第11話 マカハルド

 エルタ帝国随一の港町を誇る北東の地方カルメドラ。

 その西に隣接している内陸地の広大な地方はラキンメルダという名前を持つ。


 今や小国となったエルタ帝国の一部ながら、発展し続ける工業を用いて、元列強の意地とばかりに世界中に於ける鉄や鋼の生産の大部分を担っている。


 質と量共に申し分なく、また製法にある秘密を抱える鉄鋼は他の国家では真似も再現も出来ず、全盛期の半分以下の国力になってしまった帝国を貿易という面で支え続けている。


 ラキンメルダ無くして鉄鋼業無し。

 今やそのような標語がエルタ帝国どころか世界中の国家に伝わっていた。

 その為、国防に於ける優先順位の高い土地でもあるが、その地方は今、重大な問題の最中にある。


 魔王軍の襲来。


 魔王直轄第5遠征軍という正式名称を持つ17500もの異形の戦力が、ごう将軍ザリアドラム・ルディンゴの名の下ラキンメルダ西側ことバンティゴという名の区域の外に集結している。


 目的は勿論、西側からラキンメルダへと攻め入り、此処を陥落させる事でエルタ帝国の大幅な弱体化を狙う事だった。

 帝国は当然それを見逃す訳にもいかず、大々的に戦力を投入し第5遠征軍の猛攻を最前線で食い止めている。


 ただでさえ国力の衰退により少なくなってしまった戦力を割かねばならない。

 だが、ジリ貧ではあるものの。

 少数ながら洗練された帝国兵の戦力と、魔族そのものに多大な影響を齎す結界を帝国全域に展開するとされる帝都の魔導具との相乗効果もあり、どうにかバンティゴを始め帝国領内への魔族の侵入を未然に防げていた。


