五
五
窓の外から、淡い光が差し込んでいる。
夜が明けていく中、明莉は自室の床の上でへたり込んでいた。
「疲れた……」
楽しかったとはいえ、人と話すのにはまだ慣れない。
しかし、と明莉は手のひらに目を移す。そこには変わらず、赤い蓮の花が輝いている。
「やっと、一歩前進」
明莉は嬉しくなって、声を出してみる。
「幻さん、いる?」
すると、靄のような光が目の前に集まった。そのままふるりと固まり、黒猫の姿になる。
『初めてなんじゃないの?明莉が誰かのために私を呼び出すのは』
「ご協力ありがとうございます」
この黒猫も幻の姿の一種だ。明莉が「幻さん」と呼ぶこの黒猫が、先程怜人に化けていた幻である。意志があるために、明莉はこうして時々呼び出しては喋っている。
「まさかあんなズタボロの推理もどきが当たるとは思ってなかったけど……それよりも、これ!」
明莉が蓮を見せると、黒猫は『んにゃ!』と飛び上がる。
『やっと見つけたの!一つだけど!』
「そう!ねえ、これどうしたらいいの?」
『そう……そうねえ……』
黒猫は器用に手のひらから蓮を受け取り、明莉の手の甲に押し当てる。
次の瞬間、蓮はふわっと光って明莉の手の甲に吸い込まれていった。
「えっ!?何してるの幻さん!」
『これでよし。こうやって、赤い蓮の力を溜めるのよ。手の甲を見てご覧なさいな』
黒猫は前足を舐めながら言う。眉をしかめつつ言われた通りにして、明莉は「わっ」と飛び上がった。
赤い文字が浮き出ている。
「秘密にも恐れぬ胆力」
明莉が読み上げた途端、文字はするりと解けて蓮の形になる。
そのまま手の甲に残ってしまった。
「……なにこれ、消えないの?」
『三つ集めたら消えるわよ』
幻は、ふわあとあくびをしつつ言った。これで私の仕事は終わり、と言わんばかりにぽん、と尻尾で床を叩き、黒猫は明莉を見つめた。そのままゆらりと立ち上がる。
『じゃあ、私は帰るわ。また呼んで』
「あっ――」
呼び止めるまもなく、黒猫はふわりと姿を消した。気がつけば朝焼けが部屋を鮮やかな橙に染めている。
「気まぐれだなあ……」
明莉はしげしげと手の甲を眺め、それから、スマホを机の上から取った。何年も押し続けてすっかり指に馴染んだ番号を押し、電話を掛ける。
相手は三コール目で出た。彼女はいつもすぐに出てくれる。
「お早うございます、かすみさん」
「明莉ちゃん、お早うには少し早いんじゃない?」
いつも通りの飄々とした声に安心した。
かすみさん。
彼女は、明莉が小学六年生、三年前に初めて出会った人である。
自分が夜姫だと知ったばかりでうまく力を使えなかった明莉に、色々なことを教えてくれた。夜姫の「先輩」を自称する彼女について明莉は殆どのことを知らないが、それでも先輩だと思っている。
しかし、かすみは明莉が小六のうちに姿を消してしまった。唯一残したのは電話番号で、中学に入りどうしようもなくなってから駄目元で電話を掛けたところ、これが彼女と繋がる唯一の手段となったのだ。
今でも明莉は週二回ほど電話を掛けている。
「それで、今日はどうしたの」
思わず笑みが浮かぶのが分かった。
「聞いてください、私やっと、一つ目の蓮を見つけたんですよ」
「おお!それはおめでとう、どんな心境の変化?役目を果たさないと見つけられない筈でしょう」
「どうなんでしょう。変化……と言っても、夜が似合わない人に出会っただけです」
「ふうん。でも放っとかなかったんだ。やっぱ優しいよね」
「いやそんな……」
明莉は立ち上がって椅子に座った。
「あとふたつ、見つけられる目処は立ちそう?」
「……どうでしょうか」
見えないと分かっていても俯いてしまう。
「もう一度役目を果たせと言われて……上手く、できる気がしません」
それが、明莉の問題。
人が苦手なせいで、役目すら上手くこなせない。
「……まあ、そろそろだけど、まだ時間はあるからね。焦らなくても大丈夫でしょ。明莉ちゃん、夜姫のままでいたいんだよね?」
「はい――」
「私は君が夜姫になったら、いなくなるけどね」
「……」
唇を噛んだ。
明莉がこの力を失わないことを選べば、かすみは明莉の前からいなくなる。
このことは、出会った頃からかすみに教えられていた。それを分かっていて、明莉は夜姫のままでいたいと思い続けているのだ。
いくらいなくなると言っても、この現代日本で完全に痕跡を消すのは、いくら夜姫とはいえきっと不可能だ。
それに、もしかすれば、夜姫の力で、何とかそのときになっても探し出せるんじゃないかと思っている。今日、赤い蓮を見つけられたように。
馬鹿げているし、ありえないような幼い考えだとは、分かっている。
「かすみさん」
「ん?ああ、眠くなってきた?いくら体を使ってなくても疲れるもんは疲れるでしょう」
「それもありますけど。もし私がこれから赤い蓮を見つけたら、また電話しますね。これからもよろしくおねがいします」
機械の向こうで彼女が笑うのが聞こえた。
「勿論。夜姫ちゃんの成果を楽しみにしてる」
電話はそれで切れた。
明るくなった空を見ながら、明莉はベッドに倒れ込む。
夜に眠れば幽体離脱してしまうが、それ以外の時間帯なら普通に眠れる。どうせ今日も学校には行けないな、と思いながら、どこか清々しい気分で眠りについた。
結局、起きたのは正午過ぎだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます