第3話
値段は跳ね上がり、エギルの提示した金額は飛び抜けていた。
Sランククエスト一回分。それをエギルは、迷うことなく彼女に賭けたのだった。
音が止まる会場、そして少しの沈黙が生まれた後に、司会者の声が響く。
『えっ、えっと……他にはいませんか?』
『じゃ、じゃあ、1100万』
「1200万!」
エギルの低く野太い声が響くと、周囲はシーンと無音になる。
『……ほ、他にいらっしゃいませんか?』
司会者のアナウンスが流れても、まだシーンとした会場。
そして鐘が鳴らされた。
『過去最高金額での落札です! おめでとうございます!』
エギルは無意識の内に、有り金すべてを使って彼女を落札していた。
そして、エギルはすぐさまゲッセンドルフから裏口で引き取れると聞いて向かうと、奴隷商人と競り落とした、先程まで着ていたドレスとは違い、地味な灰色の奴隷服を着替えさせられた彼女がいた。
「奴隷オークションってのは初めてだが、ゴールドの引き渡しはどうすればいい? 1200万ゴールドなんて大金、今は持ってきてないぞ?」
エギルの言葉に、奴隷商人は手をすりすりと合わせながら、ネチネチとした笑みを浮かべる。
「いえ、落札額に関してはお預けになっている銀行までご一緒に受け取りに行かせていただきますので……それと、二割は彼女の取り分ですので」
「二割?」
奴隷が落札額を受け取るというのは、エギルの知識ではなかった。
だがエギルが知らないだけで、それが普通なのかもしれない。エギルはそう思い、背の低い奴隷商人の隣に立つ彼女を見る。
やはり綺麗だ。
それが、エギルが近くで見て感じた彼女への印象だった。
そして彼女は、エギルに近付いて頭を下げた。
「この度は落札していただきありがとうございます。わたくしはエレノアと申します」
透き通った女性らしい声、それでいて強い意志を感じさせる声。
そんな彼女を見て、エギルがずっと抱いていた『奴隷』への嫌悪感がなかったのを、この時はまだ気づいていなかった。
◆
人口千人ほどのクリシュナの街。
この人口は王国に比べれば決して多くはない。それでも賑わってるのは、この街に訪れる外部の者が多いからだ。
冒険者がお金を稼ぐためにクエストを受注する『クエスト受注所』があり、街中には様々な装備をした冒険者が歩いている。
そして、ここで暮らしてる住民の他には、高貴な衣服に身を包んだ者たちも散見される。
そんな街中を、エギルと、奴隷であるエレノアは少し距離を開けて歩いていた。
「本当に返してもらって良かったのか?」
奴隷商人にエレノアを競り落とした額の八割を渡して別れると、エレノアは奴隷商人と決めた取り分をエギルに返した。
その金額は240万ゴールドほど。二割であるその大金を、その街に暮らす者の資産を預かってくれる銀行に預け、エギルとエレノアは家へと向かった。
「わたくしはあなた様の奴隷ですよ? なのでこのゴールドも、あなた様の所有物でございます」
「じゃあ、なんで奴隷商人から取り分の二割を受け取るなんて契約をしたんだ?」
エレノアは奴隷商人に『自分が競り落とされた金額の二割を頂く。もし競り落とされてから貰えなければ自殺する』という謎の契約をしていた。
だから奴隷商人はその謎の契約に従い、エギルが落札額を渡した時、エギルの目の前で奴隷商人から受け取っていた。
だが、240万という大金を何ら躊躇なくエギルに返したのだから、最初からそのような契約はしなくてもよかったのでは、とエギルは不思議に思っていた。
「ふふっ」
だがエレノアは桜色の唇を三日月形にして笑い、
「もしわたくしが気に入らない主人でしたら──逃げて自分の取り分で生活する予定でした。ですが、あなた様は強そうですし、わたくしのタイプでもありましたから良かったです」
「タイプ? 俺がか?」
「ええ、そうです」
エギルは嘘ではないかと怪しんだが、エレノアの表情から本当か嘘かの判断できなかった。
エギルは生まれてこの方、異性からタイプだと言われたことがなかった。
吊り上がった目は相手を威嚇し、スッと伸びた鼻に大きな口。一八〇ほどの背丈は高圧的で、その身長を鍛えた体が増長させる。
爽やかな風貌よりも、良く言えば男らしい逞しい風貌であった。
エギルは乱雑に伸ばされた黒髪を触る。
「まあ、お世辞でもそう言ってもらえると嬉しいよ」
「いえ、お世辞ではありませんよ」
ニッコリとした笑顔で即答。
それに対し、エギルは柄にもなく動揺していた。
「そうか……希望に応えられて良かったよ」
