第5話
自分達の声を西暦人語に変換させることができるのは知っていた。意図的にやらなかった。何故、頑なに意思疎通がとれることを西暦人に知られたくなかったか。自分でもわからなかった。
息子が友人にペットの話をしたのだろう。通信機器の中に、相互翻訳機能のアプリケーションを入れたようだった。
忘れられない。あの西暦人の驚いた顔。私が急いで息子から機器を取り上げたが、もうすでに遅かった。
息子は、理由を説明することなく私が機器を取り上げたものだから、少し癇癪を起こした。しかし、私がしたことよりも、きっと西暦人の意志にむくれてしまったのだ。
「家に帰してください」「早く」
あんなに可愛がっていたペットが自分から離れようとしていることに、息子は受け入れられなかったのだと思う。
こうなることはわかっていた。だから息子には見せたくなかった。
一度でも、同じ言語を共有できるのだと知ってしまうと、期待をしてしまうのだ。自分の意思が通じるのだと、まかり通るのだと。受け入れてもらえるのだと。
しかし、そうではないのだ。あらゆる生活には上下関係がある。支配する者と、される者といて、同じ言葉を使おうとも、自分の意思を尊重されることなく生きていかねばならない生き物もいるのだ。
自分の言葉を理解してなお、自分をクリアケースから出さない私達を見て、西暦人は絶望したようだった。
その日の夜、息子が寝静まったのを確認して、私はいつもの通り、西暦人の翻訳をぼんやり眺めていた。
「わたしがいったい、なにをしたというの」
その文章が表示された後のことはあまり覚えていない。
気がつけば、力一杯握りしめて、西暦人の首が折れる手応えがあった。小枝を折るような、確かな手応えだった。私はハッとして、手を離す。
息子にギィギィと呼ばれていた西暦人は、脱力して、私の手から滑り落ちた。ぼとりと音がした。
膝から崩れ落ち、両手で顔を覆った。西暦人と同じような汁が、私の両目からどんどん溢れて出てくる。
息子を起こさないよう、声を殺して汁が止まるのを待った。この西暦人に、名前はあったのだろうか。
私は、この西暦人の名前を呼びたくなかった。名前なんて、知りたくもなかった。
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