第17話
──華耶の人生は、幼い頃から既に決めつけられていた。
御殿の最奥、篝火に囲まれた九尾の社で、彼女は生まれた。
周囲の大人たちは赤ん坊だった華耶に頭を下げ、口々にこう告げた。
──悪神九尾の依り代様が生まれた、と。
華耶の狐のような大きな耳と尻尾は悪神九尾の依り代として生まれたことを意味していた。
大きな耳。大きな尻尾。そして、自分の中に化け物が住んでいること。
華耶は幼い時すでに、自分がみんなとは違うことを知った。
大人たちはそんな彼女に力の使い方を──悪神九尾を召喚する方法を教えた。
そのことを華耶は一切疑問に思わなかった。それが普通だと、そう思ったから。けれど一つだけ、疑問に思ってたことがある。それは、彼女には両親がいないということだった。
父親は彼女が生まれる前に亡くなり、母親は彼女が生まれたのと同じくして亡くなった。その理由を聞いても、誰も教えてくれない。
そんなある日のこと。
彼女は湖の都の者たちが隠していた、悪神九尾についての伝承を聞いてしまった。
悪神九尾は継承した女性の血のみを好み、自らを召喚した代償として、この世に顕現させた時間の分だけ継承者の血を奪うという。
それが、悪神九尾を継承した女性の運命。
しかし、多くの血を求められる九尾の召喚を継承者一人が負うのは不可能に等しく、契約者──つまりは、継承者の夫か最初に継承者に血を分け与えた者が必要になる。
華耶が悪神九尾を召喚したのは、彼女が七歳の誕生日を迎えてすぐだった。
華耶はそれを見事に成功させた。巨大な九本の尾をもつ狐が華耶を新たな主と認め、周囲の者たちは喜んだ。これで湖の都は守られると。
けれど、華耶の体には数分を経たずして異変が生まれた。
全身が凍えるように寒く感じ、立っていられない。そして周囲の者たちが異常なほど――美味しそうに感じてしまう。
人間の体内に流れる血液を、華耶は無自覚にも求め始めることとなった。
その欲求に抗いながら一人では堪えられないほどの苦しみに、幼い彼女は周囲の者に助けを請うた。
──血をちょうだい、と。
その言葉を聞いた住民たちの表情は一気に青ざめ、華耶と距離を取るようになってしまった。
その時の住民の怯えたような目を、華耶は大人になった今でも忘れることはできない。化け物でも見るような、あの目を。
その時に知った。誰も自分を救ってくれないのだと。
その後、華耶は両親がどうしていないのか、その理由を十歳を過ぎて初めて聞かされた。
先代の母親は、契約者となった父親の血を吸い続け、力を使っていった。けれどそれは、彼女の苦しみを緩和するだけだった。
血を吸われ続けた契約者である父親の身体には限界が訪れ、次第に血を与える事を拒むようになった。
だが契約者の血で満たされている継承者の身体は、我慢することができなくなってしまっている。
彼女は華耶の父親に血を求め続け、吸い続け、そして──自らの手で殺めてしまった。
それから先に待っていたのは地獄だった。
いくら血を求めても、唯一与えてくれるはずの契約者はもうこの世にいない。あるのは全身を襲う苦しみのみ。その頃には新たに契約してくれる者などいなくなっていた。
そして華耶の母親は、彼女を生んですぐに亡くなった。
血を欲する地獄から解放された母親は、やっと楽になれたのだ。
悪神九尾を継承した女性は一度契約者の血を口に含むと、永遠に吸血衝動に駆られる運命となる。
そして、契約者から初めて血を捧げてもらったその日から、その血以外は身体が受け付けなくなり、相手を死に至らしめるまで血を吸い上げてしまう。
──そんな悪神九尾を継承した者の唯一の回避策は、誰とも契約しないことだった。
誰の血も受け入れず、一人でこの苦しみを背負うこと。
そうすれば強い吸血衝動に襲われても堪えることはできる。それが例え、この力を後世に継承することができなくとも、誰にも苦しみを与えずに、この力を使い続けることができる。
だから華耶は、両親の死の原因を聞いた日から、一人で苦しみを背負う覚悟を決めた。
「──それが、華耶が一人で背負ってきた宿命なんだよ」
御殿の最奥にある九尾の社と呼ばれる神事を行う広間に通されたエギル。
そこには社が築かれており、部屋の壁には奇妙な白い毛並みの九尾の絵が描かれている。
エギルは苦しみに堪える華耶を寝かせ、フィーから説明を受けていた。
「……そうか」
素っ気ない返事。何を言えばいいのか、当事者ではないエギルには言葉が見つからなかった。フィーもエギルに慰めの言葉を求めていないだろう。
「周りの連中は、死ぬのが怖くて契約しなかったってことか?」
「聞いた話ではね。身勝手だと思った?」
「……」
言おうかどうか迷っていた感想を、フィーは適格に衝いてくる。
「そうだな。湖の都を、自分たちを守ってほしい。だけど、その生贄にはなりたくない。身勝手だとは思う」
