第28話




 声と共に、二体のオーガの叫び声が響く。

 そして痛みが全身を襲うことはない。だからサナは恐る恐る、強く閉じた目蓋を開いた。

 目の前には無数の剣が、地面からだけでなく空中から飛び出す。その剣の数は三〇〇本以上。一瞬で二体のオーガの動きを封じた。

 そしてこの技を使える人を、サナは一人だけ知ってる。




「……もし、サナが悩みを抱えているとして、その悩みの限界を迎えたら、俺はお前を助けてやる。そう言わなかったか?」

「なん、で……」




 振り返るとそこには呆れるようにため息を漏らすエギルと、涙を流すルナがいた。

 どうして彼がこの場にいるのかはわからない。だけどサナはエギルを見て、ずっと背負っていた重い何かが消えたように感じ、言葉を発した。




「お願い。あたしとルナを、助けてください……」




 絞り出した声はエギルに届いた。彼は何も言わず側に寄って、ポンと、頭に手を乗せた。








 ♦









 エギルがエレノアたちと別れてからすぐ、




「──はあ、はあ、はあ……た、助けて、ください」




 彼女はエギルの前に現れた。目元まで隠した赤みがかったクリーム色の前髪は、ペタッと汗と雨で額にくっついてる。

 長い時間、彼女は走ってたんだろう。小さな体は小刻みに震え膝を押さえている。




「ルナ……?」




 ルナはエギルの声を聞いて顔を上げると、口を丸く開き、微かに前髪の隙間から見える瞳は、驚いているように揺れていた。




「エギル、さん……」

「ルナ。サナはどうした?」

「……お願い、します!」




 頭を勢いよく下げられて、それだけでエギルは多少なりとも彼女が何を伝えたいのかを感じ取れた。




「案内できるか?」




 ルナは何度も頷くと来た道を向く。




「こ、こっちです!」




 前をルナが走り、その後ろをエギルが走る。

 その肩に、白ウサギのエリザベスがちょこんと乗る。




「フィー、そっちはどうだ?」




 そう尋ねると、すぐにエリザベスが返答する。




「もう、終わった」

「……そうか。エレノアは、大丈夫か?」




 その場にいないからこそ、余計に不安になる。

 怪我はしてないだろうか、苦しんでないだろうか、泣いてないだろうか。

 自分を奴隷商人に売り飛ばした相手だが元は幼なじみであり仲間だ。もし殺し合うことになれば、結果がどうであれ、エレノアにとっては辛い結末となっただろう。

 そんな時に隣にいて、その肩を抱きしめられれば少しは彼女の苦しみを緩和できたかもしれない。だけどエギルは隣にいることよりも、前を進む結論を選択した。


 そしてエリザベスは、少し間を空けてから答えた。




「……強い人だよ、エレノアは。だから大丈夫」




 大丈夫というのは、そういうことだろう。エギルは少しだけ笑った。




「エレノアが強い女だったのを忘れていたよ。だけどフィー、二人を頼むぞ」

「わかった。だけどわたしたちもエギルを追いかけるから」

「こっちは危ないから別に来なくてもいい」

「……二人が、力になりたいって。だからもう走ってる」

「そうか。だけどゆっくり到着するように来てくれないか? こっから先は、あまり三人を近付けたくない」




 実力が足りてないわけじゃない、体力の消耗も激しく、絶対に守ってやれるという自信がないからだ。




「……わかった。二人には遠回りの道を進ませる」

「すまないな」

「いいよ。わたしも一緒に心配してくれたから」




 相変わらずフィーの声色は変わらないが、少しだけ喜んでいるように感じた。エギルは「何かあったら教えてくれ」と伝えて、フィーとの会話を終わらせた。




「エギルさん!」




 そして到着した。ルナを逃がして、一人で戦っているサナの元に。








 ♦









「二人は後ろに下がっていてくれ」

「……うん」




 泣きじゃくるサナの頭を撫でながら、エギルは無限剣舞で出現させた剣を戻す。

 全身を突き刺したのにまだ微かに動いている。かなりタフだ、このまま戦闘に発展しても構わないが、これから先に何が起こるのか予想がつくから、無駄な体力も剣も使いたくはない。




