第24話 大鬼と闇鬼【前】
ブラックオーガという大型の魔物が居る。
漆黒の布切れを右肩から下げ、腰に巻く黒の巨体に、額から伸びる二本の角を持つ怪物。
逆らいようの無い種としての圧倒的な力を持ち、討伐に出向く者達を返り討ちにして、大勢の魔物を従えてきた。
人間と亜人の入り混じる街から東にある平地を根城として構えた。
街の連中など恐れるに足りないと、食い物を寄越さない連中に逆らう事はどういう事か教えてやると、準備を整え後は攻め込むだけの筈だった。
だと言うのに。
それだけの筈だったのに。
今、そのブラックオーガと部下達はたった一体の異形に追い詰められている。
何処からともなく現れ、白い正方形の数々を地面の上に展開した正体不明の紫色の怪物。
逃げようとしても白い正方形がそれの無い外へ出て行く事を許さない。
小さい爆発のような音が連続して聞こえてきたと思うと、次の瞬間にはゴブリンが、オークが蜂の巣にされ鮮血と肉片を撒いた。
右を見ても、左を見てもあるのは、規則的に並べられた黒く太い筒を持つドーム状の物体。
本体であろうドームを左右に動かし、筒を魔物達に向けている。
狙いを定める。筒から火を噴く。死んだら次。狙いを定める…を無機質に繰り返すそれらは非常に不気味に映って見えた。
狙いを定めてから火を噴くのにある程度の猶予があるみたいだが、物体達の正体が分からない魔物達からすればその猶予すら不気味であった。
向けられたら死ぬ。
それを数多の同胞の命を散らされてようやく理解した彼らから逃げようと思う意思は消え失せていた。
尤も、諦めたからと言って次に待つのは雷を纏う紫色の異形の殴打や、浮遊する黒き物体からの熱光線だったが。
何故、どうしてこうなってしまった。
オーガは身を震わせ、汗と鼻水を垂らして考える。
だが、納得のいく答えは出て来ない。
あり得るとするならそれは不幸な巡り合わせ。
単なる偶然が、このような結果を齎している。
大いなる存在という者が、我らに滅せよと命じている。
抗うな、己に待つ死の未来を甘んじて受け入れよ、と。
当然ながらブラックオーガに受け入れられる筈もなく。
激しく歯軋りし、吠えた巨体は次々と部下達を仕留めていく紫色の異形へ向け突進する。
振り上げた拳の中には、打撃を得意とする彼が最高傑作と自負している大きな金棒が握られていた。
紫色の異形はぎりぎりまで気付かなかったらしい。
マス目の上を突き進む黒い巨体を目の前に捉えた時にはもう遅かった。
そんな状況下になれば誰だって勝ちを確信するというもの。
ブラックオーガもまた、例外ではなく口角を上げた。
しかし、何かが作動したような乾いた音が鳴る。
他でもないオーガの足からそれは鳴り、彼は足元を見た。
そこには丸い何かが埋め込まれており、大きく踏み込んだ事で地上から顔を出していた。
これは踏ませる為にある物だとオーガは確信する。
次に紫色の異形を見た時には、既に後退しオーガから遠ざかっている。
やられた。遅かったのは俺の方だった。
気付いた時にはもう遅く。噴き上がる閃光と爆熱がオーガの体を包み込んだ。
《シードマイン》は設置型のスキルの一種であり、踏んだ相手の居るマスから十字状に計5マス以内の相手ユニットにダメージを与える。
接地している地上ユニットはともかくとして、常時浮遊しているユニットや空中のユニットにも命中する。
マディスのメモリーが正しければ効果範囲内のマスに移動すると《シードマイン》自らが飛んで起爆するのだが、今回は見る事が叶わなかった。
ただ、その十字状の範囲内に味方ユニットが居たところで、爆発に巻き込まれる心配は無い。
だが、あくまでそれは《マギア:メタリズム》での話。
確証が持てなかったマディスは起爆の間際にマス目を解除し、飛んで範囲から外れて、黒い大鬼の爆発を回避する。
吹っ飛んできた土の破片等を受けつつ、原型を留めている大鬼の姿を見て、中々丈夫だな、と思った。
流石に《シードマイン》一発では死なないだろう、とマディスはスペースノッカーの銃口を出し、倒れた大鬼に向ける。
