第25話




「なんで、なんでなんでなんで! なんで今更戻ってきたのよッ!?」




 ムスリナはエレノアを睨みつけながら、両手に握る短剣を間髪入れず振り下ろす。その攻撃を、エレノアは一歩、二歩と後退し避けていく。

 盗賊は自身の速度を上げて、相手を速度で圧倒する職業だ。けれど今の彼女は、ただ怒りと速度に全てを任せているせいで、単調な動きといっても過言ではなかった。

 昔は敵を前にしても冷静に対処しようと心がけていた彼女だが、今は、何かに取り憑かれてるかのように、目の前のエレノアを消そう、殺そうとしているようだった。

だから冷静に、エレノアは言葉を返す。




「戻ってきたのではありません。決別しにきたのです、三人と」

「――ッ! お姫様が、偉そうなことを言うなッ! あんたは昔からそう、私たちを見下して……昔から嫌いだったのよ、お姫様のあんたがね!」




 短剣の猛攻も、言葉の猛攻も続く。




「あんたが冒険者になりたがってるって私たちは両親に紹介された。だから王国の全員、私たちにあんたを冒険者にさせろって、自分の命を犠牲にしてでもあんたを守れって、そう言われてきた。だけど私たちは、あんたが冒険者になること自体が気に食わないのよ。だってそうでしょ!? お姫様が冒険者よ? お城で座ってるだけで裕福な生活ができるあんたが、わざわざ自分の身を危険にさらす冒険者なんて……笑わせないでよッ! こっちは生きるために冒険者の道を選んだのよ! いつか冒険者として培った経験が、王国で働くお父さんとお母さんの役に立てると思ったからなったのよ!?」




 エレノアはムスリナと距離を置くと、彼女は不適に笑う。




「……自分たちのために選んだ道に、ただの遊び感覚のお姫様が付いて来て、周りからはあんたを危険にさせるな、守ってやれって言われる。……あんたに私たちの気持ちなんてわからない。わかってたまるもんか!」




 そしてエレノアをジッと見つめた彼女は、




「だから私たちは、あんたをいつか殺そうって考えてたのよ! だけどあんたの二人の姉が、殺すよりも楽しい、あんたの滑稽な姿を見せてくれるって、私たちに仕事を依頼してくれたのよ」




 ゆっくりと、ムスリナは短剣に想いを込めるように強く握って歩いてくる。




「お金も満足感も貰えた。あの時は本当に最高だったわ! ……それなのに……それなのに、今更私たちの前に現れないでよ! 負けない……。遊びで冒険者になろうとしたあんたなんかに、生きるために冒険者になった私たちが負けるわけないでしょ!」




 ずっと無表情を貫いていたエレノアの表情は暗く、悲しく変わる。

 三人の家庭の事情は知っていた。生きるため、両親のため、冒険者という道を選んだことも。そして、お姫様であるエレノアが、三人と共に旅をしたらどう周りから言われるのかも。けれど、




「あの頃のわたくしは、本当の友人だと思ってましたよ」




 ただ普通に、エレノアは生きたかったんだ。

 お姫様扱いされず、やりたいことを我慢せず、友達と世界中を旅したかっただけ。——普通の、人並みの生活がしたかったんだ。




「それはあんただけよ! 私たちは最初から――」

「ええ、ですからこれは過去の思い出です。あなたたちにも、わたくしにも」




 そんな小さな望みすら抱けないなんて、あの頃の夢見るエレノアには想像もしていなかった。

 エレノアは右手を前に出し、エアリアルバードでムスリナを襲い、アクアドラゴンで動きを止める。

 姿を変えたアクアドラゴンが足首と手首に縛るように絡むと、ムスリナの体の身動きを封じた。




「本当はあなたたちのことを奴隷商人に売り飛ばす予定でした」




 エギルは、ゲッセンドルフに奴隷商人を紹介してもらっていた。けれどエレノアは、いつからかその考えを止めた。




「わたくしは奴隷という身分が、そこまで嫌じゃないんですよ」

「離せ……離しなさいよッ! 離せって言ってんでしょ!」

「勿論、最悪な主だったら死んでたでしょう。でも、エギル様に買われて、出会うことができて、本当に良かったと思ってます。だからもしかしたら、三人が良い主と出会うかもしれないと、そう思ったから止めたのです」

