第20話




 三人を残して、エレノアは彼が寝泊まりする部屋へ案内する。


 この廃城から少し歩けば城下町だった住民区があるが、そこはまだ人が住める場所とは言えなかった。

 家屋の床板は腐り、家の壁も剥がれ落ちている。屋内も未だに埃だらけなところが多い。

 そんな場所に、胡散臭いとはいえ、この無名の王国を守ってくれる彼を泊めるわけにもいかない。

 なので、客人として、この城の客間に泊めるしかない。




「こちらへ」




 コツ、コツ、と歩けば踵の高いヒールが音を鳴らす。

 男と二人で歩くエレノアを三人は心配そうにしていたが、エレノアは身の危険も、襲われるという不安も全く抱いていなかった。




「わたくしの勘違いかもしれませんが、あの剣の紋章、どこかで見たことあるような……」




 エレノアが気になったのは、使い古された剣の、鞘に刻まれてる少し錆び付いた《星空に浮かぶ島のような紋章》だった。

 王国に属している者は、武器や防具などに紋章を付けるのが基本的であり、一般的な紋章は、その国の象徴とも言える絵柄が刻まれてる。

 星空に浮かぶ島の紋章は、エレノアの記憶にあるどこの王国でもなかった。だが、エレノアはこの紋章をどこかで見たことがあった気がした。


 彼女の容姿を引き立てる胸元が開いた一級品の生地で作られた真っ赤なドレスを着て前を歩き、後ろを男が、少し猫背気味で歩く。

 そして 長い廊下を歩きながら、彼の名前を尋ねてみた。




「……ルディアナ・モリシュエ様、でしたよね?」

「ん、ああ、俺っちの名前な」




 名前はハボリックから聞かされていた。


 ──ルディアナ。


 それが彼の名前なのだが、エレノアには、少しだけ引っかかる部分があった。




「ルディアナ……なんだか女性の名前みたいですね」

「……ははっ、よく言われるな、それ」

「ですよね。わたくしも名前だけ聞いていたら、女性だと勘違いしてたかもしれません。ですが男性……不思議ですね?」

「まっ、そうだな」




 お互いにはっきりと本音で語り合わない。おそらく、彼に聞いたとこで本当のことは話さない。であれば、言葉からヒントを探っていくしかない。

 ハボリックもゲッセンドルフも、彼のことは何も言わなかった。ただ「信用できる強い人」とだけ。

 だからおそらく、エギルに聞けば彼が誰なのか一発でわかるだろう。だけどエレノアはそれをしない。エギルに不要な心配をかけたくなかったからだ。

 向こうは今、大変だろう。それに、エギルが絶対的な信頼を置いている、ハボリックとゲッセンドルフが紹介したこの男を、あまり疑いたくはなかった。




「こちらの部屋をお使いください」

「ん、ここね……ところでさ、嬢ちゃんにいくつか聞いてもいいかい?」




 さっきまでのおちゃらけた表情から一変、ルディアナと名乗る彼は、真剣な表情をした。




「答えられる範囲であれば、どうぞ」

「そうかい。んじゃまず、俺っちの名前に……心当たりはあるかい?」

「……名前に?」




 先程、会話に出てきたルディアナという名前だろう。だが、エレノアにはピンとこなかった。




「いえ、ないですね。有名な方なのですか?」

「いや、そういうわけじゃないんだが……ふーん、なるほどな。んじゃ次の質問。あの二人から聞いたんだが、あんたが最初に奴隷としてエギルに買われたんだよな?」




 二人、というのは、ハボリックとゲッセンドルフのことだろう。そう思ったエレノアは「ええ、そうですよ」と即答すると、ルディアナも「ふーん」と何度か頷く。




「それはあいつが、あんたに惚れたからか?」

「わたくしはエギル様ではないのでわかりません。ですが、そうであったら嬉しい、とは思ってます」

「そうか。じゃあ最後の質問だが、あんたはあいつのことが好きか?」

「ええ、愛しております」

「なるほど──じゃあ、あんたは何があっても、あいつを裏切らないか?」




 そう聞かれ、エレノアは目を見開いた。

 奴隷商人に売られたあの絶望した日々から、エレノアは周囲の人間や、一つ一つの言葉の意味を疑ったりすることが多くなった。だから少しだけ、彼の正体を掴めたような気がした。




