第3話 綺羅星

 それにしても随分日が高くなったものである。暦ではそろそろ夏至になろうか。一年で最も日が長い時期だ。ただ、そんな空の長い季節は残念ながら雲で覆われる季節でもある。だから毎年、夏至です、日が長いです、と言われてもあまり実感がわかない。むしろお天道様を拝めないので、かえって日が短くすら感じてしまう。


 しかし、今年は空梅雨らしく、今月に入って未だ雨が降っていない。これは異常気象か天変地異の前触れか。そう思うと、いよいよ俺の異世界転移の日も近づいているような気がするが、その「ような気」には根拠がないのが残念至極である。


 そういえば川の表に川底の砂が現れてしまっている箇所もあるなぁ、と思いつつ川を見下ろすと、河原のグランドに怪しげな舞踏を踊る一団を発見した。どうやら先頭に立って踊っている男が舞踏の指導をしているらしいが、見るとあれは綺羅星ではないか。


 綺羅星の方でも俺に気付いたらしく、こちらに向かって手を振った。


「ハァイ!」


 遠くからでもよく通る声だ。


「ハァイ!」


 俺も手を振り返す。


「何が、ハァイ、だ」


 隣で小声で優紀がそんなことを呟いている。


 綺羅星は俺の小学校の時からの学友である。数少ない俺に選ばれし者だ。綺羅星というのは下の名前で、驚くなかれ本名である。名前だけでも相当なものなのに、フルネームは「美吉綺羅星」という凄まじいばかりの文字面だ。読みもそのまま「みよしきらぼし」。一見するとフザけたような名前だが大真面目なのである。そのように戸籍に登録されているのだ。決して芸名でもHNでもない。


 我が息子にそんな名前を付けたのは一体どんな親かというと、若かりし頃はここら一体を仕切っていたレジェンドクラスの不良だったそうである。しかも両親ともにだ。


 その昔、父は暴君、母は女帝と恐れられ、ここら一体の支配では飽き足らず、各地へ遠征に赴いては制圧していたのだそうな。話に聞くところによると、二人のコンビは四百戦無敗であるらしい。当の御二方から直接拝聴した話であるからして、間違いはないであろう。


 ちなみに現在はクレープ屋さんを営んでおられ、すっかり引退したと仰っている。しかし、今でも現役バリバリなオーラを湛えておられる。


 当の綺羅星は、このような名前でどんな風体なのかというと、これがまた名前に一歩も引くことのない美男子である。


 その美男の学友が俺に手を振っているので、陣中見舞をせにゃならん。俺はグラウンドに足を向けた。「えー、行くのォ?」と優紀は不満を言っているが、捨て置くことにする。階段を降りてグラウンドに出ると、綺羅星が迎えてくれた。


「ちょっと休憩ね」


「ハーイ」


 綺羅星の一言に素直に舞踏の一団が従う。人数は五人。見れば全員女子で、皆見覚えがある。うちの高校の者であろう。見たところ学年はバラバラらしい。


「ちゃお、オギー」


「ちゃお、綺羅星」


 我々の挨拶に顔をしかめている優紀の顔が視界の端に映ったが、見なかったことにする。ちなみにオギーというのは俺のことだ。


「何やってんだ?」


「あぁ、ダンスのレッスンさ」


「お前、ダンスなんてやってたっけ?」


「やったことはないけど、どうしてもってお願いされちゃってね」


「綺羅星が教わってんの?」


「いや、僕が教えてるのさ」


「やったことないのに教えてんのか?」


 むちゃくちゃである。しかし、そうは言いつつ綺羅星のことなので驚きはない。


「ホラ、ボクは独創性があるから」


 大胆不敵である。いや、大胆不敵では全然足りない。しかし、こいつはこういう奴なのだ。普段から奇行の目立つ奴なので、これくらいは彼にしてみれば、まぁ普通レベルだ。


 教わる方はもっと大変か、と思いきやそんなことはないであろう。大方、綺羅星とお近づきになりたいだけの話で、ダンスなぞはどうでも良いのだ。


 そう、綺羅星はモテるのである。ルックスが良いから、と言われれば、確かにそれはその通りだ。だが、綺羅星自身、女子に非常にやさしい。しかも全ての女子に分け隔てなく、だ。綺羅星が女子の頼みを断るのを見たことがない。これでモテないわけがないというものだ。