生贄という言葉を使っていいのかわからないが、そう例えるのが正しく、住民たちも同じように感じているのだろう。
「華耶が誰とも契約しなかったのは、父親のように苦しんでほしくなかったからか?」
「たぶん。華耶は昔から優しかったから。だけど……もしかしたら、本当は自分を救ってくれる誰かを、待ってたのかも、わからないけどね。ただ、誰かに救ってほしかったのは事実だと思うよ。口にしたところを、わたしは見たことないけど」
華耶の頭を撫でるフィーからは、彼女の身を心配してるのが伝わる。
「ここへ俺を連れて来たのも、華耶を救うためか?」
知っていてここへ連れて来たのだから、そう捉えるのが正しいだろう。
「……わからない」
そう答えたフィーだったが、すぐに首を振る。
「……ううん、やっぱりわかってた。そう、その通りだと思う。エギルが、もしかしたら華耶を救ってくれるかもしれないって。エレノアたちみたいに、救ってくれるかもしれないって。華耶はわたしを救ってくれた恩人で家族で、大切な人。わたしは終の国の人間だから、心配することしかできなかった。だから……」
フィーはエギルをジッと見つめ、頭を下げた。
「……華耶を、救ってください。華耶を、助けて……」
エギルは即答できなかった。
王国に移住してくれる人を求めて新大陸に渡った。困っている人がいたら救いたいとも思っている。その気持ちは今も変わらない。しかし、今、エギルには、守らなければいけない存在がいる。
その者たちのためにも、これから先もずっとずっと、自分は生きていかなければいけない。
もしも自分が契約者となってしまったら、死ぬ可能性もある。そうなってしまったら、誰も彼女たちを救ってくれる者がいない。
自分を信じてついて来てくれた冒険者の仲間たち。
自分を好いて共に歩んでくれる大切な彼女たち。
エギルは大勢の者たちを背負っている。これからもその数は増えていくだろう。それは王となるのだから当然だ。だから中途半端な気持ちで華耶へ手を差し伸べることは許されない。だったらもう、今ある大切な存在を絶対に離さないようにするべきかもしれない。
──そう、エギルは考えた。
けれど、今も苦しみに顔を歪める華耶を見て、それでも手を差し伸べたいと思う自分もいた。
「……フィー、すまないが、華耶と二人にしてもらっていいか?」
「わかった。ごめん、無理なお願いして」
「いや、気にするな。それに、決めるのは俺じゃない」
ずっと誰にも背負わせたくないと思っていた華耶が、はたして会って間もないエギルが差し出した手を握るかどうかわからないのだから。
「それと、エレノアと話したい。エリザベスを借りていいか?」
「……うん、わかった。──エレノア」
白ウサギのエリザベスに声をかけると、すぐにエレノアの声が返ってきた。
そして、エギルは白ウサギ──エレノアへ、これまでのことを語った。それには華耶という女性がいて、彼女がどういう状況なのかも含めてだ。
『……エギル様は、その方を助けたいのですか?』
「ああ、助けたい。ただ俺には、エレノアたちがいる。危険なことはできないという自覚もある」
『そう、ですね……ただ、わたくしはエギル様ではありません。なのでご自身のお身体が危険になるのであれば、強制する言葉は伝えたくありません』
それでも、とエレノアは言葉を続けた。
『エギル様が救いたいと思ったなら、そうするのが良いと思います。もしもわたくしたちに気を使っているのであれば、それは不要な気遣いですよ』
「エレノア……」
『それに、誰にでもお優しいエギル様だからこそ、わたくしたちは好きになったのです。なのでその方を救いたいと思っているのであれば、そうしてあげてください。わたくしたちのように、手を差し伸べてあげてください。わたくしたちも、血がみなぎる料理をエギル様に作りますから』
クスッと笑ったように感じた。エレノアは、エギルが聞く前からどうしたいかわかっていたのだろう。背中を押してほしい、ということも見抜いていたのだろう。
そう感じ、エギルは笑ってしまった。
「エレノアには何でもお見通しか」
『はい、あなたの妻ですから』
「そうだな。それじゃあ、自分の気持ちに正直にいくよ」
『はい、それがよろしいかと。それに……』
エレノアは間を空けてから、フフッと不気味な笑い方をした。
『……血を吸う女性というのは興奮しますからね。エギル様が血を吸われながら、わたくしとエ──』
「エレノア、また連絡する。それじゃあな」
『エギル様!? ちょっとエギル様!?』
白ウサギをフィーの元へ走らせると、エレノアの声が遠くなっていく。
笑わせようとしての言葉なのか、素で楽しみにしてるのか。おそらくどちらともだろう。
エギルはそう考えると笑えてきて、少しだけ気持ちが軽くなった。
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