外は柔らかな橙色をしていた。その端には淡い緑色が薄く滲んでいる。

「綺麗」

 学校の下校時間三十分後に合わせて、明莉は本体のまま、まだ明るい空の下に踏み出した。当たり前だがどうしようもなく人が多い。家を出てすぐに足が竦んでしまった明莉は、珍しく手荷物を持って人の少ない通りをふらふらと歩いた。

 公園の東屋で腰掛けてから、明莉は持ち物を確認した。家から持ってきた小説、サイダー、そしてお気に入りの葡萄のグミ。

 それから辺りを見回す。何人か同じ制服を着た人が歩いていた。私服の上、わざと下校時間から家を出る時間をずらしておいた明莉はほっとする。気付かれていなさそうだ。

 夕飯は自分で作って食べてきた。明莉の父は会社員、母は小説家である。今日は打ち合わせがあるとかで帰ってくるのが遅いらしい。まだ夕方なので本体で外に出ざるを得なかったが、これなら心配させることもなさそうだ。

 サイダーを開けてグミを齧る。ぱらりと小説を捲り、いつしかそれに没頭していった。


 足音がして、明莉ははっと顔を上げた。

 辺りは既に真っ暗だ。三分の二ほど読んだ小説を机に置き、伸びをする。母の書いたSF小説だが、どうも難しすぎるのだ。

 足音のした方を見れば、見慣れた人影が近づいてくる。

「怜人くん」

「お。明莉さん、今日は早いね」

 自転車を押す怜人が明莉の前に座る。

 公園の時計を見上げると午後十時を回っていた。小説を読み始めたのが六時かと思うと、読むスピードの遅さに脱力する。

 しかしこれではっきりした。怜人の大きな目を見据え、思い切って切り出す。

「怜人くん。少し話が」

「ん?」

 怜人の顔色は変わらない。

「怜人くんは、夜にいるべきじゃないと思う」

 言い切った。明莉は少しだけ息をつく。

「……そうか」

 意外にも、怜人はゆっくりと笑う。

「もしかして、今すぐ戻ったほうがいい?なんかまたあんな力出されたりとか」

「ない。大丈夫。私は基本ただの人間だから。追い出すような無粋な真似はしない」

「そっか。昼はあの魔法は使えないんだったね」

 頷く。そのまま切り出した。

「玲人くん、用が済んだらすぐここに来るって行ったでしょ」

「え……うん」

「これは仮説だけど。家出をやめる機会を、待ってたんじゃない?」

 怜人が瞬いた。

「……なんで」

「部活をしてないなら、すぐ帰るでしょ。用事に四時間もかからないと思うし、そもそも、家出してるなら一刻も早くそこから出たい筈。家を出てすぐにここに来ると言っていたから、さっきまで家にいた。つまり、想像だけど、んじゃない?」

「う……」

 怜人はそろりと目を逸らす。

 この人のいいところは、感情をきちんと表に出すところ。

 明莉は噴き出しそうになると同時に、当たっていてよかった、と少しだけ安心した。

「もしかしたら、家を出る時間を決めて、それまでにご両親が帰ってきたら・・とか。考えてた?」

「ちょっと、待って。え?また、心、読まれてるのかな」

「……読むというより、言わせる方」

 明莉はそう言って、すっと瞼を閉じた。

 イメージが、暗いまなうらでまとまってゆく。

「え、次は何っ?」

 怜人の声を合図に目を開けば、机の横に靄のような光が集まり、ふるり、と人型に固まった。

『こんばんは』と、そいつは喋る――怜人そっくりの声で。

「え」

 これは、と怜人は目を丸くする。

「僕……?」

「幻だよ。言った筈。私は幻も出せるって」

「いや言ったけどっ!」

「とにかく、幻さん。今の貴方の気持ちを言ってみて」

「え?この、幻……さん?喋るのか……?」

「私が出した幻は、何故か本物に似る。意志も持ってる、分身みたいなものかな」

「なにそれ怖いな……」

『僕の気持ち、ですか?』

 ぎくりと怜人が幻を見やる。明莉は少しだけ笑ってみせた。

「どうぞ」

「……寂しかった。家出は時々してたけど、いつも一日で終わってたから……いつ帰ればいいのか、わからなくて。でも、明莉さんといるのは、たのし――」

「わああ、分かった分かった、認めます!その通り、僕は帰るタイミングを逃した家出少年ですよ!」

 怜人が大声を出して遮った。こころなしか顔が赤い。そりゃあそうか、と明莉は思った。誰だって自分の気持ちを勝手に喋られたくはない。家出を終わらせる最終手段と考えていたけれど、やりすぎた気がする。

