第5話 苦渋の決断

「すぐにでも荷造りをしてくれ。君達の島送りが決まってしまった」



 呼び出された初老の男へと、その知らせは突拍子も無く告げられた。

 彼が机越しに対面する、白髪頭に立派な白い髭を生やす、赤いスーツ姿の小柄な姿をした男のその声は震えていた。

 言われずとも、不本意なのだと、知らせの語尾と彼の苦難に歪む顔が訴えていた。



「すまない。君達を守ってやれずに…」



 目には悔し涙を浮かべている髭の男は握り拳を作りながら震わせている。

 出来る限りはしてくれた、後は彼の助力を労うのみとし、初老の男はその手を両手で掴んだ。



「仕方の無いことです。願わくば、犠牲になるのは私達が最後にして頂ければ」



 政府の高官にあたる初老の男性は、己の非力さと彼らの殊勝な態度に限界が来たのか、泣き崩れた。


 初老の男が下がると、机に拳を乱雑に打ち付け、置かれた書類を濡らし泣き喚く彼へ、深く、深く頭を下げ感謝の意を示すと、部屋を後にした。長居しては彼がより辛くなるだけだ、と判断しての事だった。

 何時かは起きうる事ではあった。しかし、自分のして来た事に悔いはない。通路を速やかに歩き去っていく彼の顔に迷いの一切は無かった。



 魔法の広く発達した世界エファルダムド。

 そこには世界の中心より広い海を挟んで東西に分かたれた、2つの広大な大陸が存在する。

 その片割れである西大陸東側に存在するエルタ帝国の北東端には、カルメドラと呼ばれる地方が広がっていた。


 地方全域のおよそ6割で割り振られた大きな港町と内陸にある小さな都市部、地方全域のおよそ4割を占める内陸側の郊外の農地で構成されるこの地方は帝国一の水産物の生産地として知られている。

 諸事情を持つ国家の一部である為にそこまで大きなものにならないが、それでもこの地方は安定した盛り上がりを見せている。

 そんな地方ではかつてより存在する悪しき法が、静かに、それでも確実に住まう人々を苦しめていた。


 そうなった経緯を順を追って説明しよう。


 エルタ帝国は今より30年前までは、エファルダムドと名付けられたこの世界の、大国となる列強国に数えられる国であった。

 代々に渡って清き血を引く亜人を皇帝に据える、亜人と人間の共存を掲げるこの国は列強国だった当時は人類の脅威たる魔族に対抗する為、積極的な策を次々と打ち立て、魔族の進行を少しでも長く抑えるべく奔走するなど、対魔族における要となる国であった。


 西に魔族出現の知らせあれば西へ向かい、東に魔族出現の知らせあれば東に向かう。

 戦力に於いても、知識、技術提供の面に於いても、世界一頼れる魔族の専門家と知られていた。


 しかし、魔族の抵抗は激しく、撃退や討伐が必ずしも成功するとは限らず、勝利したところで得られるリターンも少ない。

 人材、資源共に消耗するのを止められないこの国は時が経つに連れ疲弊していった。


 その最中の時、衝撃的な一報が世界中に舞い込む。

『第二次聖戦』の末、人間軍は勝利を収めたが、その代償に北端にある島が誰も住めない死の島と化してしまった。


 魔族、人間の持つ魔力を多量に含む流された血が島の土地を汚す事となり、陸地に動植物はおろか周囲の海すら生物が死に絶える事態に陥ってしまったのだ。

 そんな惨状を当時の列強を含む各国は、対魔族の最前線に立っていたエルタ帝国に厳しい追求を行った。


 島での戦いには帝国以外の列強国も参加しており、その戦力の数は帝国を大いに上回っているが、責任だけを全て帝国に放り投げたのだ。


 それを指摘した所でエルタ帝国への追求を止めることは出来ず批判、非難の集中砲火を浴び、苦渋の末に全責任を被る事になった帝国は、名声の回復も兼ねて島の復興を率先して行うものの、その全てが失敗する。結果当時支持していたどうかに関わらず多くの国から失望され失脚し、列強国の座より引きずり降ろされる事となった。


