第27話
——もし、サナがどうしようもなくなった時は、俺が助けてやる。
最後に言ってくれた言葉が、全ての重荷を背負ってきたサナにとっては嬉しかった。
すぐにでも自分の抱えている事情を話して楽になりたかった。助けてって、叫びたかった。だけどそれは違う。エギルはきっと、頼ったら何でも助けてくれるタイプだ。だからサナが助けてって、お母さんを、ルナを、助けてって言ったら、エギルは無条件で助けてくれる。だけどそれは駄目だ、絶対に。
サナが重荷を背負ってきたように、エギルも多くのモノを背負ってる。サナはもう何も背負えない。だからエギルを頼って、この重荷を一緒に背負わせたら、エギルも同じく苦しませてしまう。だからあの日、サナはエギルを頼れなかった。
「もう、エギルさんとは会わない。会ったら駄目なんだよ」
「だけど……! だけどもう、エギルさんしか救ってくれないよ」
「それでも、頼ったら駄目なんだよ。あたしたちは、あの人に何も返せない……」
先程まで明るかった空は曇り空に変わって、まるでサナの心を映す鏡のように大雨が降り始めた。
「少ししたら、逃げるよ」
「……うん」
ルナはそれから無言になり、サナも無言になっていた。
そしてサナは思う。もう少し待って、母親の元に戻ろう。戻って、それから先のことは後で考えよう。けれど、
「グオォォォッッ!」
「えっ?」
真後ろから獣の声がした。
「ルナ、逃げて!」
「サナ!?」
ルナを突き飛ばしたのと同時に、背中を預けていた壁が破壊された。
「くはっ!?」
木製の壁と共にサナが勢いよく吹き飛ばされると、そのまま逆側の壁にぶつかる。
全身に痛みが走り、目の前を見ると、先程の職業の力を使うオーガが右手を前へ突き出していて、その後ろには湾曲した刀を手にするオーガがいる。
「サナ、大丈夫!?」
「だ、大丈夫……ルナは?」
ルナは涙目だけど、怪我はない。けれどサナは、立ち上がるのが精一杯だった。脚も、腕も、さっきの衝撃で辛うじて動かせる程度だった。
「あたしは……回復すれば大丈夫。それより、ここから逃げて」
「サ、サナは!? サナも一緒に逃げようよ!」
「あたしは、コイツの相手をしないといけないからさ」
ここで一緒に逃げても、どうせ追いつかれて二人とも殺される。だったらせめて、ルナだけでも逃げてほしいと思い、歯を食いしばって脚を走らせて外へ出る。
「光の爆撃を──エンジェル・ノヴァ!」
爆撃の光の玉を発射するが、オーガに当たっても効果はない。だけどそれでいい、注意を引ければそれで。
「早く逃げて、ルナ。そんなに保たないから」
「い、いやだよ、サナも一緒に――」
「ルナ!」
泣き出しそうな妹に、姉として声を張り上げる。
「お姉ちゃんの言うことが聞けないの!?」
「だって、だって……」
「二人で逃げても無駄なことくらいわかってるでしょ!? だったら逃げて! 逃げてお母さんの病気を助けて! なんのために冒険者になったの! ルナ!」
「うっ、ううっ、絶対に……絶対に助けにくるから、誰か呼んでくるから!」
背中を向けていても、水溜まりができた地面をペチャペチャと音を鳴らすから、サナにはルナが走って逃げてくれたのがわかった。
だけどその足音を聞きながら、サナは小さな弱々しい声を漏らす。
「……行かないで」
怖いから、一人にしないで。
喉まで出てくるその言葉をサナは飲み込んで、下手くそに笑った。
「良かった、これで騎士さんたちを置いて逃げた罪悪感を抱かずに済んだ……」
けれどここで自分が死ねば、その罪悪感を大好きな妹に背負わせることになる。
「簡単に死んでなんか、やるもんか!」
サナは自分の体に手を当てる。
「聖なる光よ――ヒーリング!」
応急処置程度の回復魔法で傷を癒やす。歩ける。走れるかは微妙だが。
「ウガアァッ」
「グオォォ、グオォォォッッ!」
「二対一ですか。イジメですよ、それ」
笑いが込み上げてくる。
「筋肉ムキムキの男の人はタイプだけど、ここまで大きくて、感情が表に出てないと、さすがにタイプじゃないかな」
そんな馬鹿なことを言ってないと、サナは恐怖から逃げたいと思ってしまう。
ここで戦わないと。でなければ二体のオーガの標的は、逃げたルナに向く。
だからこの命が尽きるまで、
「さあ、おいで。あたしが相手をしてあげる」
強がりだろうが戦うしかない。
サナよりも大きな刀を持ったオーガは地面を踏んで迫ってくる。ドスドスと重く鈍い音が大きく感じると、全身からは恐怖で大量の汗が流れる。けれど大きいだけ。サナはそう自分に言い聞かせて周囲を確認する。
もう一体のオーガは動かない。だからサナは、後退しながら魔法の詠唱を始める。
「——っ!」
だけど二体のオーガが気になって詠唱に集中できない。全詠唱をしてやっと発動される魔法は、誰かに守ってもらわなければ非力だ。それを理解しているが、今はここには自分を守ってくれる者はいない。
刀に触れたら死ぬ、拳に触れたら死ぬ、死んだら回復なんて意味がない。
そう思ったら、一瞬にして全身を襲う震えが酷くなった。
「……もう、ルナは逃げられたかな?」
逃げたなら自分も逃げていいかな、家屋に隠れてやり過ごせば殺されないよね、だから逃げても、
「ああっ、もう!」
現実逃避しようとする弱虫な自分を震い立たせるように声を発する。
逃げたって何も変わらない、それよりも、このオーガを何とかしよう。
聖魔法を唱えてオーガの動きを止める。動き始めたら、また動きを止める。それの繰り返し。そうやって何とか時間を——。
「時間を稼いでも、意味ないよね……」
こんな二体のオーガに囲まれた自分を誰が助けてくれるのか。
他のギルド? 逃げた父親? 誰も助けに来てくれないのは分かっていたはずだ。だったら自分ができる精一杯の足止めは終わった。きっと、ルナは遠くまで逃げることができたはず。だったらこれ以上、ここで抵抗しても無駄だ。
そう思うと、サナは動きを止めた。そして空を見上げながら、涙を流した。
「お母さん……妹を守るって約束、お姉ちゃんは守ったからね。だから褒めて……」
サナの目の前にいる二体のオーガが、刀と拳を振り上げる。
最後の瞬間を、サナは目を閉じて終えようとした、殺される瞬間を見なければ痛みが薄れると思って。閉じた目から、涙がポロッと雨と一緒に地面に落ちる。
「間に合ったか。――無限剣舞」
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