行・け・な・い異世界マジック

涼紀龍太朗

行・け・な・い異世界マジック

高校モラトリアム編

第1話 異世界への入り口

 私は逃げている。



 幾つ目かの角を曲がり、回廊を突っ切る。石造りの壁が、冷気を孕み、底冷えする。明かり取りを兼ねた松明が一定の間隔で灰色の壁を赤く染めているが、寒さは大して変わらない。ただ、体が火照っている今の私には丁度良い。裸足の足にはちょっとばかり痛いけど。


 角を左へ飛び込む。すると前から、甲冑姿の衛兵たちが大挙して押し寄せてきた。その列は私の左右に割れ、ものすごい勢いですれ違っていく。


「帝妃様、ご無事ですかッ?」


「賊はどこに?」


 すれ違いざま、そんな怒声が響く。


「大丈夫! 後ろ! すぐ!」


 私も短く用件だけを怒鳴り返す。しかし、後方からすぐに彼らのうめき声や悲鳴が聞こえてくる。屈強であるはずの衛兵たちが、いとも容易く蹴散らされている。そしてその悲鳴が、少しずつ、近づいている。気ばっかり焦って、体をうまく前に運べない。


 とにかくこの服は走りにくい。まるで夢の中で走っているようだ。むしろ、これが夢であったら、と思う。なめらかな、ふんわりとした生地は肌触りが良く、輝くような白も私のお気に入りだ。


 でも、寝間着は走るようにはできていない。仕方ないので、ちょっとはしたないけど、裾をまくって走っている。下着が見えているかもしれないが、そんなことは構ってられない。でも、裾を手で押さえているため、腕が振れない。結局、思うように走れない。



   ◇   ◇   ◇



 目を覚ますと、視界いっぱいに顔があった。


 しかも可愛い。


 誰だっけなぁ……。見覚えはあるような気がする……。


「生きてる?」


 そんなことを聞いてきた。なんだか心配そうだ。


「あぁ、生きてるよ。当り前だろ……」


 そうは言いつつ、頭が痛い。そして地面が固い。どうやらベッドではなさそうだ。


「どこだ? ここ」


「もおー! ホントに大丈夫?」


「いや……、そう言われると微妙な感じだけど」


「微妙どころじゃないよ! 死んだと思ったんだからね!」


「勝手に殺さないでくれるかなぁ、全く……。いや、でも確かに頭痛いんだけど、デコんとこ……」


「覚えてないの?」


「覚えて……ないねぇ」


「えー! 記憶喪失……?」


「喪失してません。覚えてます」


 不安になってきたので、逆に強がってみた。


「じゃあ、名前は?」


「えー……」


「やっぱり……、記憶が……」


「荻窪田だよ! 荻窪田おぎくぼた健児けんじだよ! 忘れてないから。大丈夫だから」


 そう、俺の名前は荻窪田健児。高校三年生……だ。


「私の名前は?」


「えぇっと……優紀、滝澤たきざわ優紀ゆうきだろ?」


 そう、この子は優紀。幼馴染で、元気な子で……。


「良かったぁ……。一時はどうなるかと思ったけど、生きてはいるし、記憶もある。ギリギリで」


「ギリギリじゃないよ、失礼だな」


「割とギリギリだったじゃん」


「うっせーよ」


 とは言うものの、確かになぜこんなところで寝てたのかはわからない。デコも痛てェし。


「心配したんだからね。ホントに頭から突っ込んでいくんだもん。すごい音したんだよ。パキッ!って」


 パキッ!って、と言った時の優紀の顔がホントに「パキッ!」という感じの、ものすごい顔のしかめ方で、その感じが何だかやたら可愛かったんだけど、それは言わないでおいた。


 半身を起こすと、目の前に壁があった。見回してみると、そこは駅構内の地下道で、周りには数人の人が、俺たちを囲むように遠巻きに見ている。壁は上り線の階段と下り線の階段の間にある。優紀は、俺が「突っ込んでった」って言ってたけど、まさかこの壁に……?


「大丈夫ですかー!」


 大柄な駅員さんが俺の方に駆けてきた。


「人が倒れてると通報があったんですけど……、君?」


 俺の顔を覗き込みつつ、声をかける。さっき目が覚めた時の優紀の顔とは違う感じで視界全体が顔になる。見事なほど巨大な顔だ。


「おそらく……」


「すみません! 何とか大丈夫みたいです。ギリギリで」


 俺の代わりに優紀が答える。


「ギリギリじゃないっつってんだろ。デコ以外は」


「ギリギリじゃん」


「あの、何があったんですか?」


「この人、頭からこの壁に突っ込んでったんです」


「頭から? え、壁に……? 何でまた?」


「この壁はじょうと四分の三番線の入り口だって言い張って」


「じょうとよんぶんのさん……? ごめん、おじさん、ちょっとわかんない」


「異世界への入り口らしいんです」


「異世界? 上と四分の三番線……。はぁー、なるほどなるほど。はいはいはいはい、わかりました。全てわかりました。オッケイでーす」


「わかった? え、何がですか?」


 巨大な顔の駅員さんは、再び俺の視界をその顔で塞ぎ、言った。


「お前、さてはバカだな」


「バカって何だよ! 失敬だな! 客だぞ俺は」


「いや、客なんだろうけどさー、バカだろお前ー。番線に分数なんてねぇんだよ。しかもこの駅にあるのは上り線か下り線、数字ではない。ここに、何だ?そのぉ、魔法魔術学校への入り口があるとしてだゼ、あるとしたらその場合は中番線だろ。上と下の間なんだから中だろ。何だァ?その四分の三ってのは。明らかにパクりじゃねぇか。それにな、君、いいかい、わかるか?坊主、魔法魔術学校とか、異世界とかはな、ないんだぜ、バーカ」


 激しい怒りが脳を活性化させたか、俺はすっかり何があったか思い出した。


「う、う、うるっせーよ! そんなもん、行ってみなきゃわかんねーだろ!」


「でも君、行けなかったじゃん」


「う、うぬ……」


「この壁にさ、頭ぶつけて、ここで、ここでだ、しかもこのぉアレだ、可愛い子の前でだ、ブッ倒れてたじゃん。無様に」


「な、な、なんで……、なんでさァー、初対面……じゃないかもしんないけど、この駅使ったことあるから……、そんな……、会話もしたことないような駅員にそこまで言われなきゃいけねぇんだよ!」


「……バカだからじゃないかなぁ?」


「こ、こ、この、巨大顔面凶器! 人の視界塞いでんじゃねぇよ、バーカ!」


「お前ホントにバカだな。俺は顔がデカいんじゃない。体が小さいんだよ」


「帰る! 不愉快だ。色々と」


「あ、ちょっと、荻窪田! 待ってよ」


「おーい坊主、ちゃんと病院行けよー。色々と」

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