 それでも、魔族は諦めた訳では無い。


 あの手この手を用いてバンティゴを守る防衛線を崩す、もしくは帝都に備わる魔導具を無力化すべく画策している。

 どちらかが無くなってしまえば帝国は終わる、と踏んでいるようだが、実際その通りである。

 魔族の侵攻を食い止める手立てが一つでも無くなれば、帝国は滅びの一途を辿ってしまうのだ。


 島送りのせいで帝国に多大な貢献を齎す平民が年単位でどんどん数を減らされてしまうのもあり、息切れの近い帝国。

 そんな危ない綱渡りを要求され続ける国家へ、救援を送ると名乗りを上げた国家が居た。


 それこそが、島送りの元凶たるマゼン・ロナ王国である。


 どの面を下げて、と思われるだろうが王国もまた帝国の鉄鋼に支えられている身。

 エルタ帝国には衰退してもらいたいが、その国の鉄鋼業には衰退して欲しくないという自分勝手な理屈の上で援軍を送った。


 その名も、暴虐の限りを尽くす魔王軍を誅する、懲罰部隊。

 部隊長プルグレリスと直轄の第1~第8分隊長が率いる計5000もの兵力がラキンメルダの地に足を踏み入れた。

 また、魔王軍とは別に北の寒冷地から食糧を求めて南下してくる、飢えて獰猛さの増した魔物達も引き受けるという事もあり、帝国としては断る理由が無かった。


 ……彼らの実態を知るまでは。




 ◇◆◇




 今や西側が激戦地と化しているラキンメルダの地。

 その東側に位置する区域マカハルド。


 数多の工房より白煙が四六時中立ち昇るその区域をくまなく見回しながら歩く、種族のばらばらな少数の武装集団の姿が夕暮れの大通りの中央にあった。

 軽装ながらも見栄えの良いその鎧は正規軍の一員であることを証明している。


 彼らはエルタ帝国第56小隊に所属する兵士だ。

 構成員と隊長合わせて40人のこの小隊は東側に魔王軍が侵入してこないよう隊長を含め8人単位で交代しながら常に監視して回っている。


 帝都より預かった魔導具の一種の効能も相まって監視活動事態は順調に進んでいた。

 最近は、西側と比べるまでもなく警備が手薄である事と、突然増えた問題が悩みの種であるが。

 それを物語るように、すれ違う人々に軽く挨拶をして回る彼らの表情には暗い影があった。


 彼らは集会所と呼ばれるマカハルドの中央に存在する大きな箱物に向かっている。

 その出入り口である開きっぱなしの両扉の階段前に到着すると、躊躇うことなく足を踏み入れていく。


 普段は平民の身分でありながらも魔物を狩ったり、未発見の地を探検したりする冒険者達の溜まり場である為か、彼ら正規軍の存在は警戒の色が混ざった注目を集めるが、それが帝国軍の兵士だと分かると、無数の注目は安堵したように視線を戻していく。


