第3話




 ──ヴォルツ王国。


 フェリスティナ王国の領土内にある死地で、元はゴレイアス砦と呼ばれ、戦時中は多くの騎士たちがここに身を隠し、体を癒した。

 けれどいつからか魔物たちに占拠され、死地と呼ばれる魔物の巣窟に変化した人々が放棄した土地。

 そこを魔物たちから取り返したのが、エギル・ヴォルツだった。


 Sランク冒険者として戦いに身を投じていた彼は、初めて国造りを行ったが、自身のあまりの未熟さに嘆いた。

 土地はあれど、他には何も無い。中身が空っぽの大きな箱ようだった。

 何百年、何千年もの歳月を費やして築き上げてきた他国と比べると見劣りするものの、周囲の者たちの助けもあって徐々に王国の形になりつつあった。

 シュピュリール大陸で暮らしていた湖の都の住民たちや、エギルについて来てくれた冒険者たちが移り住み、昼夜問わず賑わいを見せるようになったことで、その活気を嗅ぎつけた行商人たちがこの地で商売を始めるようになった。

 そうした経緯から、かつての死地は復興の立役者であり国王でもある『エギル・ヴォルツ』の名を取り、『ヴォルツ王国』と名づけられた。




「エギル様。南の酒場の店主さんから言伝を預かっております。『夜な夜な冒険者が看板娘を口説くのを辞めさせてくれ!』と」

「……またか」

「それと、北の宿屋からは『冒険者が連れて来た女性の嬌声がうるさいからなんとかしてくれ』と」

「それは、俺が何とかするべきことなのか?」




 ヴォルツ王国、王城の応接室。

 慣れない雑務をこなしていたエギルは、困り顔を隣に立つ女性に向ける。




「はい、国王様ですから」




 鮮やかな金色の髪を腰まで伸ばしたエレノアは、にっこりとした笑顔をこちらへ向ける。




「国王、か……」

「まだ慣れませんか?」

「まったくな。なにせ、この王国を管理しているのは俺じゃなくて、エレノアだからな」




 エギルは国王だ。けれどそれは形上であって、この地をよりよくしようと頭を働かせているのは、エギルではなくいつもエレノアであり、住民たちの問題や悩みは決まって先にエレノアへ言うのだった

 かつては、コーネリア王国の第三王女であった彼女は、雑務から渉外まで、エギルの代わりをこなす。


 ──エレノアに頼めば解決する。

 などと言う者も住民の中には多くいる。

 戦いに身を投じてきたエギルに報告せず、エレノア一人で解決できそうだと思う時もあった。




「この国の王はエギル様です。わたくしはただ、エギル様の負担を少しでも軽くしたいだけですよ」




 エレノアはいつもエギルの顔を立てようとする。

 全てエレノアが決めては、エギルの存在が少しずつ薄れていってしまう。それを危惧しているのだろう。相談を受けると、彼女はエギルへ報告し、最終的な判断はエギルが行う。

 良き妻だった。




「そうだな。それじゃあ今夜にでも、相談を受けた酒場と宿屋にでも出向いてみるか」

「かしこまりました」




 エレノアは頷くと、他の相談事をエギルに報告する。

 クロネリア・ユースでの一件から、エレノアは少しだけ変わった。エギルを陰ながら支えるだけではなく、自らの意見も言うようになり、エギルはそれを嬉しく思っていた。




「次にですが。行商人の間でも、相場が大きく分かれる代物があり、統一してほしいと……エギル様、どうかしましたか?」




 嬉しさが顔に出てしまったのか、エギルは首を左右に振った。




「ん、いいや、何でもない。ただ、初めて会った頃のエレノアを思い出してな」




 出会った頃のエレノアと、今のエレノアは違う。

 ただ変わらないのは、彼女の首には未だに奴隷具がついていること。

 既に二人の間に主従関係は無い。愛し合った男女なのだから、当然だろう。エギルはエレノアや、同じく奴隷具をつけたセリナやフィーも含めて、彼女たちをモノ扱いすることは絶対にしない。

 とはいえ、奴隷を買ったことのある者たちや、この地を初めて訪れた者からは奇異な目を向けられる。


 ──なぜ奴隷が平然と歩き、あまつさえ、指図をされなければいけないのか?

