第40話 誘い【前】

 ラカド=アンマータの西に隣接する王都ギノリ。

 緩やかに楕円を描く外壁に囲われたその空間は壁に近いほど低い建築物が、中心に近い程高い建築物が集まっている。

 中央よりやや南に巨大な王城を構えるその王都の一角として、王国八傑のそれぞれが構える屋敷がある。

 王都南西側にもその一つがあり、現在はその主が内部で羽を休めていた。


 レミネス・ホイリィ。

 彼女は王国八傑にして“烈剣”の異名を賜る。

 子爵令嬢にして齢23の彼女は、未だ独身でありながらも実家からの独立が許されている。

 彼女は幼い頃よりの叩き上げで、王国騎士の最高位の一つ『聖騎士』へと至ったからだ。


 騎士の鑑として、見習うべき存在として多くの支持を集めている今の彼女ならば引く手数多であり、促さずとも良い相手を見つけてくれるだろう、と子爵家は手放しにする事にした。

 その為に、屋敷に自身と使用人と部下しか置いていない現在の状況も暗黙の了解の上である。


 入念に手入れの施された白く輝く装備の数々を飾るように置いている寝室にて。

 純白のキャバリアブラウスと黒のペンシルスカートを着用した、豊かなS字を描く優雅な姿をしたプラチナブロンドの美女は、その青い目で今日の新聞の内容を黙読する。



「グリム・カラーズと使い魔ベントネティ、か…」



 記事に記載されているのはラカド=アンマータを主な拠点として活躍する奇妙な冒険者と従者のコンビ。

 その噂は、王都周域を主な活動範囲とするレミネスの耳にも入ってきている。

 王国の新たな希望になり得る存在の情報を前に、顔色一つ変わらない様子が、それを証明している。



「あんな目立つ外套を着る種族も、黄金の、それでいて整った姿形のゴーレムも見た事も、聞いた事も無い。一体何処の国から来たのやら」



 記載の内容には、執筆した記者も素性がよく分かっていないと思われる記述が少々含まれている。

 レミネスもあれこれ推測を立てるも、その一つ一つに矛盾点が生じ、思うように上手く行かない。


 埒が明かないと思った彼女は一先ず彼らの正体、生まれ故郷について探るのは先送りにして、彼らの問題点――紙面には一切書かれていないが――の原因に目を向ける事にする。


 問題点とは、グリム達に唾を付けておこうと裏社会に屯する組織が動いている、という事。

 列強の一角として繁栄している反面、その腐敗も少なからずある。

 腐敗の象徴と言える非合法組織もあれば、自分達の立場を弁えた上で裏社会の秩序を築こうと躍起になる者も居る。

 そんな連中が雁首揃えて、新しく来た珍しい冒険者に絡んでいるのだ。


 その旨の報告も複数上がっており、英雄格、つまりは社会の表側に属する人間の代表の一人である彼女は申し訳無く思う。

 だが、その接触した者達の一部が姿を消したとも報告が上がっており、それを無視する訳にもいかなかった。

 消えた連中の共通点は、度重なる交渉を跳ね除けられ強硬手段を取った出しゃばりである、という点のみ。



「早々に見切りをつけた大勢の者達は姿を消していない。…尤も報告に上がっていないだけ、というのもあるが。別派閥同士での抗争は連中にとっては日常茶飯事でもある。都合よく口実にされてしまったか」



 これから本格的に接点を得る以上、どのような――例え下らない情報であったとしても――逃さず収集に努めようとしているレミネス。

 だが、そんな彼女の周囲には接触してきた連中をグリム達が直接手を下したという証拠や報告は


 そもそも、接点が無さ過ぎるのだ。

 絡まれた程度で手に掛ける、掛けられてそれで終わりになるのならこの世に裏社会の組織など蔓延っていない。

 それならば、同業者が行儀の悪い団体へと牽制と脅しの名目で手に掛けた、と考えるのが自然である。


 接触した連中の言動に問題があったのか。あるいは所属そのものに問題があったのか。

 何か良からぬ事が何者かによって起きたのは確かなのだが、直接それを見聞きした訳でも、彼らの動向を探っていた訳でも無いので分かる道理は無い。



「こうなる事を分かっていて、彼らは繋がりを持つ事を拒否しているのだろうな。何処かに属しているのなら今頃こうはなっていない」



 仮に繋がりがあったとして、それを公表するメリットは皆無に等しい。

 裏社会の者とつるんでいる、などと口を滑らす冒険者に向けられる世間の目というものは辛辣なもので、当然ながらそんな冒険者に舞い込んでくる依頼は極端に数が減る。


 実力が未知数な冒険者ならば尚更。



「率先して問題を起こそうとしている訳では無いらしいな。他の冒険者に食って掛かる事もなく、受けた依頼も卒無くこなしている。ただ良くも悪くも目立っているという事か」



 新聞の紙面には、他の冒険者とは基本相互不干渉を貫いており、簡単な質問に答える程度には交流がある事、またクエストで得られた報酬については彼の独自の計算に基づいて正当な質と量を貰えるようギルドに掛け合っている事なども記載されている。


