第31話 現場
「この土地は神によって祝福された土地です。その聖なる『祝福の地』を獣人が不敬にも荒らしていたのです。神が私たちをこの地へお導きになったのは、獣人の支配からこの地を解き放つためだったのです。獣人とは、血に飢えた、存在そのものが汚らわしい存在です。それらを一掃することが、私たちの使命だったのです」
ロージがカテナの後を継いだ。
「本当に汚らわしいですよね。毛むくじゃらで、今こうして想像しただけで身の毛がよだちます。顔にまで毛が生えてるんですよ」
地下牢にいる、優紀だった獣人の顔が脳裏をよぎった。
カテナが再び『神話』を語り始めた。
「獣人との戦いは過酷を極めたそうですが、私たちには神のご加護がありました。それが、最初の帝妃様だったのです。帝妃様のお力添えもあり、私たちは獣人をこの地から追い払うことができました。そして、その功績として、神からこの『祝福の地』にとどまることを許されたのです」
「そう……だったんだね」
「それは千年経った今でも続いております。帝国の平和は帝妃様によってもたらされているのです」
山脈の向こうの光と音を思い出した。俺が起こした嵐だ。
「うん、ありがとう。よく、わかったよ」
「また何かございましたら、何なりと」
「うん……」
「あ、帝妃様、お茶はいかがでしょうか?」
ロージが声をかけた。
「あー……、いいや。お腹ガボガボになっちゃったよ」
二人は笑った。俺は少し残ったカップをテーブルに置き、窓際へ移った。遠くにそびえる山脈を眺めた。
翌日、俺は山向こうの戦場となった場所を訪れた。
最初は断られた。帝妃というものは、通常は城に留まっているものらしい。しかし、今後の戦のためにも戦果を見たい、と言うと、許可された。こっちへ来て最初の日と同じように、大名行列のような人員を伴って、山向こうを目指した。
今回は途中で寝ることもなく、そのため、道中、町の様子もよく見れた。
『祝福の地』と呼ばれている帝国の領土は、それほどの大きさはなく、国というよりは市といった感じだ。正直、市と呼ぶにも控えめな大きさである。
川に囲まれた土地なので、全体としては川の上流である東から西へとなだらかに下っている。北と南では北の方が温かいようで、隠界で言うところの南半球にあるのかもしれない。
領土全体としては、上流の川の交差点にある城を中心とした同心円状に区画が形成されている。
先ずは城の近くに広がる貴族街。文字通り、位の高い者たちが住んでいる。建物は高いものが多いのだが、敷地はそれほど広くはなく、密集している印象だ。石造りの建物ばかりで各々の壁も高く、全体として見ると、城を守る砦のようだ。
続いてそれを囲むように広がるのが市場である。ここを更に囲むように広がる庶民街と貴族街の間にあるので、人通りも多く、大変に賑わっていて活気がある。ここまでが道は石畳となっている。
庶民街になると、道は舗装されておらず、土の道となる。平屋や、高くても二階建ての家が広がっているが、家の敷地そのものは広い。なんというか、田舎である。しかしそれ故、貴族街に比べて空を広く感じることができるので、開放感がある。そしてそれから先は、延々と農地が広がっている。
その帝国の領土を抜け、龍車を降り、そこからは徒歩で山を越えた。山と言っても、それほど高い山ではないし、軍が利用する道を利用したので、大して難儀はしなかった。
薄暗い森を抜けると、なんとなく嫌な臭いが漂ってきた。すると間もなく森が途切れ、いきなり明るくなった。
暗い森を歩いてきたので、思わず空を見上げてしまう。空の深い青が目に眩しい。飛龍がのんびりと旋回している。
ふと東の方を見ると、石造りのダムが建造されている。大したものだ。あの向こうにあるダム湖にも近々行ってみたいな、と思った。しかしさすがに疲れた。深呼吸すると、むせ返った。
「帝妃様! 大丈夫ですか?」
クイルクが声をかけてくれる。
「あぁ……」
やはり異様な臭いがする。腐った肉のような、嫌な臭いだ。
見ると、さっきまで飛んでいた飛龍が急降下して平野に降りた。そこは、帝国の領土ほどではないが、見渡す限りの広大な平野で、向こうに見える森まで広がっている。飛龍があちこちに飛来していた。何かを貪り食っている。