「ねぇ、用が済んだら帰ろうよ」


 優紀がせっつく。


「いや、まだ来たばかりだろう?」


「ダンスの練習あんじゃないの? 邪魔しちゃ悪いよ」


 綺羅星はモテる、と言ったばかりだが、優紀のさっきからの態度はとてもモテる男へのそれではない。


 実は綺羅星がモテることについては但し書きがある。確かに綺羅星の女子人気は熱狂的だ。しかしそれは一部女子に限られる。それ以外の女子からは正直冷笑的な目で見られているのだ。比率で言うと、熱狂三割、冷笑七割である。熱狂が三十パーセント、というのを多いと捉えるか少ないと捉えるかは人それぞれだろうが、極端ではあることは確かだろう。その原因は彼の奇行によるところが大きいと思う。


 先ほどの「ちゃお」という挨拶からして変わっているが、彼は投げキッスやウインクは当たり前。ちょっとでもテンションが上がろうものなら、廊下を歩いている最中にも突然をすることも珍しくない。「フーゥ!」という掛け声のおまけ付きだ。


 それだけにとどまらず、彼はあらゆる動植物に恐れをなさない。蛇なんかも平気で素手で捕まえる。そういうところが多数派の女子からは冷笑される一方、そういうところが却って一部女子からはカリスマ的な人気を博す要因ともなっているのだから世の中不思議だ。


 そして我が幼馴染の優紀は多数派の中でも特に急進派のようだ。要は綺羅星のことを毛嫌いしているのである。曰く「ナヨナヨしていて気持ち悪い」んだそうだ。まぁ確かに、今や生粋の体育会系女子になってしまった優紀からすれば、綺羅星は確かにちょっと頼りなく見えてしまうきらいはあるかもしれない。親ヤンキーだけど。


 と、そんな毛嫌いされている綺羅星が優紀に歩み寄った。ハラハラしてきた。


「ちゃお」


「ど、ども……」


 優紀、もうちょっと感情を隠そうよ……。挨拶は返したものの、目も合わせないし、眉間のシワなんぞはグランドキャニオンのようだ。しかしそれでも綺羅星の方はニコニコと、動じる様子もない。さすが俺に選ばれし人間、器が広すぎる。


「どうやら、残念な結果になってしまったようだけど、ちゃんと見届けてくれた?」


「……まぁ」


 ん? 会話の内容からすると(優紀のリアクションが薄すぎるので、これを会話と言ってよいかはわからないが)、俺の知らないところで二人で何やらやり取りがあったらしい。全く意外の出来事だ。空恐ろしい、いや不気味ですらある。


「見届けたって、何をだ?」


 結局、興味の方が不気味さを上回り、尋ねてみた。


「あぁ、オギー、今日異世界に行くって言ってただろう? まぁ、その様子だと当分はまだ僕らと一緒に過ごせそうだけど」


「あぁ……」


 そう、俺がここにいるということは、取りも直さず異世界行きに失敗したという証である。そういえば綺羅星には話してたなぁ。ちょっと恥ずかしくなってきた。


「本当は見届けに行こうと思ってたんだけど、ご覧の通り、先約があってね。だから、優紀くんに代わりに行って欲しいって頼んだんだよ。幼馴染なら適役だろ?」


 見ると、優紀はそっぽを向いている。どういうわけだか照れてるようだ。優紀が会話の主体とはあらぬ方を見ている時は、大体照れてる。それにしても、話の内容から察するに、あの時優紀は偶然居合わせたのじゃなかったのか……。


「おぉ……、そうだったか……。悪いな……」


 あまり気の利いたことを言えなかったが、綺羅星、やっぱお前は良い奴だ! それに、優紀も……。


「いや……、いいい行く気なんか、なかったんだけど、たまたま……そう、たまたま偶然……荻窪田あそこにいたし……」


「だそうだ」


 綺羅星はなんだか楽しそうに笑ってる。


「そろそろ帰ろう! あんたも練習があるんでしょ?」


「まぁね」


「じゃ、そういうことで」


 優紀はそそくさと行ってしまった。


「あ、ちょ、待てよ! あ、ごめん、綺羅星、じゃあな」


「あぁ、ラブ」


 綺羅星とハグして、急いで優紀を追いかけた。

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