第41話 誘い【後】
彼女の言う違法薬物を主に取り扱っているのは、寝室に置いていた書類に記載されている非合法組織である。
王国八傑の権限を持ってしても決定的な証拠を見つけられなかった程に手強い組織だったのだが、つい先日にようやく証拠を入手した。
そこまで時間が掛かったのには当然理由がある。王国八傑、あるいは王国の有権者たる貴族が一枚噛んでいる可能性が高い。
何故なら、単純に莫大な利益を得られるからだ。
恵まれた地位に居る人間が更なる富を、とハイリターンの得られやすいビジネスに手を出すのは至極尤もな話である。
例えそれが、非人道的、非合法的であったとしても。
「元々は医療行為の一つとしてごく少量、適切な方法で投与されるものだったのだが、量を増やすと副作用として幻覚や幻聴などに精神を蝕まれる劇薬であってな。無論技術が進歩した今では医療の場で用いられる事はまず無いが」
「なるほど。分かりやすく危ない薬なんだ。で、僕らでそれを無くそうと」
「ああ、そうだ。公にしようものなら逃げられる可能性が高い。そこで、信頼に足る冒険者に協力してもらいたい、と声を掛けた訳だ」
「僕らの他に声を掛けた相手は?」
「今は居ない。お前たちが最初だ」
「ふーん……」
グリムは顎に手を当てて、少し考えるような素振りをする。
尤も、グリム達に声を掛けたのは単に信頼に足るというだけでは無い。
「信頼に足ると言うなら、別に僕らじゃ無くても問題無いよね? 他に理由があるんでしょ?」
「ああ。…近頃お前達、特にベントネティの所有権を奪おうだの、金銭との交換だの持ち掛けてくる奴らが居るだろう。今回の依頼の報酬として、勿論物品も支払うが、私の権限でそいつらが近付けないようにしてやっても良い。どうだ?」
「それは良いね。……けど、信頼に足ると思ったのは何故かな? 僕ら口が軽いかも知れないよ?」
「本当に口が軽い奴ならそんな事は考えすらしないだろう。私はそういう所が評価に値すると思ってな。…それに、お前の相棒も随分と口が固そうな姿をしている」
そもそも口と呼べる部位が無いが、ベントネティが喋れない事まで知っている訳では無い。
だが、物は言いようというもの。
彼女の理由を聞いた途端、グリムは口角を少し上げて上機嫌な様子を見せる。
「…確かにね。良いよ、僕らは受けよう。他はどんな冒険者に声を掛けるつもりなんだい?」
「流石にそこまでは言えない。あくまで候補者に過ぎず、それ以前に大事な客人だからな」
「それもそうだね」
最初の協力者が確定した所で、レミネスは笑みを浮かべる。
何にせよ彼らに首を縦に振ってもらう事が最優先事項であった為に。
◇◆◇
夜。
冷えた空気と月光とが差し込む格子の窓の中。
そこには細い通路と、その左右に配置された数多くの牢屋が配置されている。
牢屋があるのは、入れられる存在が居るから。
入れられた存在は全て、人間とは程遠い。
丸まって眠る、上品な黒の体毛を持つ猛獣が居る。
歯や目玉らしきものが見えるだらしのない見た目をした肉塊が居る。
そして腕と翼とが一体化し、鳥の足を持つ少女たち――ハーピーも居た。
収容されている者達の足には、可動域を制限する鎖と鉄球が繋がっている枷が付けられている。
赤や青など、個性的な色合いの羽と毛髪を持つ体の10人の少女達は3つ程のまとまりとなり、翼を広げて身を寄せ合って固まっている。
単純に夜風で冷えるからだ。
日光が殆ど当たらない石造りの牢屋は、彼女達にとって一人では耐えられない程に冷え切ってしまっている。
「もう少し…内側に来て」
「ありがとう、お姉ちゃん…」
「ふぅ…ふぅ……」
日常的に行われている暴力の痕跡が体に浮かび上がっている彼女達の翼はくすんだ色になってしまっており、所々羽根が抜け落ちていた。
そんな状態では翼に包んだところで十分に身を温める事が出来ず、体の震えを止められなかった。
人間至上主義を掲げるマゼン・ロナ王国に於いて、亜人の身分は非常に低い。
他国籍である事が判明している亜人ならばまだしも、自国領もしくは国籍の判明していない亜人達は奴隷もしくは使い魔を名乗る事しか許されていない。
だからこうして、人間に捕らえられてしまった、人間に近しい種族は猛獣などと同等の扱いを受ける事が日常となっている。
「ぐすっ……えぐっ……」
「おうちに帰りたい……」
この仕打ちに納得している者など居る筈も無く。
啜り泣く者が居れば、家を恋しく思う者も居る。
人間の都合を押し付けられて、不当に奴隷に貶められた悲しき少女達の姿がそこにある。
もし、彼女達に幸運があったなら、こうなる前に逃げおおせる事が出来ただろう。
もし、彼女達に実力があったなら、暴力に抵抗し自由を勝ち取る事が出来ただろう。
それらを持たないからこそ、理不尽にも似た現状を押し付けられる。
彼女達にはこうして身を寄せ合って寒さを凌ぎ、天に祈る他無い。
神様。
見ているならどうか。
私達をお救い下さい。
誰もがそう願った数秒後に、それを聞き届けたように差し込む月光が黄色く明るく染まっていき――。
