二
二
明莉は、夜姫だ。
葉月家の女子だけに伝わる、しかも受け継ぐ人が現れるのはごく稀なただの気まぐれのような力を継いでいる。
毎夜、眠る時間になると、意識が体を抜け出して、街を徘徊し始める。明莉は勝手に、これを幽体離脱と呼んでいる。その上、幽体離脱している状態でも物に触れるし、本体と変わらない動きをすることができるのだ。
しかしどこまで説明しようか。
「……よるひめ?」
怜人は訝しげに首を傾げた。明莉は頷き、見えないだろうが空中に文字を書いた。
「真夜中の夜に、姫君の姫」
「えっと……」
「そういう役割を持ってるだけ。夜に歩いて、出会った人の助けになる。ささやかでもいい。ずっと昔から、そういう家系。だから、怜人くん、ラッキーかも」
「ちょ、ちょ、待って!どういうこと、ていうか、夜で歩いてたら捕まるんじゃ」
明莉は一度口を噤み、幽体離脱のことを丁寧に説明してみる。怜人は少し首を傾げると、不思議そうに言った。
「今は――本体だよね?」
唐突に机の上に置いていた手をちょんと突かれる。反射神経の鈍い明莉は避けることが出来なかった。
「触れるし……あ、ごめん、急で」
「いや……確かに、今は本体」顔が火照っている。怜人はそれに気付かずに話を進めた。
「でもどうして?制服着てるけど……学校に?」
暗くなってきたお陰で渋い顔は見られなかったようだ。出来れば聞かれたくはなかった。
「今日は、新学期だったから。お母さんに行けって言われて、仕方なく……」
「じゃあクラスにいたんだ!ごめんね、もっとよく見とけばよかった」
「いや……」急に居心地が悪くなった気がした。きまり悪く座り直し、ぽつりと呟くように言う。
「行けたのは、保健室までで。その。駄目で。あの、今帰ってるのは、先生と話し合いをしてたのと、勉強の遅れがないか小テストをしてて遅くなって……」
「そっか。お疲れ様」
掠れた明莉の言葉に被せるように、怜人がにこりと笑う。それはテレビの中で見るような「イケメン」そのもので、慣れない明莉はげほっと咳払いをする。街灯まで明滅させてしまった。
「……話を戻すけど。私はその他に三つ、よくわからない力を、夜だけ使える」
「力」と楽しそうに怜人が繰り返す。もうこの状況を楽しんでいそうだ。気楽でいいなあと明莉は思う。
「一つ目は周りの電気や明かりを消すこと。二つ目は幻を出すこと。三つ目は姿を消すこと。信じられないなら――」
明莉はすっと目を閉じた。
次の瞬間、公園の電灯だけでなく、その周囲の店の明かりや自販機の光までふっと消えてしまう。
「う、嘘」
目を開けば、怜人があんぐりと口を開けていた。
「さっきの停電も……」
「私の仕業」
「まじか……」
彼が口を手で押さえた。
「信じてもらえた?」
「わかっ、た、信じ、たよ……あと暗すぎるからもとに戻してくれないかな」
「私は夜目が利くから」
「僕は利かないんだ。勉強もスポーツもできるのに夜目が利かないことが弱点なんだよ」
「いい性格……!」
普通、自分で言うかな?と思いながら、明莉はぱちりと瞬いて電気を回復させた。
少し明るくなった中で見直した怜人は、思わずというようにふはっと噴き出した。
「いや、凄いな。明莉さんもいい性格してるよ。でも何のために毎晩出歩いてるの?」
「眠れないと暇だから」
「そんなざっくりした」
「目的は、ある」
明莉は、少しだけ俯いた。
「赤い蓮を探している」
怜人が首を傾げる。
「赤い、蓮の花?」
「そう。夜の時間だけ、どこかに咲くらしい。それを今年中に三つ集めなければ、私はこの力を失くすんだって」
「それは……どこにあるかわかってるの?ヒントもないんじゃあまりに理不尽じゃない?」
「でも、夜姫ならわかる、って。きちんと役目を果たした夜姫なら」
「……なるほど、明莉さんは力を失くしたくなくて僕と話してるのか」
「そうといえばそうだけど」
深呼吸した明莉の肺に、冷たい夜の空気が入り込む。
「本体で人と会うのは初めてだから……仕方なく。姿を消せないし、逃げられない」
「じゃあ、僕と話すのも嫌?」
「……分からない。久々に喋って慣れないけど」
「人里離れた所に住む魔女みたいなこと言うね」
「意味が、分からない」
「解らないだろうね」
明莉は顔をしかめる。怜人が楽しそうに声を上げて笑った。
明莉はこの話題が苦手である。未来については考えたくない。口下手で取り柄もない自分からこの力が無くなれば、一体何が残るというのか。
これまでだって赤い蓮を探そうと様々な場所へ行った。それでも駄目だったのだ。役目を果たした夜姫にしか分からない蓮の花は、どこにもなかった。
役目を果たす――つまり、人と話して、助けないといけないのは分かっていたけれど、どうしても気は進まなかった。三年前から明莉にとって夜は唯一自分が気ままに過ごせる空間になっている。いくら役目のためでも、それをわざわざ破ろうとはやはり思えなかった。
しかしもう時間がない。このままでは駄目だ。躍起になっても意味はないのに、明莉は焦っている。
「……分かった。なら、一つ頼みを聞いてもらえる?」
怜人が笑ったまま言った。明莉ははっと顔を上げる。
「僕、実は家出少年なんだ。夜の間だけでいいから、一緒にいてくれないかな」
それが、明莉への最初の依頼となった。
「……わかった」
明莉はサイダーを飲んだ。九月といえど生温い空気のせいで、炭酸が一気に弾けて喉が痛くなった。
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