 列強国という肩書きの外れた、更には島の復興に失敗した帝国に価値は無いと思われたか、年月が経つに連れ他国との二国間の貿易の質と量も減っていき、国力は衰えていった。

 今では列強国だった国は何処へやら、東大陸に存在する列強国、マゼン・ロナ王国の言いなりとなってしまっている。


 今尚国民を苦しめる悪しき法は、その王国が帝国が列強に舞い戻る事の無いよう嫌がらせの為だけに生み出された。


 島送りという、当たり障りの無い名称で呼ばれては居るが実質的には流刑に近い。

 不毛の地である『呪われた島』へと送られ、生活基盤の整う訳の無いその島で残された一生を過ごす事を強要されるのだ。


 王国だけがそうするならまだ抵抗出来たかもしれないが、面白半分、帝国をいじめ抜く為だけに便乗してきた列強含む諸外国からの圧力により、島送りにされた者は唾棄するべき程の様々な理由付けにより、帰国する事を許されず、連れ戻す事も許されない事態に陥った。


 もし、厳罰である事に耐えかねて島送りを行ったと偽装しようものなら――その時は帝国の政府高官の首が市内の通りに並べられる事になる。


 こうして東の列強の都合で強制される島送りという悪しき制度は、年月と共に洗練されていき、今となっては非常に陰湿かつ狡猾なものとなっている。


 その根拠は島送りにされる対象の平民の共通点にある。

 平民――それも帝国に多大な貢献を齎す者――だけを的確に狙ったものであり、間接的に国力の弱体化を引き起こしている。


 狙い撃ちとも言えるこの方針に反対しようものなら、今度は王国以外の国が黙っていない。

 権力を盾にした脅迫に、帝国は口を固く閉ざし渋々ながらも従う他無かった。


 家族の島送りを避ける為、帝国への貢献を意図的に控えている者も居る。

 そんな彼らは揃って国への帰属意識が高く、矛盾する自身の行動に耐え切れず自ら命を絶った者まで発生してしまった。

 結果、この悪しき法のせいで帝国の国力は列強という肩書を外されてから30年の内に全盛期の半分以下にまで落ちる事となった。


 生活が苦しくなる一方であるものの、帝国の民は国を恨んでも意味が無いと理解していた。悪いのは圧力を掛ける諸外国なのだと。

 しかし、それを露わにすれば帝国は十分に待たずして戦場と化す。

 何も出来ない、してやれない帝国に表向きには不満の矛先を向けるしか出来なかった。



 そして今、法の制定より20年、通算56回目となる島送りが発令された。

 今回もまた帝国に少なからず貢献を齎した平民、老若男女問わず50人が選ばれる事となった。

 逆らう事は帝国政府高官の死、即ち政治の混乱を招く事となる為に彼らは例に漏れず自分達が犠牲になることを受け入れる他無かった。


 今回の島送りに選び出された者達の集う、出入り口以外からは光の差し込まない、暗がりの大きな控室。

 その中には犬や猫といった獣人に全身に備える鱗の艶が鈍く光るリザードマン、実年齢とは程遠く感じる程に若々しいエルフなど人間以外の種族も混じっているが、戦士でも、ましてや恵まれた戦の才能も持たない彼らは、皆揃って項垂れている。


 まるで処刑を待つかのように辛気臭い空間の中、昔の、強き国であった帝国をよく知る細身の中年の男は悔しさを露わに威勢良く立ち上がる。

 犠牲になる事を選ばされた事に、全員が全員納得している訳では無いのだ。



「やっぱり納得いかねぇ! 何で帝国は王国なんかの言いなりになってんだ!?」


「お、落ち着いてください…」



 首から上までになるよう短く切り揃えた赤髪の青年が興奮する中年に恐る恐る話し掛け、身振り手振りで宥めようとした。

 しかし、逆効果である。中年は胸ぐらを掴み上げ、青年に向かって大量の唾が掛かるほどに吠えた。



「お前は納得するのか!? こんな仕打ちに!?」


「ひいぃ」



 怒る中年に怯える青年。誰かが止めなければ今すぐにでも青年に殴りかかりかねない雰囲気となっている。

 それを長椅子の左端側に座る見窄らしい姿の老人が、身動きでなく言葉で制した。



「…これを強要するのは王国だけに限った話では無い。行かなければ魔導国の魔導師達が、大連邦の猛者達が、竜王国の怪物達がたちまち帝国中を火の海に変えるのだぞ」



 掴み上げられる青年も掴む中年も揃って声のした方へ顔を向ける。見ると老人の左足はそっくり無くなっており、ぼろぼろのズボンの右足の裾からは代替物となる棒が飛び出ているのが分かった。