牢屋の外から伝わる強い振動が入れられた者達をも大きく揺さぶる。
爆発。
轟音。
「う、ううっ……」
「私に掴まっていて…!」
「お、お姉ちゃぁん……」
逃げ場の無い状況下での耳をつんざく物音と地震は恐怖以外の何者でも無く。
身を寄せ合って姿勢を低くし、耳を塞ぎながらも振動を耐える事しか彼女達には出来なかった。
肉塊は小刻みに震え、猛獣たちは警戒を強めながら低い姿勢で原因を探ろうとあちこちを見渡している。
牢屋しか無い施設をも揺さぶった振動は徐々に収まっていく。
ようやく地震が止んだところでハーピー達は怯えた様子で辺りを見渡す。
「何が起きたの…?」
見渡しても鎖に繋がれた猛獣達が鉄格子の隙間から前足を伸ばしたり、吠えたりするばかり。
すると、荒っぽく鳴らした足音が施設に近づいてくるのが聞こえてくる。
「謎の爆発が起きた! おそらく敵襲だ!」
「くまなく探せ! 敵が何処かにいる筈だ!」
男達の怒鳴るような大声を聞き、ハーピー達は顔を見合わせる。
何かが起きたようだが、それが何なのかは皆目検討がつかない。
「皆、足の鎖が…!」
見ると、ハーピー達の枷に繋がれていた鎖が切断されており、その断面は赤熱している。
可動域の制限が無くなり、鉄球の影響も無くなった事でハーピー達は驚く。
そうなると次に気になるのが牢屋の扉だ。足で掴み前後に軽く揺らした仲間の一人が異変に気付く。
「扉が外れている! 私達出られるのよ!」
扉を外へと蹴り飛ばし、そこから仲間達が次々と出ていく。
他の牢屋に捕らえられていた仲間達も同様に、通路を駆け抜けて外に繋がる扉を押し開けて施設を出ていく。
ハーピーの姉妹はそんな都合の良い話があるのか、と顔を見合わせるも、行く他無いと決心し、彼女達に続く。
この施設さえ出られれば、羽ばたいていき自由の身になれる。
故郷へ帰れる。誰もがそう思っていた矢先―――。
―――希望は、無情にも奪われた。
「何してんだ、てめぇら」
月光が照らす夜闇の中、冷水をかけるような冷酷な声が、施設の外へ出てきたハーピー達の勢いを急速に弱めていく。
羽ばたこうとして、出来なくなった。総勢20人も居る亜人の少女達は夜風の寒さと恐怖で身を震わせる。
彼女達の先には全身鎧を纏う人間たちが隊列を形成し、槍を構えて距離を詰めてくる。
その奥からは鎧を纏う人間の1.3倍はありそうな体格の大男が近付いてきた。
傷だらけの顔は冷徹に目の前の少女達を睨む。少女達の自由を奪うには、それだけで十分だった。
「飼い主の俺様に逆らおうとは、いい度胸してるなぁ、おい?」
槍の先と大男が少しずつ迫るが、少女達はただ遠ざかるだけで何も出来ない。
それ以上何かしようものなら、死よりも恐ろしい苦痛が待っている。
ただただ見通しが甘かった。
鎖や牢屋の扉が無くなったくらいで、自分達が自由を得られたのだと勘違いしていた。
大男の手が伸びてくる。人間達から遠ざかっていた筈が施設の出入り口の手前まで戻ってきてしまっており、もう後退する事が出来ない。
「施設に戻るというなら、軽い罰で済ませてやる。――それを拒否したなら、分かっているな?」
どの道罰は避けられない。その軽い罰とやらも、程度が分からない。
誰もが打つ手無しと思った矢先、
『―――――――』
聞こえてきたのは生き物ならざる者の雄叫び。
大地を揺るがすその叫びを耳にした一同は全員耳を塞いだ。
「何だ、何が起きている!!」
大男が怒鳴るが、誰にも状況が分からない。
雄叫びが鳴り止み、周囲を見渡すと全身鎧を纏う兵士達の一人が指を差す。
施設の屋根上、そこに立っていたのは月光を背後に据える少女一人。
「誰…?」
ハーピーの一人が呟いた言葉に反応を示さず、蠢く闇のような彼女は沈黙を貫いたまま、その虚ろな紫の相貌で一同を見下ろす。
「誰だてめぇは。降りてきやがれ」
大男が命じるも、それにも反応を示さずに沈黙を貫き続ける。
「降りてきやがれってんだ!!」
大男が怒鳴るも、彼女は一切動じていない。
すると、彼女はゆっくりと左腕を持ち上げ、混乱するハーピー達に指を差す。
「あなた達はどうしたい? 助かりたいの?」
逆光を浴びたその体から確かに見える、虚ろな眼からは何の感情も感じ取れない。
ただ、彼女達のしたい事は何か、と問い掛けているのみ。
ハーピーの一人は恐怖に震える自身を抑え、今の精一杯の声を絞り出した。
「た、助けて、ください……お願いします………」
「分かった」
少女は人間業とは思えない程軽快に屋根を蹴り、飛んでいく。
あっという間に大男達とハーピー達の間に割り込んだ彼女は黒のポリスジャケットを羽織った腕を軽く動かし、構えを取る。
「あなた達はこれよりγ-ベルディレッセの庇護下に入る。安心して休んでいなさい」
まるで目の前の男達を敵だと認識していないかのように。
黒の少女はそう断言してみせた。
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