「お前を操ってる主に会いたい。その瞳の奥で俺を見てるんだろ?」

「……グオッ」




 手に持っている武器からして、この二体は職業の力を使う魔物なのは間違いない。

 そしてエギルの予想が正しければ、こちらを睨みつけている二体のオーガの血走った瞳の奥で、この謎の魔物たちを操っている奴はこちらを見ているはずだ。




「……ググッ、グオッ」




 そして二体のオーガは三の門を指差す。エギルがあの場所に来るのを待つ、という意味なのだろう。エギルが頷くと、二体のオーガは走り去っていった。




「……エギルさん」

「……エギル、さん」

「すぐに俺の仲間が来る。ここで待っていてくれるか?」




 サナとルナが歩み寄ってくると、エギルは二人の頭を撫でる。




「全部終わったら、全て包み隠さず教えろよ?」

「……うん。だけどエギルさんに、迷惑をかけたくないかな、とか……思う、かな……とか」




 まだ、サナの中では何かと葛藤しているのだろう。

 迷惑をかけたくない、困らせたくない。それらの感情がエギルには伝わってくる。

 気にするな、そう言おうとするエギルよりも早く、いつもは大人しい性格のルナが口を開いた。




「サナ! わ、わたしたちには、もう、エギルさんに助けてもらうしかないよ」




 悩んでいるサナを置いて、ルナはまた頭を下げた。




「お願いします! 全てお話します、だから、助けてください」

「……ルナ」




 サナはルナを見て、ぶんぶんと顔を振った。




「冒険者に依頼するには、お金を払って雇うしかない。だけどあたしには、エギルさんを雇って何かを叶えてもらえるほどの、大金は持ってない」

「別に――」

「駄目なの!」




 サナは勢いよく首を左右に振って、地面を見つめるように俯いた。




「一度でも優しさに甘えて何かを叶えてもらったら、あたしはこれから何度でも甘えちゃう。なんでもエギルさんに頼んで……。だから、あたしは何かを支払う。何かをエギルさんにあげる。じゃないと、あたしの気持ちが納得しないの。それぐらいのことを、エギルさんに頼もうとしてるの……」




 自分自身の心の問題なのだろう。

 エレノアが以前、セリナを助けてほしいから体で叶えてもらおうとしたように、申し訳ないという罪悪感を消したいから、何かを対価にお願いを叶えてもらいたいということだろう。何もいらない。頼ってくれたら、それで十分なんだ。

 エギルの正直な気持ちを伝えても、おそらくサナは納得して受け入れてくれない。




「何でも、くれるんだな?」




 エギルはそう言うと、サナは顔を上げて、強く頷いた。それはルナもだ。だからエギルは二人に笑顔を向ける。




「それじゃあ、サナとルナを貰おうかな」

「えっ、それって……」

「わたしたち、ですか……」




 驚いて目を大きくさせる二人。

 一緒に居た頃、彼女らは決して自分らのことをエギルに話そうとはしなかった。おそらくそれが、二人が冒険者をしてる理由であり、二人が背負う何かなのだろう。




「サナは前に、何も言わないで俺から逃げたからな。だから勝手に俺の元を離れないように、二人の自由を貰う」




 サナとルナの過去、それに今どこで暮らしているのかなんて、エギルは知らない。それも込みで全て終わったら聞く。だけど二人は、普通の双子とは少し違う。どこか特殊な双子だ。

 フィーの知り得た情報で一緒にいた男が父親なのは知っているが、今現在、その男は周りにいない。だからもしかしたら、家族がそばにいないのかもしれない。であれば誰かが一緒にいるべきだ。




「それって、あたしたちもエギルさんの奴隷になるってこと?」

「別に奴隷じゃなくてもいい。ただ、俺の側に居てくれたら、それで十分だ」




 伝えた言葉は二人の自由を奪うという失礼な言葉かもしれない。だがエギルの本心である、二人を守らせてほしい、と伝えるよりもこっちの方が強制力があって、二人に申し訳ないという感情を抱かせなくてすむだろう。




「もちろん、サナとルナが良ければだがな」




 雨はまだ止まることなく降り続く。

 二人は顔を見合わせ、何か通じ合わせる。そしてエギルを見つめるサナの瞳からは、雨なのか涙なのかわからない雫がこぼれ、頬を流れ、小さく二度、頷いた。




「……うん、うん。なる、なるよ。あたしたちはエギルさんの、エギルさんの奴隷になる。だけどお願い……」




 サナが背伸びしたのがわかった。

 背伸びをして、エギルの肩に手を置いて、顔と顔を近づけ──。




「あたしたちを愛して。女として。ねっ」




 唇に柔らかい感触が生まれる。

 閉じた目蓋に雨水が乗り、今だけは、周りの音が消えたように静かになった。

 そして唇が離れると、エギルは答えた。




「俺で良ければ、二人を愛するよ」




 その返答に、サナは目じりを拭ってにっこりと微笑む。




「ちょ、ちょちょ、ちょっとサナ!? な、何をしてるの……?」




 驚いたルナが、サナを指差してガクガク震える




「何って契約だよ。あたしたちはエギルさんの奴隷兼奥さんになるの」

「だ、だけど、なんでそんな……」




 ルナはサナの言った意味を理解できていないのだろう。すると今度はルナがエギルの──頬にキスをした。





「わ、わたしも奴隷兼奥さんになります!」

「えっ、ルナ!? 意味わかってる?」

「わ、わかんないけど、なるのっ! 契約したもん!」





 そしてサナは呆れたようにため息をつき、




「だって、エギルさん。ルナ共々、よろしくできますか?」




 と聞いてきた。




「お願い、します」




 二人に見つめられると、エギルは二人の頭を撫で答える。




「俺で良ければな。それじゃあ、帰ってからちゃんと話そうか」

「……うん、待ってるから。絶対に帰ってきてね」

「……気をつけて、ください」




 二人に見送られて、エギルは三の門へと走る。

 そのまま二人を連れて、エレノアたちと合流して帰りたいという気持ちはあった。だけどそれはできない、まだハルトと約束した事が残ってるからだ。


 ——殺された仲間の仇を取りたいんです。


 そう頼まれ、力を貸すことを誓った。

 ハルトはもう、ここにはいない。怖くなって逃げた。だけど仇を土産に帰れば、彼を襲う恐怖心と罪悪感は少しでも和らぐだろう。

 エギルは、ゴレイアス砦の中心部にある王城のような建物へ足を踏み入れた。




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