第35話 最重要危険人物

 かくして俺は、最高権力者の帝妃様から一転、最重要危険人物としての帝妃となったのである。


 強大すぎる力を持つ者は味方のうちは心強いが、敵に回せば最も厄介な存在となる。そういった存在はどうなるか。きな臭い空気が充満しているような気がする。


 そんな中、俺の唯一の理解者である(味方というわけではないと思う)ロージも、ここ数日は城に来たり来なかったりなので、ますます得も言われぬ孤独をしゃぶるように味わっている。吐き出したいくらいだが。


 というのも、現在農作業が大打撃を被っているからだ。ロージの実家も例外ではない。そのため、三日に一回程度の割合で暇を出し、実家の手伝いに行くのを許可している。


 なぜ農業が大打撃を被っているかというと、俺が原因だ。俺がダムを破壊し、平野を川にしたせいで、むしろそっちの方が本流となってしまったからだ。


 当然の帰結として、それまで帝国内に流れてきていた川が流れてこなくなった。二本あった川の一本がなくなったので、水量は半減したわけだ。これはデカい。


 そのため、農業だけではなく、生活用水全てに影響が出ている。もう、踏んだり蹴ったりである。日に日に益々俺への風当たりが強くなっていっている。いや、風当たりなんてもんじゃない。憎しみと言い換えた方がより正確である。もう嫌だ。


 なんとなく優紀……じゃない、あのターク族の獣人のところに行きたい、と何度か思った。でも行けない。今行ったら、余計ややこしいことになるからだ。それに、あいつとしても、俺なんかに来て欲しくはないだろうし……。


 ちなみに、獣人の処刑は殲滅作戦勝利の暁、ということにしたのだが(俺が)、作戦が失敗した今、うやむやになってしまっている。



 そんな風に欝々と過ごしているうちに新月の日になった。


 そう、新月である。俺が力を使えない日。


 この情勢の中、何もないと考えるのは都合が良すぎるだろう。


 そしてこの情勢の中、俺はすっかりそのことを忘れていた。あまりに欝々としていて我を忘れていたからだろう。


 それにしても我ながら何たる不覚。この不覚が致命的な大不覚になるかもしれないことに俺は戦慄した。もちろん、俺の頭の悪さにも戦慄した。さすが廻中高校成績ランキング中の下である。


 取り急ぎ、ロージには既に暇を出した。実家の農家が苦境に立たされている関係で(俺のせいだが)ロージには定期的に暇を出していたが、折悪しく新月の日は出勤の日だった。


 仕方がないので「実家が大変だろう」と無理矢理に暇を出した。しかしロージは何かを察したらしく(君はエスパーか?)、一緒に城に残る、と言ってくれたが、唯一の味方を危険に晒したくはない。


 新月の日は何が起こるかわからない。少なくとも俺のそばに居るのは危険だ。正直、そばに居て欲しいのは山々だったが、なんとかなだめすかして実家に帰ってもらった。


 そして俺は、何とかここから逃げ出さなくてはならない。


 正攻法でこの城から逃げ出すのは今日の俺には無理だ。しかし、唯一、逃げられる方法はある。そう、移隠の儀である。もう一度、元のあの廻中町に戻ることができれば、一旦は逃げられる。


 俺は聖堂を目指した。移隠の儀のやり方は……まだ思い出せていない。しかし、嵐を呼んだ時と同じように、体が覚えていてくれるだろう。そこに賭けるしかない。


 帝妃の間おれのへやを出て、聖堂へと到る。細く長い橋が聖堂に伸びている。相変わらず、風が煽るように吹き荒れている。相変わらず高い。相変わらず怖い。結局、この橋を渡るのには慣れなかった。橋の守衛に声をかける。


「下がれ」


 命令形には、もうすっかり慣れた。


「申し訳ありませんが、現在ここから先は何人たりとも通ることはできません」


 どういうことだ? 今日に限って……いや、そうか、か! 俺の浅知恵はとっくに見透かされていたわけだ。考えてみれば当たり前だ。


「帝妃であってもか」


 しかし粘ってみる。


「帝妃様であらせられてもです」


「誰の指示だ」


「枢密院の天上様方直々のお達しです」


 腐れジジイ共がぁ……!


「帝妃と枢密院と、どちらが上だ?」


 俺はこの国の最高権力者だぞ。


「帝国憲法では、枢密院の決定が何よりも優先されることになっております」


 何それ? 帝妃様、最高権力者じゃないじゃん。


「そう……なのか?」


「はっ! 憲法で定められております故」


 しばらく、俺と守衛の睨み合いが続いた。力ずくで押し切ってやろうかとも一瞬思ったが、今日の俺では無理だ。結局、俺はその守衛に黙って背を向けた。



 夜が来た。


 結局、昼間のうちは特に何も起こらなかった。まぁ、言うても、俺は帝妃様だ。四つの属性を持つ者だ。帝国にとっては依然、必要な人間ではあるだろう。


 しかし、そうは思っても(いや、としても)、一向に寝られない。目が冴えてしまってしょうがない。


 喉が渇いた。ベッド横の脇机に手差しとコップがある。


 でも、怖くてベッドから出られない。さっきから目も開けられない。固くギュッと閉じている。毛布を頭から被っているので、いい加減暑い。喉はどんどん渇いてくる。


 ダメだ、水飲みてェ。喉の渇きには勝てず、布団を除けた。


 衛兵が俺を囲んでいた。


 月は出ていなくても、星明かりでわかる。気配がなく、亡霊のようだ。俺を守ってくれていないのは一発でわかった。剣先を俺に向けているからだ。やっぱなー……。それが正直な感想だった。なんだかあっさりしたものだった。


 ロージに暇を与えといて本当に良かった。それが次に思ったことだった。


 衛兵たちが、俺を殺そうと、体に力を込めるのがわかった。次の瞬間、飛びかかって来るのだろう。こういう時、感覚ばかり鋭くなるが、一向に体の方は動いてくれない。


 そしてやはり、廻中町の父ちゃんと母ちゃんのことが頭に浮かんだ。あと、綺羅星と、それからやっぱり優紀。なんで俺は異世界に来ちゃったんだろうなぁ……。


 派手にガラスが割れる音がした。


 俺の体はガラスだったっけかな? 俺は新月の日はガラス属性になるのか?


 一瞬、本気でそんなことを思った。しかし、俺は無事だった。粉々にされたのは俺ではなく、窓ガラスだった。そして割れた窓から、しなやかな影が音もなく部屋に飛び込んできた。その数五人。


「何者ッ?」


 叫んだのは衛兵たちだ。その衛兵たちを見て、闖入者たちは一瞬ひるんだものの、すぐさま、衛兵たちに飛びかかった。やはり、音を立てることなく。


 衛兵たちが次々と倒れていく。暗くてよくわからないが、動きでわかった。入って来たのは獣人たちだ。俺を助けに来てくれた……わけはない。


 やはり、新月という状況から考えると、俺を暗殺しにきたのだろう。全く、獣人たちはこんな高い塔も平気で登れるもんなのか? おかげで助かった。


 衛兵たちは俺に構っている余裕はないようだった。獣人ってのはこんなに強いのか。この部屋にいた衛兵は二十人はいたはずだ。たった五人で互角以上どころではない。圧倒している。


 そして、この予期せぬ乱闘騒ぎを聞きつけたか、部屋に衛兵が多数雪崩れ込んできた。


 俺はこの騒ぎに乗じて、開かれた扉から逃げ出した。

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