第18話




「……ん、エギル、さん?」




 華耶が目覚めたのは、フィーが部屋を出てから二時間後だった。

 湖の都の住民たちも寝静まり、御殿の下を流れる湖の音しか届かない。




「目が覚めたか。まだ、体調は良くないか?」




 エギルは広間の窓から外を眺める。

 綺麗な満月が、暗くなった部屋に白い明かりもたらしてくれる。




「……そう、ね。まだ動くのが辛いわ」

「まだ寝てていいぞ」

「ありがとう。そういえば、終の国との戦いはどうなったの? みんなは大丈夫だった?」




 目を覚まして開口一番に民の心配。

 本来なら自分の身体を一番に心配してもいいはずで、何かを心配できるほど体調も良くないはずなのに。

 エギルはそう思い、安心させるように笑顔を向けた。




「ああ、終わったよ。まあ、痛手を負ったとは言ってたがな」

「そ、そう……そうよね。私が気を失って、戦力も減ってしまったものね」

「華耶のその反応は、素なのか?」

「えっ、どういう意味?」




 エギルは視線を驚いていた華耶に向ける。




「そのままの意味だ。華耶は、自分よりも他人を大切にする。それは心の底から思っていることなのか、それとも使命感なのか、どっちなんだ?」

「……言ってる意味がわからないわ」

「そうか。じゃあ、聞かせてくれ。華耶は本当に、ここの連中を助けたいのか?」

「当たり前──ッ!」




 勢いよく立ち上がろうとするが、膝を床についてしまう。華耶はすぐに息が荒くなっていた。




「当たり前よ……私は、この湖の都の長なんだから」

「……誰も、華耶を救ってくれないのにか?」




 そう問いかけると、華耶は俯き、沈黙が生まれる。

 エギルが疑問に思ったのは、どうして自分の身体を酷使してまで、彼女に辛い人生を強いる連中を助けるのか。

 手を差し伸べてはくれないのだから、逃げ出したいと思うのが当然ではないか。だから少しだけ、素っ気ない聞き方をしてしまったのだった。

 そして、華耶は「そう」と声を漏らした。




「……全部、フィーちゃんから聞いたの?」

「ああ。すまない」

「本当にすまないと思ってる?」




 華耶はクスッと笑みを浮かべた。だからエギルも、笑みを浮かべる。




「いや、思ってないかもな。華耶は聞いても教えてくれなかっただろうから、フィーからちゃんと聞けて良かったと思ってる。それに――」

「それに?」

「フィーが俺に頼んできたんだ。華耶を救って、てな。フィーが本気で頼んでくるのなんて初めてだから、少し嬉しく思ってる」

「フィーちゃんが……」

「それで、どうなんだ? 華耶はどうしてこの都を、民を救おうとするんだ?」

「そうね……」




 華耶は上半身を起こして、満月を眺める。




「……頼ってくれたから、かしらね?」

「頼ってくれたから?」

「ええ、そうよ。あなたもそうじゃない? 誰かに頼られると、凄く嬉しくならない? 自分が必要とされてるんだって」

「まあ、そうかもな。だが、本当にそれだけの理由なのか?」

「それだけよ。私の存在意義は、それだけ……」




 そう言い切った華耶の表情が寂しそうに見えた。それに、どこかフェゼーリスト大陸で帰りを待ってくれてる彼女たちと、最初に出会った頃の表情に似ていた。




「そうか……」




 エギルは華耶の目の前で胡座をかく。




「俺も頼られるのは好きだ。だけどそれ以上に、好きなことがあるみたいだ」

「好きなこと?」

「誰かを救いたい。俺が救われたように、誰かを……幸せにしたいんだ」




 偽善かもしれないが、エギルは困っている人がいればどうしても救いたいという強い気持ちがあった。これまで救ってきた彼女たちのように、誰も手を差し伸べなくても、自分は、自分だけは、その人を救い、側にいたいと思ってしまうのだ。