しかし、10秒経てど煙を上げたまま動く気配を見せないので、呆気の無さを感じ取った。
「こっちも高耐久型と踏んでいたんだがな……」
《シードマイン》にも装甲貫通効果はあり、丈夫な装甲を持つ相手には劇的な効果を発揮する。
マッドフラワーのように一回行動の度に回復してくる者かと知れないと念には念を入れて挑んだ彼だが、待っていたのはクノスペヴォルフやアブノーマルウォッチャーの時のような一方的な戦いだった。
後はあいつらが片付けてくれそうだ、とマディスは生命反応が消失した大鬼から目線を外す。
その視界の先にあるのはこれ見よがしに子葉を生やした、太い筒のバルカン砲を備えた自動砲台の数々。
これらもまた設置型のスキルであり、《シードバルカン》という名称を持つ。
毎ターンの開始時や、設置したユニット自身やその味方が攻撃する度に援護攻撃を自動で繰り出す優れものである。
理不尽めいた回数の回復をしてくる相手への対策として新たに設置したものだったのだが、結局のところ本来の意図で活躍する事は無く、今は残党狩りをしている。
『やあ、マディス君。東の大鬼はどうだったかな?』
無機質且つ能天気な声がいつもの調子で聞こえてくる。
マディスは拍子抜けした直後だからか、苛立つ事も無くその声に返答した。
「念を入れて挑んだんですがね、倒す順番を間違えたみたいです」
『おや、それは残念。マッドフラワーを最後にすべきだったと』
「そうなりますね」
辺りを見渡すと、《シードバルカン》の数々が次々と魔物の肉体を撃ち抜いて、痛めつけていく。
マス目の展開以前より、そこまで機動力がある訳でも無い魔物達では《シードバルカン》を傷付けるより先に自分の身を傷付けるのが関の山だった。
暗い夜の中で硝煙だけが立ち昇っている。
鮮血で出来た液溜まりに沈み、体のあちこちに縁の焦げ付いた小さい穴を開けた魔物達の死体が散乱する。
誰がどう見ても、全滅と断言出来る光景だった。
「…終わりましたね。結局、《シードバルカン》の試し撃ち会場になってしまいましたが」
『まあ、勝てる戦いであるのは良い事だよ』
やり取りを続けていると、マディスの体内のレーダー機器が魔力の反応を捉える。
ベノメス達帝国軍人の識別方法は既にジナリアから叩き込まれている。
だが、その方法を参照するまでも無く、反応の正体が帝国軍人ではない何者かである事は明らかだった。
「ですが、悠長な事をやってる暇は無いようで。妙ちくりんな反応がこっちに向かってきてます」
『おや。私の分身はもうそちらに向かっているかい?』
見ると、ジナリアの分身が到着早々ブラックオーガの遺体を収めようとポーチに吸い込ませている様子が見えた。
「ええ。回収はどうにか間に合いそうです」
『終わったら直ちにその場を離れるんだよ。隠蔽システムも忘れないように』
こういう非常事態で的確な判断を速やかに下せるからこそ、マディスは忠誠を誓っている。
頼れる上司に感謝しつつ、マディスは撤収するジナリアの分身を尻目に激戦の痕跡を消去しにかかるのだった。
「ブラックオーガの反応が消えた! 急げ!!」
プルグレリス率いるブラックオーガの討伐部隊。
彼らは予めブラックオーガについて念入りに調べており、王国から託された球体型の魔導具にそのオーガの情報を収めて、専用のレーダー代わりに扱っていた。
その魔導具に表示されるオーガを示す反応が消えた事で、彼らは急いで現場へと向かっていた。
待ち伏せをしていたが、帝国軍人が来た痕跡は一切無い。
帝国所属ではない何者かの仕業と見て間違い無いだろう。
反応が消えた理由はプルグレリスが察していた。
オーガが死亡したか、王国はおろか魔導国に匹敵する隠蔽技術の持ち主と出くわしたか、あるいはその両方。
どうであれ、急がねばならなかった。
ブラックオーガが何者かに持ち去られ、また帝国軍人が凱旋する最悪の状況だけは避けなければならない。
また、その何者かの痕跡を掴まなければ、王国の進退に関わる。
(一体、どんな怪物が潜んでいると言うんだ!?)