「知らないわよッ! いいから離せッ、離しなさいよッ!」




 目の前で浮いた状態のまま暴れるムスリナ。

 三人にも言い分はあるかもしれない。けれど、だからといって簡単に許せるわけはない。エレノアは落ちている短剣を拾い、




「どうして話を聞いてくれないのです? ねっ、ムスリナ」




 そのまま真っ直ぐ、腹部へと突き刺した。




「くはっ……あっ、いた、痛い……お腹……お腹にっ、痛い痛い痛い痛い! 痛いッ!」




 腹部から溢れ出る血が服を滲ませて、彼女の肌が青白く、更に激しく暴れる。




「もう、お別れですね」




 このまま静かに終わろう。そう思ったエレノアだったが、ムスリナはエレノアを見て、目蓋から涙を流して訴える。




「い、いや……死にたく、ないっ……ごめん、ごめんなさい、エレノア——助けてよぉ」




 ──その言葉だけは、聞きたくなかった。




「わたくしは……。わたくしは……」




 エレノアはギュッと拳を握り、ムスリナを睨みつける。




「わたくしはずっと助けを求めた! 助けてって、なんでこんなことするのって! それなのにあなたたちは、わたくしが奴隷商人に連れて行かれる姿を見て、顔を隠して笑った! わたくしが震えてるのを見て、笑ってた!」




 何度も何度も、エレノアは力一杯にムスリナの顔を殴る。

 助けを求めた自分を嘲笑った彼女が、今度は泣いて助けてと求めてくる。それが許せない。自分が被害者だと、そう訴えてくるのが許せなかった。

 だから想いを込めて、どんどんエレノアの中にあった怒りの心を爆発させて、目の前の元友人を殴り、訴える。




「どれだけわたくしが怖い思いしたかわかる!? どれだけ死のうって考えたかわかる!?」

「うっ……ああっ……ご、ごめん、ごめんなさいっ、ぁあ」

「だけど死にたくないって、三人に、お姉様たちに復讐するまでは死にたくないって、それだけを生き甲斐にしてここまで生きて来たの!」

「うっ……ああ……うっ……」

「お姫様として生まれてくることなんてわたくしは望んでない! みんなに特別扱いしてなんて言ってない! わたくしの、わたくしの人生を勝手に決めるな!」

「うう……」

「やっと、やっと終われる。あとはわたくしの人生を壊そうとしたお姉様を殺して、やっとわたくしは幸せになれる!」

「……う……あ」

「あの日に全て失ったわたくしが愛するエギル様と一緒に、大好きな親友と一緒に、人生をやり直す! もう過去に捕らわれたくない! わたくしの人生を縛るなっ!」

「……」

「もう終われ! 終われ終われ終われ! 終わ―――――」

「……エレノア」





 殴っていた拳の動きが止まった。そして、その手を掴んだセリナは悲しそうな表情を浮かべ、首を左右に振った。




「もう、死んでるよ」




 無我夢中で殴り続けていたムスリナは、息をしていなかった。

 手の甲の皮が剥けて血が流れてるが、エレノアには痛みを感じなかった。終わった。望んだ通り、過去と決別するように終わらせた。




「あれ……」




 なのにエレノアの目蓋からは、喜びの涙ではなく、わからない涙が流れていた。笑え、終わったんだから笑え。そう思っても、涙が流れるのが止まらない。

 遠くで倒れてるモルドレットとクルド。

 そしてお腹を短剣で突き刺し、顔を殴ったムスリナは倒れて動かない。

 三人の死体を見ても、何も報われないし気持ちが晴れない。




「うっ……ううっ……」




 エレノアが流す涙の意味はきっと、三人との思い出が蘇ったからだろう。

 裏切られて、捨てられて、殺されかけた。強い憎しみの感情があるのに、ほんの少しだけあった偽りの楽しい思い出が、彼女を狂わせるように涙を流させた。

 けれど立たなければ。ここで涙を流していては、手を貸してくれた二人に申し訳ない。だからエレノアは立ち上がり、二人に伝える。




「……さあ、行きましょうか。エギル様の元へ」




 空を見上げて前へ歩く。


 この場は過去で前へ歩けば未来だ。

 だからもう、エレノアがこの場に戻ることも振り返ることもない。過去の楽しかった記憶も――動かない三人と一緒に置いていく。

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