第2話 異世界帰還
「ねぇー、やっぱり病院行った方がいいんじゃない?」
駅を出て、河川敷を歩いてる。この町を囲む、二つの大きな川のうちの一つだ。川面が、初夏にさしかかろうとする午後の日差しを受けて輝いている。しかしそんな、のどかな光景を目にしても、優紀の声に応える心の余裕はない。全く不愉快だ。何だ、あの巨大顔面駅員は。
そう、俺は駅のあの壁にぶつかった。頭からだ。
なぜなら、俺は異世界に帰らなくてはいけないからだ。
色々と調べたところ、異世界への入り口は地下にある場合が多い。しかも地下へと続く洞窟が多いらしいのだ。また、ものの本によると、九番線と十番線の間に異世界への入り口があるという。まぁ、その本で語られてるのは魔法の世界への入り口だから厳密に言うと異世界ではないが、非日常ではある。非日常とは異世界に他ならない。だからこの説も当てはまる。
地下、洞穴、存在しないはずのホーム。三つもの条件に合致する場所が、奇跡的にもこの狭い町にあることを俺は発見した。そう、それがあの駅の地下道の壁だ。灯台下暗しとはこのことだ。駅だけど。
第一に地下である。第二に洞穴である。地下道とはトンネルである。トンネルとは即ち、現代の洞穴である。異論は認めん。そして最後に、上り線と下り線の間に存在する壁である。どうだ。ぐうの音も出まい。
一つでも強力なのに、それが三つも重なっているのだ。これ以上、異世界への入り口であることの説得力が他にあろうか。
俺は今日こそ異世界へと旅立つべく、並々ならぬ意を持って、あの壁に突進しようと思った。そこへ居合わせたのが優紀だったのだ。俺の壁を見つめるただならぬ眼光に何かを感じたのだろう。何をしているのかと問うてきた。そこで万感の別れと共に、特別に俺の旅立ちの決意を教えてやったのだ。
「ねぇ、ホントに病院行った方がいいと思うよ」
「大丈夫だ。大分痛みは引いてきた」
歩いていたら、少しは心の余裕を取り戻せてきた。本来、俺は寛容なのだ。
「いや、そっちもだけど、色々な病院」
「何だよ、その色々な病院っていうのは。バカにしてんのか」
「あの駅員さんも言ってたじゃん」
「あの巨大顔面駅員の話はやめろ。不愉快だ」
「でも、言ってることは正しかったよ」
「間違っている」
「そうかなぁ。だって、荻窪田バカじゃん」
「バカではない!」
「ふーん。ま、いいけどさぁ、何でそんなに異世界に行きたいの?」
いきなり核心に迫ってきた。
「話せば長くなるが……」
「どーせ、転生系のアニメかラノベ見たんでしょ?」
いきなり核心を突いてきた。
そう、この世には異世界転生、はたまた異世界転移系のマンガ、アニメ、ラノベが溢れている。実を言うとこの俺も、それらの物語を嗜むことを隠すことは潔しとしない士である。次から次へとこの世に生まれ出づるそれらの物語の、その全てを見聞せしめんと、日夜励んでいた。
そうこうするうち、一つの考えが天啓の如く、脳裏に浮かんだ。
異世界あんじゃね?
一旦閃くと、次々とその確証となるような事実に行き当った。
一つ、これだけ異世界転移モノが量産されるのは普通に考えれば不自然だ。これは何らかの意図的なメッセージであると考えられるのではないか。それは即ち、俺に転移せよと言いたいのではないのか。
二つ、多くの作品に描かれる剣と魔法の世界は幼少の頃より多く体験している。そう、RPGである。俺は何十回、いや、何百回となく世界を救ってきた。救い慣れてる、と言っても良い。これは救世主の証なのではないのか。仮に今、異世界へ転移したところで、精神面では丸腰ではない。むしろ準備万端である。
三つ、そして俺は男である。
最後のは平成を飛び越え、昭和、いや大正、いや明治、いや戦国の乱世的ではあるが、いずれにしろこれだけの証拠が揃っている。
いやむしろ揃いすぎている。その事実が、またしても俺に天啓を与えた。
俺は元々向こうの住人だったのではないか?
思い返せば思い当たる節がある。勉強、今ひとつ。運動、今ひとつ。ルックス、今ひとつ。家柄、今ひとつ。
俺は幼少の頃より、自分の、その魂の器の大きさに気付いていた。しかし、この現状は何たることか? 惨状と言ってもよい。違和感しかない。むしろ違和感で構成されている。ここが俺の世界であるはずがない。
俺は本来異世界の住人だったのだ。だから、俺は帰らねばならん。というわけで俺は日夜、異世界帰還についての研究を怠ることはない。
「そんなものに影響受けるなんて、ホーント、荻窪田ってガキなんだから」
「そのガキの頃、俺以上にそんなものに夢中だったスットコドッコイはどこのどいつだろうねぇ?」
「あー! 何その言い方ムカつく。荻窪田のくせに生意気だ」
「フン。何とでも言え」
「うらぁ!」
いきなりヘッドロックをかましてきた。
「あー! 痛い痛い痛い痛い!」
こいつのヘッドロックはこめかみを的確に突いてくるので、めちゃめちゃ痛い。
「やめろよ! まだデコも痛いんだから!」
「あ! ごめん! つい……」
デコの痛みを訴えると、すぐに解放してくれた。鬼の目にも涙である。ちょっと違うかもしれないが、まぁよい。大勢に影響はない。
「大丈夫? 荻窪田ぁ?」
優紀は家も隣同士だったこともあり、幼稚園に上がる前からの付き合いだ。だから、小さい頃は名前で呼び合っていた。しかし、小学校も高学年になると、優紀は俺のことを名前の健児ではなく、苗字の荻窪田で呼ぶようになった。なぜ突然に苗字で呼ぶようになったのか引っかかっていたが、なんとなく聞き出せずに時間は流れていった。
そしてとうとう、中学三年の卒業式の日を迎えた。この、卒業という感傷的かつ記念日的な日を除いて、事の仔細を聞く日は二度と来ないであろうという思いに至った。そこで、卒業式当日、優紀を呼び出し、清水の舞台から飛び降りるような決意で、なぜ俺を荻窪田と呼ぶのか、その理由を問うてみた。
すると、彼女の口からは「語呂が悪いのが面白いから」という答えが告げられた。そして、俺が呼び出した理由がそのことだけだとわかると、なぜだか優紀はひどく不機嫌になり、例によって強烈なヘッドロックをかけてきた。全く不可解な女である。
それで、その時は「へぇ……」と思っただけだったが、今にして思うと、我々一族に対する愚弄のような気がしないでもない。しかしこいつは、そんなことを抗議したところで自分のやり方を変えるような女ではない。断じてない。こいつはそういう奴なのだ。
「まぁ、痛みは引いてきたから、案ずるな」
「そう、良かった」
そう言って、優紀はニッコリ笑った。幼馴染の心配する顔を見るのは俺の望むところではない。
それにしても、我ながら随分と思い切り突っ込んでしまったものだ。もちろん、突っ込む前はあの壁の向こうに異世界があるものとばかり信じて疑わないわけであるから、躊躇という言葉は不必要極まりなく、むしろ勢いよく華麗に異世界に帰還せしめようとしたのだが、こうしていざ失敗してみると、もうちょっと躊躇しても良かったのではないかという思いを禁じ得ない。
しかしなぁ、違ったかぁ……。絶対あの壁、異世界へ通じてると思ったんだけどなぁ……。
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