第33話 四面楚歌

 ちなみに、あの元優紀の獣人の死刑はまた延長してもらった。本来なら、この作戦の前に景気づけのため処刑、という話だったが、俺の一存で「勝った暁に景気づけのため処刑」ということにしてもらった。というより、強引に押し切った。


 段々権力というものの使い方がわかってきた気がする。とにかく、強引にゴリ押しすれば、大体通る。そして、それを続けると、更に権力が増す感じだ。ゴリ押しが通れば、更にそれが権力の証となるようだ。あの人には逆らえない、という意識が強くなるのだろう。


 というわけで、わずか一日ではあるが、猫獣人の命を永らえさせることはできた。


 俺のやることは前回と同じだ。ここから狙いを定め、森のいたる場所へ雷を落とす。


 そして太陽が昇り切った。いよいよ作戦開始だ。


「帝妃様、お時間です」


 やせぎすの老人に促され、俺は玉座から立ち上がった。山脈がよく見えるガラス窓の前に移動すると、その場にいた全員が俺を中心に扇状に(多分、位順だと思う)ひざまずいた。


 もう、大体やり方はわかった気がする。俺は両の掌を空に掲げ、雨雲を集めた。山脈の向こうが暗くなっていく。多分もう、今は雨が激しく降り注いでいるはずだ。しかし、稲光は起こらない。


 それから一時間は経ったろうか。


「帝妃様……、雨……ばかりのようですが?」


 小太りの老人が、いい加減おかしいと思ったのか、いぶかし気に声をかけた。


「雷を起こすには雷雲が必要だ。雷雲は雨を伴う」


「そう……ですか……」


 今は日に日に、日が短くなっていく季節だ。暗くなるのも早い。暗くなるということは、それだけ獣人連合軍に有利だということだ。有利な時間はなるべく長く確保したい。焦るのも無理はない。


 感覚としてはそろそろだと思うが……。俺もだんだん焦ってきた。ではもう一押し。


 山向こうの空が、白く光る。続いて爆音が轟いた。


「おおっ!」


 老人たちが歓声を上げる。


「これで獣どもの息の根を止めることができるぞお!」


 更にそれから小一時間くらい経っただろうか。


「大変です!」


 クイルクが聖堂に駆け込んできた。


「何事だ?」


 応対したのはやせぎすの老人だ。


「伝令から報告がありまして……、堰堤えんていが……、決壊しました!」


「何ィ?」


 老人たちは目を剥き、ほくそ笑んだのは俺だった。


 そう、実は俺が雨を降らせていた場所は森などではなく、堰堤えんてい、つまりダムだったのだ。それも相当な雨量を降らせてやった。そしてなかなかダムから水が溢れなかったので、雷を落として壊してやった。とどめというやつだ。


 獣人連合殲滅作戦の裏で、俺が密かに考えていた作戦はこうだ。


 川の上流には、山向こうの平野に水を引くためのダムがある。そのダムを破壊すれば、溜まっていた水が一気に解き放たれ、洪水のように平野を飲み込み、川となるだろう。


 帝軍の兵士は山で待機している。一方、獣人たちは今日は森からは一歩も出ないはずだ。なぜなら、あのリス獣人が会議を盗聴し、こちらの作戦を仲間たちに知らせたはずだからだ。今日は森から出たら危ない。そういう情報が共有されているはずだ。


 だから、ダムからの洪水に飲み込まれる者はない。山と森が川という天然の国境で隔てられれば、帝軍も獣人の棲み家である森には攻め込みにくくなり、しばらくは戦闘もなくなるだろう。それは逆も同じことだ。


 いがみ合っているのなら、関わり合いにならなければいい。戦力とは守るためにあるのだ。攻撃するためではない。


堰堤えんていに溜まっていた水が一気に平野にまで雪崩れ込み、まるで大河のようになっております」


「何ということだ……」


 よしよし。


「この水の流れにより、我が軍の八割が……壊滅したということです!」


 え?


「な、なぜだ? 兵は山に待機していたはずだろう?」


「なかなか、雷が森に落ちず、従って山火事にもならず、獣人共が森から出てこなかったものですから、」


「森に、落ちずに……?」


 やせぎすがチラリと俺を見る。


「痺れを切らした衛兵隊隊長が、その……、獣人どもを少々つついてやろうと、その……、兵士を率いて挑発行為を……」


「平野まで進軍したというのか?」


「そのようで……」


「なぜ指示があるまで待たなかったのだ!」


「獣人共がなかなか森から燻り出されず、焦ったのではないかと……。暗くなってしまうと、さすがに我が軍が不利です。殲滅するにはそれ相応の時間が必要となります。今は日が短くなっている季節でありますが故……」


「と、とにかく……、八割も兵力を削られては殲滅どころではない」


 そして、やせぎずは枢密院の爺さんたちを振り返り、


「どうでしょう、ここは……一旦作戦を中止にし、流された兵の救出を優先させた方が宜しいかと思うのですが……」


 と、問いかけた。異論はなく、皆同意の声を上げた。



「ご機嫌麗しゅうございます」


 城内の者が俺にかけるセリフは昨日と同じだ。しかし、その心根は違うことはよくわかった。エスパーにでもなった気分だ。


 悪事千里を走るとはよく言ったもので、俺のしでかしたことは一日にして城中に広まった。千里を走るんだから、悪事さんにしてみれば城内を駆け抜けるなんて朝飯前だ。


 朝飯と言えば、こんな気分なので朝飯なんか喉も通らないことはなく、今日も美味しくいただき、全部平らげてしまったのだから成長期おそるべし。ちなみに春の健康診断では、去年より一センチ伸びていた。


 いやあ、それにしても手の平返しとはまさにこのことだ。お前ら、昨日まであんなに俺に愛想を振りまいてたぢゃないかっ! はぁーあ、人生紙風船。


「帝妃様、お茶が入りました。そのぉ……、今、お召しになられますでしょうか……?」


 ロージが声をかけてきた。


「え? あ! うん……、ありがとう……。いただくよ」


 心ここにあらずだったので、突然声をかけられて、変なリアクションになってしまった。


 例外というものはどこにでもいる。こんな四面楚歌の中、ロージだけは昨日までと変わらず、俺に接してくれる。


 ソファの前のテーブルに置かれた茶碗を覗くと、薄紫の花弁が可愛らしく開いている。


「はぁ……」


 その花弁を見たら、なぜだか溜息が出てしまった。ハッとして見上げるとロージとバッチリ目が合った。俺は溜息を打ち消すようにお茶を飲んだ。


「熱っつ!」


「申し訳ございません! まだ熱すぎましたか」


「いや、そうじゃなくて……、大丈夫……」


 ちなみにお湯加減はいつもと同じだった。普段なら少しずつ飲むところを、あろうことか俺はあおって飲もうとしてしまった。


「今、氷を持ってきます!」


 ロージは氷をタオルで巻いて、俺の唇に当ててくれた。


「大丈夫ですか?」


「うん、大丈夫」


 唇は燃えるように熱いが、期せずしてロージとの距離が近くなった。今、帝妃の間おれのへやには俺とロージしかいない。


「あの……、今、城内の雰囲気って、どんな感じ? 主に私についてなんだけど……」


 俺は、ちょっと恥ずかしかったが、思い切って聞いてみた。もう、気になって気になってしょうがない。小心者と笑わば笑え。


「あ、いえ……特には……」


 そんなはずはない。


「怒らないし、大丈夫だから……多分」


「はい……、わかりました。あのぅ……」


 ロージはしばらく、そうは言ったもののやっぱどうしよっかなぁー、という顔をしたが、意を決したように話し始めた。

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