 そういったことを口にする者も少なからずいた。世間の感覚からすれば当然かもしれないが、エギル自身、そう思われるのが嫌だった。

 だから彼女たちに、




『奴隷具を外さないか?』




 と、聞いたことは一度や二度ではなかった。

 けれど彼女たちは頷き、奴隷具を外す選択をすることはなかった。




「なるほど……」




 エレノアはゆっくりとエギルの背中へと移動すると、そのまま後ろから抱き着いてくる。

 奴隷具を外さなかった理由、それは彼女たちにしかわからないが、外さなくても、この関係は変わらないということだろう。

 他人からどう思われても。




「エレノア、急にどうしたのだ?」




 豊満な胸が背中に当てられ、エギルは首を傾げる。平然を装った表情だが、内心では急な密着に興奮していた。

 そんなエギルの気持ちを知ってか知らずか、エレノアの手が、エギルの太腿へと伸びてくる。




「出会った頃は、こうやって身体を密着させるのも緊張しましたね」

「そう、だな」

「もしかして、今も緊張していますか?」




 吐息がエギルの耳に触れ、エレノアの指先が太腿を這って、硬くなった肉棒へと近づいてくる。




「緊張、というよりも、興奮はしているな」

「ふふっ、見てわかりました」




 手のひらが優しく肉棒を包み込む。

 まだやらないといけない仕事がある。という思考が消え、エギルはエレノアへと顔を近づける。




「少し、休憩だな」

「事務作業より、もっと疲れてしまうと思いますが?」

「だが、止められないだろ?」




 そう問いかけると、エレノアは目蓋を閉じた。




「はい、止めません」




 そして、二人は唇を重ね──




「──させないわよ!」




 だが、二人の空気感を割くように勢いよく扉が開かれた。

 エレノアは横目で扉へと視線を向け、ため息をついた。




「盗み聞きとは、セリナも趣味が悪いですね」

「ふんっ、抜け駆けするエレノアよりはマシよ!」




 ズンズンと二人へと歩いてくる彼女、セリナ。

 肩まで伸びた桃色の髪が揺れる。ノースリーブの上着に、下は足のラインを強調したスパッツ。腰に刀を据えた彼女は、机を挟んで二人の前に立つと腕を組む。




「エギルさん、まだ仕事は終わっていませんよね?」

「そう、だな……あと少し、だな」




 慌てながら答えると、セリナは机の上に乗った山のような資料を横目で見る。




「嘘ですね。朝ここへ来た時からあまり変わっていません。まだまだ時間かかりますよね?」

「それは……」




 クロネリア・ユースでの一件から変わったのは、エレノアだけではなかった。セリナも成長したのだった。

 住民区の外れで牧場や養豚場を作る段取りを決めてくれたのも、農作物を栽培する環境を整えてくれたのも彼女だ。

 今までのような、エギルの意見に従い、後ろで支えていた頃のセリナから大きく変わった。


 ──後ろをついて行くのではなく、隣に立って、支えたいんです。

 そう、セリナは言っていた。それは彼女なりの、エギルの中で一番になりたいという、強い意思の表れだった。そしてその気持ちの変化によって、エギルとエレノアの間に割って入る回数も増えたのだ。




「エレノア、エギルさんの邪魔はしないって約束でしょ!?」

「ええ、邪魔はしていませんよ。ただ少しだけ、エギル様にリラックスしていただきたかっただけです」

「嘘! エッチしようとしていたくせに!」

「はい、それが最高のリラックス方法ですから」




 手をパチンと叩いて穏やかな笑顔を浮かべるエレノアとは違い、セリナはムスッとした表情を浮かべていた。


 ──エギルさんの、一番になりたいの。

 セリナはそう言っていた。

 おそらくクロネリア・ユースでの一件から、その気持ちがより強くなったのだろう。彼女たちはお互いに仲良く、家族のように信頼を預けている。けれど以前から、セリナはエレノアに対抗意識を持っていた。それはエレノアも同じ。

 だからこういった、エレノアとセリナのやり取りは今になってみれば珍しくはない。




「ほら、エレノアは私と一緒に外で仕事!」

「今日はエギル様と一緒に仕事していいと、セリナが仰っていたではないですか」

「やっぱり駄目! エレノアは私たちと外仕事! これは決定事項! ほら、行くよ!」

「もう、セリナは強引なのだから。それではエギル様、この続きはまた後ほど」




 セリナに連れられ、エレノアとセリナが部屋を出る。

 外の廊下から、二人の賑やかな会話が聞こえる。




『あと少しで、エギル様と甘く激しい昼下がりエッチができたのに』

『昼間から駄目に決まっているでしょ。クロエとシロエが見たらどうするの』

『おいでと手招きして、四人で激しく──』

『バッ、バカ、駄目に決まっているでしょ!? 二人とはしないって。それに四人でなんて……』

『あらあら、もしかして、わたくしとセリナの三人でしたことを思い出しましたか?』

『そ、そそそ、そんなわけないでしょ!』

『ふふっ、あれからセリナの負けず嫌いが悪化しましたものね。私のほうが絶対に気持ちよくさせられるんだから! と言ったセリナの言葉、今でも覚えていますよ』

『そ、そんなこと思い出さなくていいの!』




 小さくなっていく二人のやり取りを聞きながら、エギルは笑顔を浮かべた。




「このまま、ずっと彼女たちと幸せに……」




 暮らしたい。

 その言葉を告げる前に片づけなければいけないことがある。




「あれから一ヵ月……まだ、何の連絡もないか」




 その一つが、このヴォルツ王国の地下にある──神の湖へと続く扉だった。

 そして、ソフィアが旅立ち、レヴィアが訪れてからもう一ヵ月が経っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る