第15話
──この地へ来てから数日。
最初こそ敵意を向けられていたエギルだったが、時間があれば住民たちの畑仕事や農作物の収穫の手伝いをしたり、この大陸で採れる野菜や果物について聞いたり、逆にフェゼーリスト大陸の話をしたりしている内に、次第に周りとの距離が近くなってきた。
中でも一番の要因は、みんなに戦う術を教えたことだろう。
死にたくない、誰かを守りたい、そう思っている者はここには多く、長年戦いに身を投じてきたエギルの知識を、ここの者たちは真剣に聞いてくれた。
そうしてエギルは湖の都の者たちとの交流を深めていくのと同じように、華耶とも交流を深めていった。
国を守る同じ立場の者として似ていて、意見交換や世間話なんかで盛り上がる日が増えた。
けれど、あれから移住の話は一切出ず、エギルはどうするべきなのかと迷っていた。
──そんなある日のこと。朝日が昇り始めた時刻。
「……エ……エギル……おきて!」
用意された部屋で寝ていたエギルはフィーに起こされた。
「ん……フィーか、どうした?」
目をこすり起き上がると、慌てた様子のフィーは部屋の出口へ歩きながら、
「終の国が攻めてきたって、華耶が」
「なに?」
辺りは静まりかえっており、争いが起きてる様子も、いつものように誰かが廊下を歩く足音も聞こえない。
本当に、誰もいなくなった感じがした。
「華耶は?」
「もう行った」
「わかった。俺たちも急ぐぞ」
エギルはフィーと共に急いで、湖の都の森林を走り抜け、前回戦闘を見下ろしていた山へと向かう。
近付けば近付くほど、金属と金属が交差する音や爆音、人々の怒気をまとった声がはっきりと聞こえてくる。
そして、エギルたちは森林を抜けると、終の国の大群が見えた。
その表情には覇気がなく、遠くから見ても死人だと分かったが、その中には、鎧を身に付けた騎士らしき者たちの姿もあった。
「華耶!」
戦況を見つめていた華耶に声をかけると、彼女は驚くように目を見開く。
「……エギルさん、それにフィーちゃん。どうしてここへ?」
「どうしてって、フィーが教えてくれたんだ。それより状況は?」
「最悪よ。今日で終わらせようってことかしらね」
緩やかな山の勾配を下った先に広がる大平原は至る所が抉られ、一部は炎で焼かれており、小草で隠れていたはずの黄土が剥き出しになっている。
前回の戦闘よりも明らかに被害が大きく、エギルの目からも戦況は明らかだった。
終の国は一万の軍勢、それに対し湖の都は千人で挑んでいる。
次々に後退してくる湖の都の民たちを見て、エギルは呟く。
「このままだと負ける、か……」
「……エギル」
隣に並び立つフィーは不安そうな表情を浮かべる。
「……この人数相手に、勝てそう?」
「どうだろうな。俺もこの人数を相手にしたことはないな。だが」
エギルは力を使おうと前へ出るが、それを華耶が弱弱しい声で止める。
「エギルさん、これは湖の都の問題だから……」
手を出さないで、とはっきり止めない華耶。
ここへ来てから何度か手を貸しているのだから今更ではないか……とエギルは思ったが、毎日のように開かれていた集会で何か言われたのだろうと察した。
それは長である華耶しかわからない。けれどここで手を貸さなければ、湖の都の者たちは死んでしまう。
この状況を打開できる術も、おそらくない状況だ。エギルは笑顔を華耶に向ける。
「俺は俺のために勝手に動くだけだ。だから気にしないでくれ」
「でも……」
「なぁ、少しは誰かに頼ってもいいんじゃないか?」
「えっ……?」
「俺は湖の都の人間じゃないから、華耶が何を抱えて、何を一人で守ろうとしているのかはわからない。だけど、一人で頑張っても辛いだけじゃないか。それなら、部外者であっても手を貸してと言えばいい。俺は、華耶の力になりたいから」
