第4話
南の住民区にある酒場は夜になると、いつものように料理や酒を堪能している冒険者たちで騒々しかった。その輪の中で、エギルは椅子に座りながらお酒を口にしていた。
「エギル様、どうかしましたか?」
隣に座る男、ゲッセンドルフは首を傾げた。
「なぜだ?」
「いえ、難しい表情をしていたので」
「そう、見えたか……。すまない、空気を悪くして」
つい考えを巡らせてしまっていた。
「空気は悪くなっていませんよ。ここの連中は酒と料理に夢中なんで。……また神の湖について考えていましたか?」
核心を突かれ、エギルは手に持っていた酒をテーブルに置く。
「ああ。あれから一ヵ月が経ったが、ソフィアからの連絡はない。それに、例の騎士団や神教団が攻めてくることも」
「ソフィアさんの件は私にはわかりませんが、連中が何も行動してこないのは不穏ですね。あれほどこの地をものにしようとしていた連中が……」
「この王国はもう飽きちゃったー、とかだったらいいんすけどねー」
二人の会話を聞いていたハボリックがお気楽な声を発し、椅子に座る。その表情は酒で顔を赤くさせていた。
「んなわけあるか。それとお前、呑み過ぎだ」
「えー、まだ全然っすよ!」
「って、近づくな! 酒臭い!」
ゲッセンドルフの肩を組むハボリック。
そのやり取りを見て、周囲の冒険者たちからは笑いが溢れた。
「ハボリックの言う通りだったら、いいんだがな」
微かに笑みを浮かべたエギルを見て、ハボリックをはがしたゲッセンドルフは難しい顔をする。
「ですね。ただ問題なのは、前回の敗戦を踏まえて、より厄介な連中をここに連れて攻めてくる可能性があるということです」
「ああ。その為に手は打ったが……」
「まだ、安心できるほどの戦力が整ってはいないですね」
エギルがこの一ヵ月で行ったことは神の湖について記された書物に目を通す他、この王国を豊かにすると共に、多くの冒険者たちにこの地を拠点にしてもらうことだった。
彼らに常駐してもらうことで常に戦力を確保したいという目的があった。
前回はエレノアが指揮を執り、少人数ながらもエギルに協力してくれた冒険者たちの助けがあったからぎりぎりのところで乗り越えられた。
そして敵が統率の取れない連中だったことも幸いだった。
──このまま諦めてくれ。
ハボリックの言う通りなら、エギルはここまで悩まない。
だが奴らは絶対にこの地へ戻ってくる。きっと前回よりも勢力を大きくして。だからこそ、エギルはこの地を守ってくれる『仲間』がもっと必要だと考えていた。
「ハボリック、ここを拠点にしてくれる冒険者たちから不満の声は上がっていないか?」
エギルの問いかけに、冒険者へ発注するクエストを管理しているハボリックは難しい表情で答えた。
「今のところはないっすね。やっぱり何千年も前からある王国と、旦那が新しく造った王国とでは規模が違うんで。そもそもクエストを受注できる数や、渡せる報酬にはどうしても差ができて……報酬を聞いて、鼻で笑う者も少なからずいますね」
「おいっ、ハボリック! エギル様にそれを」
「いや、ゲッセンドルフ、構わない」
はっきりとした報告に、エギルの気持ちを酌んだゲッセンドルフが慌てて口を挟むが、それをエギルが止めた。
「ハボリック、クエストの数は少ないままか?」
主にクエストの数なんかも管理している彼に聞くと、大きく頷いた。
「ですね。クエスト発注自体は、行商人の護衛や素材収集が増えたので、足りないってことは無いのですが、報酬に関しては他の国の半分以下しか支払えてないのが現状っす」
冒険者に依頼されるクエストは主に護衛と素材収集、魔物の討伐の三つ。
護衛は、国々を旅する行商人を野盗から守るのが主な任務となる。危険地帯であればあるほど報酬が高くなるが、近隣諸国だとさほど高くない。
素材収集は、武器強化や市場に流通させる魔物から取れる角や皮、薬に使う内臓などを集めるのが一般的で、魔物討伐は死地だったこの地に未だ集まってくる魔物を狩るという任務だった。
低ランクのクエストは多いものの、報酬が期待できる高ランクのクエストは、多くの冒険者が集まり強者もいる他国に依頼されるため、このヴォルツ王国内にはあまり出回らない。だからこそ、このヴォルツ王国には比較的に低ランクの冒険者が集まった。