 彼が名を挙げた王国以外の国々は今現在東大陸を牛耳る列強国の数々だ。同時に王国の横暴に与するろくでなし共でもある。

 彼は流暢に、淡々と言い切ってみせたが、頭頂部の剥げた額の上から冷や汗をかいている。

 どのようにと問わずとも、名を挙げた列強の脅威は表情から読み取れた。


 列強をよく知る者にこう言われては敵わない。

 悔しさを滲ませつつ彼は青年を降ろし、「すまなかったな」と一言詫びを入れて元の場所へ座り込む。

 落ち着いた彼を見て、青年は老人に頭を下げる。それに老人は手で応えた。


 そうして空間に再び静寂が訪れ、出口の扉が外へ開け放たれる。



「準備が整った。俺に続いてくれ」



 パトロールの為の軽装鎧に身を包んだ細身の男兵士が外の光を遮るように現れると、控室に居た面々が揃って手荷物を持ってぞろぞろと部屋から出て行く。


 兵士の後に続き、新鮮な潮風を一心に浴びつつ港を少しの間歩くと、大きな木造船が見えてきた。

 50人を収容してもまだ少しだけスペースがあまりそうな、二つの大きなマストと一つの小さなマストを持つ、丈夫な造りの大型帆船。

 ブリッジ部を見ても、全員が収まりそうな程に広く整っていた。


 今は停泊中である為に数々の帆をマストに吊ったまま紐で結んで折り畳んでいる。



「船の操縦法、風の魔石の使い方は分かるよな?」


「ああ、はい。僕は分かりますが」


「私も」


「だったら船に乗った後で他の奴らにもレクチャーしてやってくれ。俺はそっちに明るく無いから、その方が助かる」



 大柄な肉体を持つ斑模様の犬の獣人と、黄緑色の髪を持つエルフの少女が手を挙げる。二人は続く兵士の命令を快諾した。



「数十日分の水と食糧、それを人数分だけ入れた魔法小袋マジック・サックを9つ程積んである。乗った後で確認してみると良い」


「そ、そんなに…!」


「こっちもそうだがあんたらも不本意だろう。せめてこれぐらいはしてやらなきゃな」



 驚きを露わにした、先ほど胸ぐらを掴まれた赤髪の青年から感謝の言葉を述べられると、「今更一兵士の身分で何だが…」と頰を掻きつつ前置きを置くと、彼は深々と頭を下げた。



