら良かったわ。さっき、翡翠かわせみ先生から連絡があって、良ければまた紅榴こうりゅう君にアシスタントをお願いしたいと言う事よ。あの先生にそんな風に言われるなんて、滅多にないんだけど紅榴こうりゅう君、よっぽど信頼されたのね。先生にはもう伝えてあるかも知れないけど、こちらからもまたアシスタントをお願いして良いかしら?』


 僕は、「もちろんです。こちらこそ、ぜひまたお願いします」と返した。


『分かったわ。じゃあまた後日に連絡するわね』


 僕は黒曜こくようさんからのメッセージを読み終え、スマホの画面を閉じた。そして、終電で人の少ない電車が駅に着くまで、窓から流れる夜の東京と言う街の景色をなんとなくぼぉっと眺めていた。



 そう、それが、僕とルビィさんが出会った日の出来事だったんだ

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