同じく何かを守ろうと必死になってきたからこそ、今の華耶を見てると、エギルは手を差し伸べたいと思う。
何かに悩み、手をこちらに伸ばしてくれないのなら、なおさら心配になる。
そして、返答を出せずにいた華耶へフィーは優しい表情を向けた。
「エギルはそういう人。裏表がない、優しい人だから」
「フィーちゃん……」
「だから信じて頼ってもいいんだよ。エギルを……それに、わたしのことを」
フィーの言葉を受け、華耶は俯いたまま顔を上げることはなかった。
どんな表情をしてるのか、エギルにはわからない。少しでも重荷が軽くなったのなら良かったとエギルは思い、戦場へと視線を向けると、
「人は誰かに支えられて生きているんだ。俺も、フィーも、華耶だってそう生きるべきなんだ」
エギルは右手を前に出し、剣舞士としての力を使う。
ついて来てくれたフィーや、帰りを待ってくれてるエレノアやセリナ、サナやルナや冒険者の仲間たち。
みんなが支えてくれているからこそ、安心して前へ進める。
だから華耶にも、同じように誰かがいてくれるという安心感を持ってもらいたい。それが湖の都の者たちではないのなら、エギル自身がそうなりたい。
「無限剣舞」
エギルは出し惜しみせずに、一気に大量の剣を大高原に展開する。
遠目には銀色の剣があちこちで宙に浮いてる状況だが、その無数の剣を目にした湖の都の者たちの目には光が灯り、活路を見出してくれたように感じた。
「……エギルさんは、どうして」
華耶の消えそうなほど小さい声がした。そしてフィーは、華耶の隣に立つ。
「言ったでしょ。エギルはこういう人だから」
フィーは、白ウサギのエリザベスと黒猫のフェンリルを放つ。
「エギル、被害の大きい箇所を教えるから」
最も遠い距離で行われてる争いはエギルからは見られない。
今どこに助けが必要なのかを把握できないエギルの代わりに、フィーの力で遠くを見渡してもらい、そこに剣を生成する。
「……どうして」
華耶は、今度ははっきりとエギルの耳に聞こえる声を発した。
「そんなことされたら……全部、受け入れてくれるって、期待しちゃうじゃない」
「……華耶」
嬉しそうにも悲しそうにもとれる震えるような声を発した華耶を見て、フィーは心配そうに声をかけるが、それを華耶は首を振って笑顔を見せた。
「エギルさんが真正面から受け止めてくれるなら、私も……手を差し出すわ」
華耶は目蓋を閉じて、胸元で手を重ね小さな声で言葉を紡ぐ。
「おいでおいで悪魔の魂、貸して貸して悪魔の力、この地を守りし紅の巫女が願い奉る。捧げるは巫女の鮮血、喰らうは狐の化身、刹那たる願いをここに──封印解放──悪神九尾!」
華耶の腰あたりから生えている尻尾がゆらゆらと揺れると、背中から赤い影が現れる。
祝詞が紡がれると、その影は縦横無尽に広がり、はっきりと輪郭が浮かび上がった。
そこに顕現されたのは、華耶へと降り注いでいた太陽の光を遮るほどの巨大な狐。
白い毛並みに九本の尾。鋭い牙と爪。威圧感のある血眼が高原を一瞥すると、地響きにも似た咆哮が轟いた。
『フオオオオオッ!』
「これは……」
「この子は私の可愛いペット。悪神九尾よ」
可愛いと言うわりには、華耶の悪神九尾を見る目には我が子を見るような愛おしい眼差しはない。
「職業の力ではないな……」
これほどまでに大きな狐を召喚する職業は無く、エレノアの聖獣師の系統である召喚士が近いが、威圧感や大きさは、エレノアの召喚する聖獣とは比べものにならないほど強力だと言える。
「あとでこの力のことを聞いていいか?」
エギルがそう聞くと、華耶は苦笑する。
「ええ、いいわよ。……私が話せたら、だけどね」
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