この西大陸に於いて、王国の目を欺く事の出来る国は限られる。西大陸の西側に存在する列強二国ぐらいだ。
だが、その二国は中立を貫いており、西大陸内での抗争があったとしても、王国が幾ら横暴を働いていても、直接的な被害が無ければ介入する事はまず無い。
よって、あり得る可能性からは外れる。故に帝国に与する何者かの正体が分からない。
プルグレリスは、少ない材料でその何者かの目的を探る。
何の利益があって。それは恐らくラキンメルダの世界的鉄鋼技術を欲しての事。
だが、何を理由に帝国に味方するのかが分からない。
王国や魔導国並みの技術を有するのならば、彼我の差がはっきりしている帝国に味方するなど矛盾している。
数多の犠牲は覚悟の上で、その怪物の正体と目的を探らねばならない。
備えはあるが、それが通用するかどうか、プルグレリスは王国の索敵技術の通じない現実を見て自信を打ち砕かれていた。
ようやく、ブラックオーガが主要拠点としている場所へ辿り着く。
しかし、その光景を見て部下の一人が驚愕した。
その驚愕はすぐに伝播する。
何せ、現実的にあり得ない光景がそこにあったからだ。
広い平原以外の何物も存在しなかった。
此処ではブラックオーガとその取り巻き達が大群を形成していた筈。
それが、冗談であったかのように姿を消していた。
「ブラックオーガは何処に……?」
周囲を見渡してもそれらしき生物の類いは見当たらない。
一体どうやって。それを探ろうとした矢先、プルグレリスは嫌な予感がした。
(『暗夜衆』は!? 今どうなっている!?)
彼は急いで同行した第2分隊長の方へ顔を向ける。
「『暗夜衆』から連絡は!?」
「そ、それが、連絡がつきません…」
「何!?」
静かな夜の中で、プルグレリスは金縛りにあった様に硬直する。
同時に自身の軽薄さを思い知る事になった。
「奴らの中にも勘の良い奴は居るらしい。…いや、消去法で此処に来る事になったのか」
マディスは東の平野に来た『懲罰部隊』の面々を遠目から見る。
彼のいる方向を見る顔が少々あるが、やはりと言うべきか、その中にも彼を見ている視線は無い。
「連中、オレの事はやっぱり見えていないみたいだな。…行動力は良いが、所詮その程度か」
マディスは一週間程前に戦った海賊の話を思い出す。
こちらにレベルという概念がこの世界に存在するという事実を知らしめた戦いだったのだが、結果的には艦隊指揮を担ったパンドレネクが不満を露わにする程につまらない、一方的な戦いだったとか。
海賊の使用した《レベル・ドレイン》という魔法はその名の通りこの世界の概念に依存したものであり、それがレベルを持たないメカに対し効かなかった事と、ジェネレイザの艦隊へのそれ以外の対抗手段を持たなかった事が勝敗を分ける決定打になった。
今回もまた、そんな戦いになりそうな予感がする。
マディスはマカハルドを困らせる大物を全部狩った今、最早『懲罰部隊』は脅威ですら無いと認識し、人知れず姿を消すのだった。
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