「まだまだやらないといけないことは山積みだな……」
冒険者が増え、商人が増え、王国が繁栄する。その考えは間違いではないものの、その道は険しかった。
「これからここを拠点にする冒険者や、行商人の数も、お店の数だって増えていきます。そうすれば王国はもっと繁栄します」
「そうっすよ。ここを拠点にする利点もしっかりあるっすから!」
ハボリックの言う利点とは、冒険者は、クエストを受注する街や王国に登録料という名のゴールドを毎月、収めることが義務づけられている。
それは各地のクエスト受注所を設けている地ではやっていることで、より報酬が良いクエストを発注できる地では、その収める登録料も高くなる。
だが、エギルはその登録料をどこよりも安くすることを明言した。
収める必要は無い、となればハボリックのようなクエスト受注所で働く職員たちが生きていけない。だから登録料は他国よりもかなり下げて提示している。
クエストを失敗し続ければ稼ぎはなく、毎月の稼ぎから奪われる登録料だけで生活が苦しくなってしまう冒険者もいる。そして、登録料を収めるために無理をして──命を落とす冒険者も少なくない。
そういった者たちや、日頃から高額な登録料を支払っていた冒険者たちにとって、エギルの提示する登録料は目から鱗が落ちるようなものだった。
情報を聞いた冒険者たちは、当初こぞってこの地を訪れた。
そんな彼らに、エギルは代わりにとある契約を提示した。
それは、この地を攻めてくる者がいた場合には、必ず手を貸すことだった。
元は死地だったヴォルツ王国。当然ながら魔物の巣窟だった場所に王国を建てるなどと物騒に思う者たちが多かった。けれど多くの冒険者たちは、登録料の減額や、エギル・ヴォルツという絶対的なSランク冒険者への信頼から、この地を拠点に選んでくれた。
「だから焦らず、ゆっくりっすよ!」
「そうだな。地道に……」
エギルは、自分の口にした「地道」に、という言葉に違和感を覚えた。
地道とは? いつになったら良くなる? いつ豊かになる?
それまでこの王国が誰からの攻撃を受けず、平和でいられる確証なんてない。他国が地道に年月を重ね築いていたものを、エギルたちは果たしてこの短い間で手にすることはできるのだろうか。
この一ヵ月、不安が解消された日なんて一度たりともない。
何をしていても、頭の隅に不安が残る。
──自分について来てくれた者たちのために、俺は行動したのだ。
エギルはお人好しだ。周りが心配するほどの。そんな彼に惚れ、ついて来てくれたからこそ、その想いに応えなければいけない。
既に一介の冒険者ではない。
エレノアたちと作ったギルド《理想郷の道》のリーダーであり、王国を指揮する王でもあるのだから。
「……」
考え事を巡らせていて気づかなかったが、周囲の空気が微かに沈んでいた。
「今日は考えるのを止めて、呑むか」
週に一度ほど、エギルは今のようにこの地を拠点にしてくれる冒険者たちと酒や料理を交えながら話す時間を作っていた。
その理由は、ゲッセンドルフやハボリックたちから近況を聞く他にも、冒険者たちがこの地を不安に思っていないか確認したかったのだ。それなのに、ここへ来てからエギルはずっと重い表情で考え事をしていた。そのせいで、周囲の者たちまで不安にさせてしまった。
悩んだ姿を見せれば、多くの冒険者たちもエギル同様に不安を感じる。
「そうですね、呑みましょう呑みましょう!」
気を利かせたゲッセンドルフが酒を煽ると、冒険者たちに再び賑わいが戻った。
それから数時間ほど経った頃。
エギルは酒場で一人、お酒を呑んでいた。先程まで周りにいた冒険者たちは、気づくと一人、また一人と寝床へと消えた。
「そういえば、エレノアが言っていたか……」
──夜な夜な冒険者が看板娘を口説くのを辞めさせてくれ!
エレノアが報告を受けていた。エギルはここへやって来た時にいた若い看板娘を探すが、何処にもいなかった。
「働いてくれている子たちには、もう帰ってもらいましたよ」
店主に言われ、エギルは「そうか」と頷く。すると、
「お兄さん、一人?」
「……一緒してあげようか?」
ふと誰かに声をかけられた。
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