三
三
形式だけベッドに向かって倒れ込む。いつものように軽く目を閉じると、自分の体――正確には意識だが――がふわりと浮くのを感じる。
気付けば、明莉は眠ったようにベッドに倒れる自分の体を見下ろしている。
明莉の幽体離脱は、いつもこんなものだ。
眠ろうと思っても夜の間は眠れず、目を開いてみればいつも自分の体を見下ろしている。そうなればすることもなく、ふらふらと街へ繰り出して気ままに歩き回るのだが――。
ふっと息を吐いて部屋を出る。時刻は十時だ。夜姫となった明莉は壁をすり抜けることもできるので、何やらパソコンに向かって仕事をしている両親にも気付かれずに家を出る。
あの依頼を受けてから、ここ数夜明莉はずっと怜人に付き合っていた。
公園につくと、既に怜人が漫画を読んで待っていた。明莉を見ると人懐っこく手を振って顔全体で笑う。
「遅いよ、明莉さん!」
「ごめん」
東屋のベンチに座ると、怜人はすぐに漫画を自転車の籠に放り込んで明莉と目を合わせる。この人は、話すとき必ず人と目を合わせるのだ。慣れてない人間からしてみれば恥ずかしくて敵わない。明莉は自転車の方へ目をやった。怜人の自転車にはパンやら通学鞄やらがぎっしりと積まれている。
「大荷物」
手荷物は缶のサイダーのみの明莉は少し不審に思って眉をひそめる。
「待って。怪しいのは何もないから。家出を果たすための道具なんだって」
「……手口を聞いても?」
「勿論。ただし、真似は厳禁だよ」
「私は姿を消せば一発だからしない」
怜人は白けた目を向けつつ、咳払いして楽しそうに口を開いた。
「僕の両親、共働きで昼間はいないんだ。だからその隙に、ほら」
ポケットから鍵を取り出し、明莉に見せる。
「食料と明日の準備、風呂とかにも入っておくんだ」
明莉は自分がそれを実行するのを想像して、げんなりした。
「家出って大変」
「まあなー。それで、用が済めばここへ直行」
「ご苦労様」
どうも、と笑う怜人を見つつ、明莉はサイダーを飲み干す。怜人はそんな明莉を見て不思議そうに笑った。
この人、笑ってばっかりだ。明莉は尋ねる。
「どうかした」
「いや。明莉さん、僕のこと止めないんだなって」
明莉はぐっと目を背ける。止めてほしかったんですか、という言葉は罪悪感と恐怖で喉に昇ってこられなかった。心の底でいやに思いが滞る。
「そんな顔しないでよ⁉明莉さんは優しいなって話なだけだから!」
「ご、ごめんなさい、そこまで気が付かなくて」
「いや、だから、謝らないでって!てかほんと明莉さん良い人だよ」
「……」
明莉が黙ってしまい、怜人は持っていた缶コーヒーを一口飲んで口を開く。
「だって普通、家出はやめろって注意するじゃん?何も言わないのは明莉さんが初めてだ」
「……事情があるだろうから」
言い訳のように行って、そこで明莉ははたと別のことに気がついた。
「え、つまり怜人くんはこれまでにも家出したことあるってこと?」
「僕はよく喧嘩してしまうものだから」
「なんて!」
驚きのあまり目を剝いてしまう。さっきの気まずさが嘘のように明莉は呆れ返った。
「何回も家出する人初めて見た。なら今回は、いつまで家出するの」
「……さあ。まだ決まってない」
「な……」
寂しくならないのかな、と明莉は思う。私ならきっと耐えられない。
そこでふと疑問が湧いた。怜人はいつも明莉より先に来ているが、夕方からずっとここにいるのだろうか。
――明莉を待ってくれている?
そこまで考えて、明莉はその考えを打ち消した。そんな筈ない。変に期待してはいけないし、私はもう誰にも期待されない。明莉は自分に言い聞かせる。そうしないと、夜でも人と話せなくなってしまう。
不意に怜人が立ち上がった。はっとして見上げると、空になった缶コーヒーを振ってみせる。
「缶捨ててくるね。明莉さんのサイダーも、はい」
「あ、うん」
自然にサイダーの缶を渡したが、そこで唐突に訊くべきことを思い返した。
「怜人くん」
「ん?」
怜人が明莉の方を振り向いた。笑みの形の月が後ろで瞬く。映画のような綺麗な光景だった。
「……部活とか、してる?」
訊いてみれば随分おかしな質問である。
「してないよ、現役の帰宅部。仲間がいるもんで、すぐ帰ってる」
怜人はこともなげに答えた。そのまますいっと歩いていく。
「あの人、絶対夜は似合わない」
ぽつりと心の声が出る。明莉はテーブルに肘を付き、そこに顔を埋めた。
「なんとかしてあげなきゃ」
きっとこれが役目である。何とか家出を終わらせてあげないといけないのだが。
仕方ない、と明莉は伸びをする。明日も夜の前に外出しなければ。
明莉の中で、仮定はきっちりと形になっていた。
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