「悪い。こんな事になっちまって」



 帝国を代表しての謝罪の言葉。しかし、彼らはこの兵士のものはおろか、皇帝のものであったとしても謝罪を必要とはしなかった。

 今更謝られてもどうにもならない、というのもあるが、これから死出の旅に向かうにも関わらず、手厚くしてくれている帝国の善意がありがたかったからだ。



「良いんです。此処までして頂き誠に、誠にありがとうございました」



 中年の男を諌めた老人が握手を求め、兵士は恭しくその手を両手で持った。

 そして兵士が見送る中、総勢50人を載せた船は帆を降ろして張り、船への連絡路となった橋を取り除き船はいよいよ出港する。

 希望に満ちた出港では無い為に閑散とした港から、静けさを保つ帝国領から離れていった。

 目指すは北にある孤島、草木も生えない不毛の『呪われた島』だった。



 帝国を離れて早くも二日が過ぎた頃。


 沖の上での生活は若い程慣れやすいものらしく、子供達が甲板の上で元気にはしゃいでいる。

 船の設備の一つとして風の魔石が起こす風、帆船の船底に備わる危険性のある海洋生物の接近を報せる監視システム等のおかげもあり、船旅は順調に進んでいた。


 既に帝国からは400km程離れており、『呪われた島』はまだ見えないものの、引き返すのも億劫に感じる程である。

 こうなったからと言うのもあるが、船に乗り込んだ全員からは帝国への帰属意識は薄れつつあった。


 ただ、帝国には帰れないが、帝国からの言いつけを守る、その程度の感覚に落ち着いている。

 中には船釣りに没頭したり、持ち込んだ、的に石をぶつけてその勝敗を競うゲームにのめり込んだりする者さえ居る。



「父ちゃんおなかすいたー」


「分かった分かった。すみません、食料を取ってきます」


「りょーかい。少し滑るから気を付けてね」



 数々の種族が同乗しているが、船員達のコミュニケーションが円滑な事もあり船旅生活は快適なものとなっていた。

 しかし、目的地に辿り着くまでの間ながら、当たり前のような日々が送れるのが船旅とは限らない。



「また、船だ…何処の所属なのだろう」



 一週間も経たない船旅に早くも不穏な空気が漂っていた。

 昨日より遥か遠方、難民船の後方ながら大型の帆船らしき船影が2つ見えている。



「此処まで軌道が同じだと言うのは、あり得るのか?」


「島送りにされたのは私達のだけの筈です。第三者だと見て間違いないでしょう」



 奇妙なのは二つ、難民船と向きが完全に同じである事、その船影が徐々に距離を狭めている事だ。今回の島送りは全員同じ船に乗り込んでいるし、他の国に似たような法があるとも思えない。


 何より『呪われた島』は、無価値な不毛の島であるという共通認識であり、それを覆す一大事も広まっていない為、目的が違うだけで目的地が同じという考えは最初から無かった。


 船員の一人が懐から望遠鏡を取り出す。

 持ち易く縮めていた望遠鏡を伸ばし、慣れた所作で遠方の船を確認する。

 そして観測手は、近づくその船の所属を知り震える手で望遠鏡を下ろし絶句した。

 項垂れる彼に何が見えたのかと尋ねた者も耳打ちでそれを知り、絶望は、逃げ場の無い海の上で緩やかに蔓延する。



「…何て事だ、こんな事が許されて良いのか」



 観測手が見たのは、死の象徴とも言える、黒地に頭蓋骨と骨を描いたジョリーロジャー。

 つまりは、海賊。ものにも寄るが多くは各地の海で暴虐の限りを尽くす、数多の海で幅を利かせる輩はこんな所にも居るというのか。老いた難民の一人は腰を抜かすと瞼のたるんだ目を見開き、震え上がった。



「全速力なら、撒けるか?」


「やってみる!」



 航海技術を持つエルフが風の魔石の出力を高める。マストの限界を見極め調整された強い風が船を加速させる。

 近づく船影から、少しだけ船を遠ざけた。



「追いつかれる…!」



 しかし、加速の速さは追い掛ける船の方が上である。船影は掲げる海賊旗が目視でも分かる程に近付いていた。

 それに海賊は、何も追い掛けてくるばかりでは無かった。

 通せんぼをするような、横向きの海賊船が難民船の前方に見えた。



「前にも居るぞ!」


「分かってる!」



 完全に前を塞ぐ船を躱すべく、エルフは船の進路を変えさせるべく風向きを変える。

 海賊船の船尾側となる、左方向へ躱すべく、舵を取舵いっぱい回す操舵手と連携し魔石の出力を加える。


 だが、予想だにしない出来事が起きた。



「ぶ、ぶつかるっ!」



 前の海賊船がいきなり後退した。風を頼りにしているならまずあり得ない滑らかな動作である故に、観測手が悲鳴を上げた。

 その直後、エルフの立ち位置の関係上、難民船の甲板で視界が塞がれて、見えていなかったものが露わになる。


 前の海賊船は、外輪船パドルシップだったのだ。

 これみよがしの船底の隣に取り付けられた巨大な水車が前の海賊船にあった。

 そして、海賊船と難民船は衝突コースに入ってしまっており、逃れられない。


 激突すればこの船の全員が無事では済まない。

 元より海賊への対抗手段を持たずに来てしまった為にエルフは、風の魔石の出力を弱く調整し船を止めさせる事しか出来なかった。


 みるみる速度が落ちていき、海賊船とは間一髪衝突を免れる。

 しかし、危機そのものは去っていない。追い付いた他2つの海賊船も手際よく、斜めを向いた難民船を取り囲んだ。

 ぞろぞろと左右につけた巨大な船の甲板から姿を表す無数の人影に対し、難民船が出来る事は大人の船員だけが甲板の上に残り、子供と老人を船内に入れる事だけだった。

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