 彼らの内心も理解出来る為に、歯痒い思いをしつつも小隊員達はそれを無言で受け入れる事にしている。


 集会所内を真っ直ぐ向かうと大きなカウンターが存在し、そこでは受付の男女が忙しなく冒険者達の対応にあたっている。

 受付嬢の一人が小隊員の姿を見つけると、大きく手招きをする。


 そこに一人の紫髪の人間の青年が歩み寄った。


 他の亜人で構成された面々と異なり、鎧を外しワイシャツに裾を捲った黒ズボン姿と若干ラフな格好であるが、腰に下げる使い込まれた剣二本が手練れであることを示している。

 彼こそが第56小隊の小隊長、ラジール・ベノメスである。



「帝国第56小隊の皆さん。お連れ様が待っています」


「そうか、ありがとう。何処に行けば良い?」


「二階の3番控室に。よろしければ案内しましょうか?」


「ありがとう。でも、気持ちだけで十分だ。君は仕事に励んでくれ」



 受付嬢に感謝を述べ、ベノメスを筆頭に小隊員は指定された部屋に向かう。階段を上り左に曲がると、3つの扉が見えてくる。その真ん中の扉が3番控室だ。

 2セットに分けた、計4回のノックの後、扉の向こうから返事が聞こえてから青年は扉を開ける。

 扉の先には青年が着るものに近しい軽装鎧に身を包んだ、金髪の青年がソファに座って待っていた。



「お疲れ様ですベノメス様。どうぞ、お掛けになって下さい」



 金髪の青年は何時もの癖で警戒を露わにしていたが、ベノメスの姿を見るやいなやその表情が明るくなった。

 ベノメスもまた微笑みを浮かべて青年の手振りの先にある向かい側のソファに近づき、応じる。



「ああ。アルコミック君もお疲れ様。それで、どうだ。あいつらの様子は?」



 自身に同行する小隊員達に部屋に入るよう指示し、全員が入りきって扉を閉じた上でベノメスはアルコミックと呼ぶ金髪の青年へと問いかける。


 彼は現在魔王軍と交戦している部隊の一つ、第6中隊より派遣された分隊の長である。

 立場上はベノメスの方が上である為、こうした上下関係が築かれている。

 先程までは明るい表情をしていたアルコミックだったが、置いていた水入りのコップを大きく呷り、それから俯くと急に眉間に皺を寄せ険しい表情になった。



「変わりないようです。せめてあいつらの実態を知っていれば祖国も何かしらの対策を打っていたでしょうに」



 やはりか、とばかりにベノメスは思う。

 彼らの言うあいつらとは、王国より援軍という名目で差し向けられた『懲罰部隊』の事だ。

 文字通りの援軍ならばどれ程良かっただろう。

 彼らの浮かない表情はその『懲罰部隊』によるものであった。



「あいつらわざと弱い魔物だけを狩っているんですよ…! それでいて報酬だけは要求してくる。帝国の民の事を何も考えていない!」



 アルコミックはせきを切ったように愚痴をこぼす。

 それ程までにベノメス達が信頼に足る人物だと理解しての事だ。


 ……逆を言ってしまえば、『懲罰部隊』がどれ程話が通じない相手であるかの証明でもあるが。

 人目に憚られる為に彼は明言していないが、帝国の民の負担は食料とは限らない。



「そのくせ、時間をかけてテイムするだの何だの理屈を捏ねて強い魔物には挑もうとすらしない。このままじゃ南下するのは時間の問題だ!」



『懲罰部隊』への不満は弱い魔物を狩っているだけでは終わらない。

 強い魔物――俗に大物と恐れられる変異種、大型の魔物への対応を怠っている事も挙げられる。


 魔物の使役を可能とするテイマー職の混ざる『懲罰部隊』なら十分対処が可能な筈だが、戦力強化の為その大物をテイムすると言い出し、今はまだその時では無いと南下を続ける大物達を放置しているのだ。


 人手不足である現状を解決すべく投入された筈が、外交問題の可能性を盾に解決を先送りにして自分達の好き勝手に振る舞っているのが現状となってしまっている。



「あいつらのせいで此処が滅茶苦茶にされると…いや、もうされているか」



 ベノメスは俯きながら額に手を当てる。

 何故こうなったのかを深堀りしていくと、最終的には王国に付け入る隙を与えてしまった帝国が悪いという事に行き着いてしまう。


 帝国の衰退が今の『懲罰部隊』という外者が好き勝手に暴れている現状を許してしまったのだ。

『呪われた島』を浄化出来なかった報いを、現在進行形で支払わされている。

 しかして、『懲罰部隊』の横行は帝国に定められた法に抵触する行為であり、見逃される道理は元より無い。王国が権力をちらつかせて有耶無耶にしているだけで。


 救世主が現れてくれないものか。この事態を、考えもしない画期的な手を打ち解決してくれる、そんな救世主が。

 ベノメスはそんな事を思いつつ、この悪夢のような現実が好転する事を内心祈っていた。




 それは正しく脅威であった。

 虫食いのように穴だらけとなった植物の魔物だったものを片手で握り地面に跡がくっきり残るように引き摺る、闇夜に溶け込む異形の人型。

 形は人のそれだが、生物として当たり前の現象とは無縁にある。


 顔に浮かぶ5つの黄色い点が眼光のようにすら見える。

 睨まれた途端、その人型を包囲する魔物達が一斉に竦んだ。



 おかしい。数では有利な筈なのに。我らが恐れを抱くのは何故だ?