「着きましたぞ」
クイルクの声を待つまでもなく、そこが「現場」であることがわかった。
飛龍が食っているのは、人だった。平野が獣人の死体で埋め尽くされている。確かに毛むくじゃらで、確かに獣だ。しかし、人だ。その人の死体が累々と広がっている。
その、人の死体を、飛龍は肉を裂き、内臓を引っ張り出し、骨を噛み砕いている。その光景が、明るい日差しの元、俺に見せつけるように鮮明に晒されている。
俺は、その場で、吐いた。
「記憶がお戻りになられたのですか?」
俺がソファでぼんやりお茶を飲んでいると(正確に言うとカップを持ってるだけだったが)、ロージが声をかけてきた。恐る恐る、という感じだ。
「いや、残念ながらまだだけど……。何で?」
「そのぅ……、ここ数日、以前の帝妃様のようでしたから……」
「……怖いってこと?」
「いえ! 決してそのようでは……」
「そっか……」
「ただ……、あまりお話しされることもなくなってしまい、お一人でいることが多くなってきているので……、つい……、出過ぎた真似を……」
「いや、心配してくれてありがとう。なんだか、ごめんね」
「いえ……」
俺は立ち上がり、カップをテーブルに置いた。
「お茶は、もうよろしいのですか?」
「うん。なんだか、最近食欲がなくてね」
結局、お茶には一口も口をつけなかった。
「ちょっと、散歩に行ってくるね」
「あ、お伴します」
「ごめん。ちょっと、一人になりたいんだ」
「はい……」
あぁ、こういうことか。確かに、以前の「自分」に戻りつつあるのかもしれないな。それは喜んでいいものなのか、悲しむべきことなのか。
「嫌がらせのつもりかよ」
猫獣人が悪態を吐く。相変わらず、両手足を氷で壁に磔にされている。俺は地下牢に来た。例によって守衛は下がらせた。二人で話したい。
「そういうこと言うなよ。その……、慰問だよ慰問。うん」
「何が慰問だ。自分で氷漬けにしといて」
「だって、お前が……! いや、やめよう。またこの間と同じ議論になる」
「ふん。……で、何しに来たんだよ?」
「……帝国の建国神話を聞いたよ」
「ふーん。何つってた?」
俺はカテナから聞いた話を話した。猫獣人は時折、それはそれは物凄い怒りの形相を見せたが、黙って最後まで聞いてくれた。
「ふん、まぁ、帝国の側から見りゃそんな感じだろうな」
「獣人からは違うのか」
「当たり前だ! お前らがやったことはただの侵略だ。それなりに秩序を保って平和に暮らしていた俺たちの棲み家をお前らは土足で踏み荒らしたんだ。何の恨みがあって……。お前らは血に飢えた悪魔だ」
「血に飢えた……」
カテナも丁度同じ言葉を使っていた。
「何か言い返してみろよ」
「いや……、ない」
「……。じゃあ、用は済んだな。とっとと、」
「俺が嵐を起こした場所にも行ってみたよ」
「……で?」
「うん、まぁ……」
「お前……! お前のしでかしたこと見て何も感じなかったのかよ! ……って訳でもなさそうだな」
「俺……、どうすればいいかな?」
「知らねぇよ」
そこへ、衛兵がやって来た。
「帝妃様、申し訳ありませんが、そろそろ会議の時間です」
「あぁ、もうそんな時間?」
俺は立ち上がり、その場を去り、出口へ向かった。
「こっちも時間だな」
衛兵のそんな言葉が聞こえてきた。
「ふん、下衆が」
獣人のその言葉に逆上したのか、衛兵が吠えた。
「獣風情がどの口で言ってんだ、ああ?」
鈍い衝撃音と獣人の呻き声が聞こえてきた。牢屋に戻ってみると、衛兵が身動きのできない獣人を力任せに殴っていた。
「やめろ!」
「て、帝妃様……」
「刑の執行はまだのはずだ。それまで手を挙げるな」
「し、しかしこの獣は……」
「帝妃に意見するとは、良い度胸だ」
「はっ! も、申し訳ございませんでした!」
衛兵は俺の前にひれ伏した。獣人は驚いたように俺を見た後、皮肉めいた笑顔を浮かべた。
「……大したご威光だな」
「そういう言い方、するな」
俺は会議へと急いだ。
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