「なので、あなた様にお願いがあるのです」
「俺にお願い? それはなんだ?」
隣を歩いていたエレノアは、急に足を止めると、真剣な眼差しでエギルを見つめる。
「わたくしを奴隷商人に売り飛ばした幼なじみを見つけて──殺してほしいのです」
「幼なじみを、殺す?」
物騒な物言いに、エギルも真剣な表情へと変わっていた。
◆
「とりあえず座ってくれ」
「ありがとうございます」
二人はクリュシュナの街にある、エギルの借り家に到着した。
そして、リビングの中にあるソファーに座るなり、エレノアは辺りを見渡して驚いていた。
「とても広いお家ですね」
「というよりも、無駄に広いだけだな」
Sランク冒険者という身分から紹介された家は、決して一人で暮らすには広すぎる家だった。
一階と二階があり、部屋は全部で五部屋はあるだろう。クエストをこなし寝るだけの家であるここは、あまり生活環のない空間と表現して良い。
「エレノアはコーヒーでいいか?」
「あっ、そのようなことは奴隷であるわたくしが」
「別にいいさ。コーヒーを淹れるのが好きなんだよ」
頼むのが苦手だからそう言った。すると、ソファーに座るエレノアから、
「お優しいのですね。ところで、お名前は何て呼んだらよろしいでしょうか?」
「名前か、そうだな」
エギルはその問いかけに、少し考えた。
これから先、おそらくずっと決めた呼び名だろう。であれば慎重に選ぶべきだ。
「あの、どうかなさいましたか?」
エギルは一人の世界に入りこんでいた。
「どうなされたのですか?」
「うっ!」
だが、突如として隣に立つエレノアに現実に引き戻された。
そして感じたのは同性とは違う、女性特有の甘い香り。綺麗な花を連想させる匂いに、女性慣れしてないエギルは鼓動を荒くしていた。
「すまん。何て呼んでもらおうか考えてたんだ」
そう答えると、エレノアは手を口元に当てて笑った。
「ふふっ、変わったお方ですね。何でもいいのですよ」
「何でもいいってのが一番、困るんだが?」
「やっぱり変わっております。こんなに鍛えられた体で、少し恐い印象を与える顔付きなのに、とてもお優しい」
その言葉に、エギルは苦笑いを浮かべた。
「やっぱり、俺の見た目は恐いか?」
鍛え抜いた筋肉は冒険者として自慢する部分だと思っているが、初対面の女性にはいつも恐れられてしまう。
女性との接点を求めていたわけではないのだからいいが、エギルだって男だ、少なからず異性には良くみられたい。
「……正直に申し上げれば、見た目は少し恐いかもしれませんね」
だからこの言葉に、エギルは内心では落ち込んでいた。だが彼女は、自分の胸元に手を置き、
「ですが、奴隷は主人に対して悪い事は言いません。なので普通なら、奴隷であるわたくしはあなた様の見た目を『恐くない』と嘘を言うのが当然なのでしょう。だけどあなた様には嘘を付かなくてもいいと、そう思えたのです。わたくしの本心を許してくれるほどの大きな器と、優しさを持っている方だと思いました。だから見た目以上に、わたくしはあなた様が優しい心をお持ちなのだと思いました」
そして「まだ会って間もないですが女の勘です」と付け足し「恐い見た目からは想像できない優しい性格が、逆にギャップとして良いと思いますよ」と言って締めた。
その笑顔を見て、エギルもまた、心からの笑顔を彼女に向けていた。
「俺の名前はエギルだ。だからエレノアの好きなように呼んでくれ」
ずるいかもしれないが、自分では呼び名を決められなかった。
エギルはエレノアに背を向けてコーヒーの準備をする。
すると、背後に立つエレノアは、少し間を空けて、
「かしこまりました。ではエギル様と呼ばせていただきますね」
「ああ、それで構わない。さて、コーヒーの準備ができたから向こうに移動しようか」
エギルは優しい笑みをエレノアへと送り、二人分のコーヒーを持ってソファーに座る。
「それで、さっきの幼なじみへ復讐するって話しを聞いてもいいか?」
コの字に置かれたソファー。エギルは中央の位置に座り、左手のソファーでコーヒーを飲む彼女に問いかける。
「はい。まずは奴隷商人の前では言えなかった、わたくしの本名をお伝えします。わたくしの本名はエレノア・カーフォン・ルンデ・コーネリアと申します」
「コーネリア? ……コーネリアって」
「はい。わたくしはコーネリア王国の三女でした」
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