 明莉は瞬いた。ふっと幻が消える。

「……別にそれは、どうでもいい。むしろ、勝手にこんなことをして、ごめんなさい」

「――へ?」

 今度は怜人が瞬いた。

「いや、私――ただ、怜人くんの家出を、終わらせたくて。無茶だと思ったけど。こんな予想がついたら、どうしても放っておけなくて……」

「そ、そんな。どうしてそこまで」

 思わず目を伏せた。勝手に電気を消す力が出てきてしまい、公園内がちかちかと明滅する。

 理由は一つ。

 寂しそうだったから。いつもいつも、空元気のようにみえたから。

 だけどどうにも恥ずかしくて、明莉はその言葉を胸の奥に仕舞い込んだ。

 昔からそうなのだ。明莉は寂しそうな人を放っておけない。自分と重ねてしまう。そのせいで、だから、あんなことに――

 電球と辺りがはっきりと真っ暗になった。

「あ、明莉さん?」

 はっとする。心配げな怜人と目が合い、少しばかり冷静になった。同時に電気が復旧する。

「――ごめん。言うなれば、夜姫の気まぐれってこと」

 明莉――夜姫は、気まぐれなもの。

 それでいい。

 ……だが、怜人は片方の眉を吊り上げた。

「ふうん?……本当に?」

 ついと目を逸らす。明莉は嘘が下手だ。

「明莉さん、優しいもんね」

 ふわり、と笑われたのが見えた。

「……」

「僕は、明莉さんに感謝しないとね。やっと、踏ん切りがついた気がする」

 ふっと、緊張が解けた気がした。

 その分、今度はこちらが寂しくなってしまう。

 これできっと、明莉にとって貴重だった、同級生と過ごす時間は終わる。

 明莉はまたひとり、赤い蓮を探すことになる。

「……僕は、賭けをしていたんだ。家を出るのを十時前って決めて、それまでに両親が帰ってきたら、家出を終えようって。あ、勿論、明莉さんには報告するつもりだったよ?」

 どうやって連絡するつもりだったのだろうか。とはいえ、そう思ってもらっていて明莉は少し嬉しくなった。

「うち、結構厳しい家でさ。たまに、僕がしたいことを禁止しようとしてくるんだ。それで嫌気が差して家出した。ずっと、色んな知らない世界を、見てみたかったんだ。家で窮屈になってるようじゃ見られない、色んなものを」

 怜人は諦めたように滔々と語る。

「そこで明莉さんと会った。家出二日目のことだったんだ。おかげで凄く楽しかった。ありがとね」

「何も……」

 恥ずかしくなって、うろうろと目を泳がせる。

 楽しかったのは、お互い様だ。

「さて、帰らなきゃいけないけど、まだ惜しいなあ……家出が終わったら、もう明莉さんに会えなくなる」

「夜姫はそういうもの。それより」

 明莉はふと思いついて、こう言ってみた。

「……どうして、こんな、よくわからない人間と一緒にいようと思ったの」

 訊いたあとで少し後悔する。あまりにはっきりした質問だったかもしれない。さっさと姿を消してしまいたくなる。

「……気を悪くしないでね?」

 怜人の言葉に頷いてみせる。

「明莉さんの第一印象が、どうも寂しそうで」

 思わず瞬いた。

「……予想外」

「そう?いつの間にか座ってたときはびっくりしたけど、同じ中学だし面白そうな人だから興味があったし。ほんと、明莉さんは学校にいないタイプっていうか」

 静謐な空気の中を、怜人の声がひっそりと響く。どちらかが黙ってしまえば、それはどこまでも冷えた静かな闇だ。

「僕は知らない世界を見たい。知らない人と、沢山仲良くなってみたい。明莉さんと一緒にいたのは、きっとそういうことが一番最初だと思うな」

 そうか、と思う。明莉と彼は真逆だ。よくここまで一緒にいられたものだ。

「……早く戻ったほうがいいよ。食料を補給してたって言ってたけど、ご両親も怜人くんの手口を分かってて食べ物を置いてたんじゃないかな。……ちゃんと仲直りして」

「ありがと」

 怜人がにこりと笑った、その時だった。

 突然、辺りに柔らかい風が吹いた。その風は怜人の前で集まり――胸の前で赤く染まった。

 血!?

 と思ったのも束の間、はきらきらと瞬きながら、ゆっくりと、怜人の前に浮かび、ふわりと開いた。

 まるでつぼみが開くように。

「――赤い、蓮!」

 怜人が声を上げる。

「明莉さん!これ!蓮だよ!明莉さんが探してたやつ!」

「う、うう、うん、これどうしたらいいの、私も見るの初めてで……っ」

 明莉はちょん、と蓮に触れてみる。すると、蓮は当然のように明莉の手のひらに落ちてきた。ああ、と思う。触った感じは本当に花である。なのにろうそくの火を閉じ込めたようにゆらゆらと光っている。このまま持っていれば、まさに夜を照らす燭台のようだった。

「よかった……これでやっと、一つ見つけた」

「おめでとう明莉さん!」

 怜人がわざわざ立ち上がって、明莉の方をばしんと叩く。

「痛い。でも嬉しい、ありがとう」

 明莉も笑う。怜人はよし!と大声を出した。

「お祝いだ!一緒に食べよう明莉さん!」

 怜人がポテトチップスの大袋を取り出した。ほうけていた明莉は我に返る。

「待って待って、それ絶対太る」

「明莉さんだってグミ食べてるでしょ」

 ぐ。と明莉は黙る。耐えきれずに二人同時に噴き出した。

「今日くらいは意地でも家出するよ。明日からはそう来れないけど、またいつか遊びに来るよ。明莉さん」

「気長に待ってる」

 明莉は蓮の花を握りしめたまま、ポテトチップスを頬張った。

 明莉にとっては初めての、騒がしい夜だった。

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