 それは根っからの偽善者なのかもしれない。だけどそう思われても、エギルはこの生き方を変えられない。変えたくはない。

 華耶は目を見開いて驚いていたが、すぐに顔を伏せる。




「エギルさん、酔ってたりする?」

「そんなわけないだろ。俺はいたって普通だ」

「……そう、それがあなたの素なのね。困ってる人を見捨てられない性格……ううん、その優しいところが、エギルさんそのものなのね」




 華耶は何かを考えこむように俯く。二人の間には沈黙が生まれ、エギルは手に持っていた小刀で指先を斬って見せた。




「これが俺だ。だけど、華耶だからそうしたいと思ったんだ。誰も手を差し伸べてくれないなら、俺が手を差し伸べる。俺と契約、しないか?」




 赤い綺麗な色の血がエギルの指先からツーっと垂れる。




「そ、それって……」




 ゴクッと、はっきりと華耶が喉を鳴らす音が聞こえた。華耶の視線は指先から垂れる血から離せなくなっている。




「エギルさん……フィーちゃんから、契約したら私がどうなるか話をきいてるのよね?」

「ああ、受けた」

「じゃあ、もし私がエギルさんと契約したら、ずっと離れられなくなることも知ってるわよね!?」

「ああ、聞いた。それでもいいと、俺は思ってる」




 エギルは真っ直ぐ華耶を見つめる。ここで目を反らせば、おそらく彼女はエギルを一生受け入れないだろう。




「誰も華耶を支えてくれないなら、俺が側で支える。その悪神九尾の力だって、使わなくていいように華耶を守る。だからもう、一人で抱え込まないでくれ。苦しみを一人で抱えないでくれ。俺に華耶の人生を預けてほしい」




 自分でも何を伝えたいのかわからない。それはそうだ。エギルは口が上手いわけではないし、女性の口説き方を熟知してるわけでもない。だからこそ、思ったことをそのまま口にした。辛い顔をしないでくれ。一人で苦しまないでくれ。誰にも頼れないのなら、自分を頼ってくれ。そう、口下手なエギルの、華耶を救いたいという精一杯の気持ちだった。