 危険な団体、人物から接触を受ける事が多い為にグリム達は危うい印象を抱かれているが、それだけである。

 連中からの誘いを断った、その先に何があったのかまでは当然ながら事情を深く知らない人間には知る由も無い。


 直接指名する依頼こそ舞い込んでは来ないものの、ギルド内で受けられるクエストを受ける事が出来、またそのクエストの全てを難なくこなしてみせてさえいる。


 まず間違い無く、王国の高ランク冒険者の一人として名を連ねる事が出来るだろう。

 それだけの素質があると見て間違いは無い。

 だが、そうなると懸念事項になるのがその危険な団体に容易に接触を受けている現状だ。



「今のこの状況で裏社会の組織一つを潰したとなれば、連中も自重するだろうか」



 現状の打開策があるとするならば彼ら自身の努力か、外部、それも権力者からの干渉のどちらかがほぼ必須となる。

 新聞の紙面より目を離した彼女の目の前にあるのは、以前より調べていた非合法組織の情報を書き連ねた書類の数々。

 彼女の口元には王国に潜む闇の一部を取り除ける、という確信めいた笑みがあった。



「…ふふ、我ながら一冒険者にこうも干渉しようなどとはな。だが、知っておきながら放置など出来よう筈も無い」



 どうせなら彼らに加わってもらう事で、彼らを悩ませる面倒事も取り除いてしまおう。

 そこに下心など無い。ただ、王国に少なからず貢献してくれている者への親切心があるのみ。




 念の為、屋敷で待機していた部下の何人かに声を掛け同行してもらったが、グリム達との合流で威圧感を与えてしまわないように、と少し離れた所で見張りをさせている。

 あくまで他言無用の依頼内容、となる為に、純白の鎧姿に着替えたレミネスは集合場所となる人気の無い裏通りにて彼らの到着を待つ。


 手入れが出来ていない為に薄汚れている印象を抱くその場所に、髪も鎧もしっかり手入れをされた一人の美女が佇んでいる光景は、難易度の低い間違い探しと同様に違和感を覚えやすい。

 そんな彼女へと、特徴的な足音が二つ近付いてきていた。



「レミネス・ホイリィというのは君かな?」



 明るいが何処か影のある声が、彼女へと声を掛ける。

 彼女が顔だけを向けた先、目の前に立っているのは、大雑把に色を付けたようなカラフルな外套姿の青年。

 体の大部分を覆い隠しているが、その特徴的な色合い故に隠密行動には向かない、と彼女で無くとも確信出来る。



「そういうお前はグリム・カラーズか」



 彼らに気付かれない程度に《魔力感知》を試みるも、彼ら以外の反応は見受けられず付けられてはいない、と理解した事でようやくレミネスも口を開く。

 次に彼女の目に留まったのは少し頭を上げた事で角張った頭部が見えた、黄金の巨人。



「そして、背後に居るのがベントネティと」


「そうだよ。お互い初対面なのによく知っているね?」


「個性的な容姿、能力を持つ冒険者の情報は私の元にも入ってくるのでな」



 知った経緯を隠す必要など無い。クライアントの立場になるならば尚更。

 グリムは納得した様子で、どういう依頼なのかを尋ねる。



「で、依頼というのは?」


「その前に自己紹介をさせてもらう。私の名はレミネス・ホイリィ。王国八傑”烈剣”の名を賜る者だ」


「それって、自分で決めているのかい?」


「まさか。自分で決められるならもう少しマシな異名にしているさ」



「そうなんだね」と相槌を打っているが、先程より感情の起伏があまり見受けられない。

 本題に移る前の取り留めの無い会話だから、というのもあるだろうが、王国八傑を前にする以上はある程度緊張していても可笑しくは無い筈だ。


 此処に来る前に場数を踏んできた猛者なのか、あるいは――疑問が湧いて出てくるが、取り敢えずは聞かない事にして彼女は本題に移る。



「さて、依頼について説明させてもらう。まず、お前たちに受けてもらう依頼は、この王国に蔓延る違法薬物の根絶だ」

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