「そうですね……」




 エレノアは、少しだけおかしな返答をした。




「わたくしは、エギル様を裏切ることも、離れることもありません。それは他のみなさんも同じです。──もう、エギル様を悲しませたりしませんから」




 まるで以前、誰かに裏切られて、一人になってしまったのを知っていて、自分たちはそんなことしないと伝えているかのような言葉。

 もし昔、エギルに何かあったのかを知っている者なら、この返答に、何らかの反応を見せるはず。そして、ルディアナはニヤッと笑い、次第に大きな高笑いに変わった。




「あはははっ、なるほどなるほど、道理であいつが惚れたわけだわな。……んじゃまあ、その気持ち、ずっと持ってやってくれや」

「そうですか」




 エギルの知り合いで、彼を大切に想う一人。

 そして、周囲の者たちにはあまり話さない過去に負った心の傷を知っている。この目の前の男の反応を見て、エレノアはこの男の正体を確信した。




「ええ、そうさせていただきます。それで、どうしてあなたはここに来たのですか? エギル様に会いに来たわけではないですよね?」

「ん、まあな。俺っちはあいつが作ったこの王国と、あんたらを見に来ただけだからな」

「わたくしたちを、ですか?」

「ああ、もし……」





 彼は突然鋭い視線をエレノアに向ける。エレノアは即座に後ろに飛び退いた。

 殺気とも呼べる威圧。それを無意識に出してしまったのか、彼は笑顔で謝った。




「ああ、すまんすまん、ついな……」

「つい、で殺されるかと思いました」

「まあ、あいつを騙そうとする女だったら──俺は、躊躇わず殺してたけどな」




 その言葉に、エレノアは息を飲む。




「……それで、わたくしたちを殺す対象だとお思いで?」

「まさかよ。相思相愛だってのはわかったしよ、そんなことしたら、あいつに殺されちまうって」

「エギル様はお強いですが、あなたも相当お強いと思いますよ?」

「まあな。だけどさ、誰かのために死ぬ気で挑んでくる男って、めちゃくちゃ強くなれるんだよ。んー、この言葉、昔あいつに教えてやった言葉だったかな」

「それと、『疑って生きるよりも、信じて裏切られた方が幸せ』でしたか?」

「……懐かしいな、その言葉。それ、あいつから教えてもらったのか?」

「いいえ、エギル様から教えてもらった言葉ではないです。ただ、エギル様はわたくしたちを信じてくれてます。だからわたくしたちも、エギル様を信じております」

「そうか。あの時は深い傷を負ってたから、もう立ち直れないかと思ったんだが……また誰かを信じられるようになったんだな」

「昔のエギル様は知りませんが、わたくしたちの知ってるエギル様は、とてもお優しくて、わたくしたちを大切にしてくれる方です」




 エレノアはニッコリと微笑み、




「──それでは、ここまでお話してくれたのなら、もう本名を名乗っていただけないですか?」

「あいつに、ここに来たことを秘密にしてくれんならいいぞ」

「知られたくないのですか?」

「知られたくないっつうか、んー、なんつーんだろ、まだ会うのは先にしたい、って感じかな。それに、所在も知らせずに、ずっと手紙とかも送らなかった俺様がここにいるって知ったら、あいつ、怒りそうだしよ」




 笑った彼に、エレノアも吊られて笑ってしまった。




「そうでしょうね。それで──剣王と呼ばれている、あなたのお名前は?」

「俺っちは、シルバ・タスカイル。まあ、この名前を名乗る機会が少ないから、そこまで有名じゃないだろうがな」

「シルバさんですね」

「ん、俺っちにはエギルみたいに、様を付けてくれねぇのか?」




 ニヤニヤと笑うシルバに、エレノアは笑顔で答えた。




「わたくしが様を付けるのは旦那様であるエギル様だけなので、申し訳ございません」

「ふへぇ、なんだかな……まっ、いいや。んじゃ、お互いの聞きたいことも終わったみたいだし、俺っちは眠らせてもらうぜ?」

「あっ、その前に、わたくしからも一つだけ聞かせてもらってもいいですか?」




 ドアノブに手をかけたシルバを止めたエレノア。




「ルディアナ、という方はどなたなのでしょうか?」




 エレノアはそれだけを聞いておきたかった。どうして、そんなデタラメな名前を名乗ったのかを。












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