「本気、なの……?」

「ああ」

「私は誰の血も飲んだことがないから、自分の身体が、心が、どうなるかわからないのよ?」

「それでもいい」

「もしかしたら、エギルさんの血を全て吸い尽くしちゃうかもしれないのよ?」




 少しずつ涙が零れ落ちていく華耶に、エギルは最大限の笑顔を向けた。




「俺は死なない。俺は拒まない。それに……きっと華耶の父親も、華耶の母親が好きだったから、そうしたいと思ったんじゃないかな」




 でなければ、死ぬかもしれないこの役目を引き受けないだろう。好きだから、大切だから、そうなっても構わないと思い契約したのではないか。




「俺も華耶の側で力になりたいんだよ。……契約、してくれるか?」




 エギルは華耶の流した涙を拭い、自分の血が付いた指先を彼女の唇の前へ持っていく。




「もう……エギルさんは、お人好しね」

「よく言われる。それが、俺の誇れるところだ」




 華耶は満面の笑みを浮かべ、




「ありがとう、エギルさん。私を……救ってくれて」




 指先にキスをした。

 触れた箇所からじんわりと唇が鮮血に染まっていき、華耶の頬が赤く染まり、体中が熱を帯び始める。その血を体内へと流す華耶は、微かに吐息を漏らす。




「ん……ちゅ、ちゅう、ぷはぁ……ぁあ」




 吐息に混ざるのは喘ぎ声にも似た、感情を昂ぶらせた声。

 控えめに血を味わっていた華耶は少しずつ大胆になっていき、指の根本を口内へと誘う。




「華耶……」



 全身の血が少しずつ吸いだされる感じがして、エギルの頭が揺れた。だが、華耶に不安に思われないよう堪える。華耶は我慢せずに血を吸いだしていく。

 彼女はもっと欲しいと言わんばかりに指に舌を絡め、ずっと欲していた男の血を求める。




「……ん……ちゅ、ん……ぷはっ」




 満足するまで血を吸いだしたのか、華耶は唇を指先から離すと、ボーっとしたままエギルを見てるが、どこか焦点が合っていないように感じた。




「華耶、大丈夫か?」

「大丈夫よ。すっごく、身体が熱いわ」




 服がはだけ、首筋や谷間には玉のような汗が浮きあがっている。

 血を吸ったことが原因なのだろうか。エギルはそう思い、華耶を横にしようと肩に手を伸ばす。




「ん、はぁ……!」




 指先が触れただけというのに、華耶は感じたように声を漏らす。




「華耶……?」




 そのまま後ろへ倒れた華耶は、熱さからだろうか、自ら帯を緩め、正面を隠していた服を広げた。




「エギル、さん……私の身体、すごく熱い……ねえ、わかる?」




 先程までの苦しそうな雰囲気はなく、華耶の雰囲気は、どこか誘っているような、淫らな雰囲気がした。

 それに汗の匂いと共に、若干だが発情した女の匂いが感じられる。




「華耶、それも血を吸ったからなのか?」

「……話では、聞いてたの。契約者の血を飲むと、全身が熱くなって、発情するって。だけど、今まで意味がわからなくて……」




 胸元は開き、豊満な乳房があらわになる。

 太腿を擦り合わせる度に感じる匂いと、物欲しげに見つめてくる華耶の視線に、エギルは唾を飲み、意識せずにはいられなくなった。

 そして、華耶は両手をエギルへと伸ばす。




「エギルさん……たぶん、血だけじゃ満足しないみたいなの。どんどん体中が疼いて、苦しいの……エギルさん」




 無意識なのだろう。吸い込まれるような弱弱しい瞳で訴えられ、堪えられるわけがなかった。

 エギルは華耶の身体に覆い被さると、呼吸を荒くさせた彼女に聞く。




「いいんだな、本当に」




 すると華耶は、はっきりと頷く。




「これが本当の契約だと思うの。エギルさんと、心も体も結ばれる……だから、来て?」




 目蓋を閉じた華耶を見て、エギルは唇を重ねる。

 若干の血の匂いがするが、ついばむようにエギルの唇を奪う華耶を拒む気持ちは生まれず、熱を帯びた全身を、エギルは撫でまわす。







※R-18







 行為を終えた二人。

 華耶はそのままぐったりとしたようにエギルに抱きつき、荒くなった呼吸を整える。




「少し、このまま……休んでも、いい?」

「ああ、俺も疲れたから休みたいかな」




 笑いかけると、華耶は抱きつく手に力を込めた。

 その後、二人は揃って満月を見つめていた。

 エギルは座り、華耶はその膝に頭を乗せて嬉しそうに笑みを浮かべる。




「どうした、急に笑って?」

「ん、笑ってた? 私が?」

「ああ、笑ってたぞ。自覚なかったのか?」




 現に今も笑ってるのだが、というのは言わなかったが、華耶は「そうね」と口にして、




「たぶん、幸せだったから、口が勝手に反応したのかしら?」

「かしらって、華耶にもわからないんだな」

「ええ、わからないわ。だけど、そういうことなんじゃないかしら。この膝枕も好きだもの」

「そうか。耳も尻尾も反応してるからそうなんだろうな」

「──なっ!」




 華耶は勢いよく起き上がり、両手で耳を折りたたむ。




「なんで感情によって耳と尻尾が反応すること知ってるの!?」

「なんでって、見てたらわかるぞ。もしかして隠してたつもりか?」




 図星だったらしく、頬を赤く染めた華耶はそっぽを向く。




「……そうよ。だってこの動きの理由を知ったら、嘘とか付けないんだもの! 不利じゃない、そういうの。なんか」

「何が不利なんだか。まあ、俺からしたら、わかりやすくていいがな」

「もう……」




 膨れっ面の華耶は再び膝の上に頭を付けて横になる。そしてエギルの手を持って、自分の頭を上に乗せる。

「コン」

「どうした?」




 なぜかムスッとされた。




「……なんでもない。頭、撫でて」

「どうした急に?」

「ふん。ずっと甘えてこなかったから、甘えたくなったのよ」

「なるほど。わかったよ、好きなだけ撫でるよ」




 頭を撫でると、耳と尻尾が反応する。喜んでるのがすぐわかり、エギルは笑ってしまった。











 ♦










※下部の♡や☆ボタンを押していただけると助かります。作者のモチベーションに繋がります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る