 恐怖を振り切り、狼に近しい姿をした魔物がその人型へ飛び込む。

 しかし、それは読まれていたらしく人型は空いた左手で狼の首を掴むと無造作に足元へ叩きつけた。

 瞬間、抵抗を待たずして掴んだ腕より青白い雷が迸る。

 捕らわれた狼が危険を察知したがもう遅かった。


 放電。猛き雷光が狼を包み込む。

 強烈な光が消えた頃には狼は黒焦げの肉塊へと姿を変えていた。

 別の狼の魔物が仲間の仇、とばかりに今度は集団で襲いかかる。


 そこに、猪の魔物も便乗した。

 流石にこれはどうする事も出来まい。

 我らの予想は当たっていたらしく、人型は避ける事も出来ず、集中攻撃の餌食となる。


 だが、それが間違いだとすぐに気付かされる事になった。

 異形の人型は微動だにしていない。

 その一方で狼達の着地も、猪の群れへの帰還も叶わず、彼らは肉体が等分され空中でズレていき、分解。

 次の瞬間には物言わぬ複数の肉塊へと変わり果てていた。


 一体何をした? 今の瞬間で何が起きた? まるでぶつかる瞬間に斬ったかのような、綺麗な切断面。それらが返って恐怖を増長させた。


 逃げなければ。

 仲間に伝えねば。

 我らに脅威が迫っていると。恐れの理由が分かった。


 勝てないのだ。この人型には誰であったとしても。


 例えどれ程の変異を重ねようと、例えどれ程の大型になろうとも、この異形に並び立てる未来は絶対にあり得ない。

 抱いた恐怖は伝播していき他の魔物も逃げ出す。

 逃げ出すが、聞いてしまった。耳にしてしまった。



 ――逃がすか。



 その淡々とした人のものに近しい短い言葉は我らへの死刑宣告だった。

 異形の腕が、先程狼を仕留めた腕が天高く振り上げられる。

 腕に付いた筒状の物体より何かが放たれるが、我らはそれを知る由も無く吸い寄せられていく。


 …否、逃げ出そうとしても、人型の撃った何かが逃げることを許さないのだ。

 誰もが望んでいない翻りをし、逃げる方向の真逆、人型の元へ飛び込んでいく。

 そして、降ってきた黒檻にまとめて餌食となった。


 黒檻と言えど単なる檻の事では無い。

 生ある者を腐らせ溶かす漆黒の奔流。

 魔法のようだが、魔法では無い要素も含む、何か。

 その奔流の中でも、奔流の消え去った後も異形の人型は健在だった。


 一抹の期待が無駄だったと突き付けるように。

 最後まで生き残った魔物も、暗闇の中で光る5つの点と異形を中心にうねる闇を目の当たりにし、絶命した。






「――妙な夢を見たな…」



 アルコミック達と解散し、交代での監視も終え、主要拠点である宿舎に戻り眠りについたその翌日。

 ベノメスは肌着のまま上体を起こすと、自身の見た非現実的な夢が気に掛かった。


 圧倒的な実力を持つ、紫色の人型。決して人間では無い何か。

 それが闇夜の中魔物の群れを蹂躙する光景。

 雷を纏う腕はまだ魔法を使ったのだと説明できる。


 しかし、その後の魔物複数匹を切り裂いた、動作を必要としない何かと黒き奔流がいまいち説明できない。

 そもそも恐れをなしている筈の魔物達が最後に一斉に飛び込んだのが意味不明だ。

 何かしらの勢力に乱入される様子すら無い事も。



「――まぁ、夢の内容を逐一考えていても仕方が無いか……」



 きっと連中との付き合いに疲れたせいでおかしな夢を見たんだな、と一先ずは納得し、身支度を整え始める。窓から外を見ると、日の出は既に過ぎていた。



「えぇ、隊長も見たんですか? それ」



 監視活動中の話の種になるだろうと、ベノメスは合流した7人の部下に話してみると意外な答えが返ってきた。

 何と、この場に居る隊員全員が同じ夢を見たのである。

 恐らく他の持ち場に着いている者に尋ねても同じような答えが返ってくるだろう。



「お前達も見たのか?」


「はい。あの魔物が蹂躙される夢を。まさか、隊長と同じ夢を見る日が来るなんて」


「よせよ気持ち悪い。次に俺達があの怪物の標的になったらどうするんだ」



 夢で見た魔物達は何れも低位の魔物だったようだが、それでも、無傷であの数を倒すことは時の運が必要とされる程に難しい。

 それを楽々こなせる者が現実に居たとして、小隊に勝てる算段は無い。



「やはり都合の良い夢だったんだろうな…」


『案外、夢じゃないかもよ?』



 ベノメスの誰にも聞かれないような小さな呟きに返答する少女の声。

 隊員に女性も居るには居るが、彼と合流した7人の中には居ない。



「誰だ…?」



 まさか聞かれていたのか、とベノメスが周囲を警戒すると、隊員達も警戒態勢に入る。

 すると、目の前を通り過ぎる2つの外套の姿が見えた。

 顔までは見えなかったが、仄かに花のような匂いがする。

 今のこの地に似つかわしくないような、上品な雰囲気が感じ取れた。



「まさかな…?」



 目立ちにくい外套に身を包んだ二人組はすぐに人混みに紛れて見えなくなってしまう。

 とうとう現実でもおかしくなってしまったか、とベノメスは思うのだった。

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