第80話2『ニアミス その5』

 シュゴウが拘束を解き距離を取ると、清里の体は力なく倒れた。

 が、すぐにのた打ち回って耳を塞ぎ、呻き咽ぶ。



「清里、しっかりしろ!!」



 蒼の言葉は耳に入っていない。

 内側から湧き出る何かを、自分の声で遮ろうとしているようだ。



「中原ぁ、たすけ……!!」



 その目は恐怖に歪む。

 屈んだ蒼の腕を掴む力は物凄く、食い込んだ爪がずり下がると、蒼の肌に蚯蚓の這ったような跡が残る。



「声が……モット……私の中で……タタカワセロ……分かんなく」



 声に、清里の意思ではないものが混ざっている。 蒼は歯噛みし、起動装置に刺さる鍵に手を伸ばす。



 起動装置がガチャガチャと不愉快な音を立てるだけで、刺さった鍵は動かない。

 ……ダメだ、外れない。



「な、中原……に、逃げて……!! こ、コこかラ……逃げ、ルナ……ワタシカラ、ニゲルナ!!」



 鍵を外さんとする蒼の手首を、清里の手が掴む。

 ……いや、この手は、誰の意思だ。


 助けを求めているのではない。

 獲物を逃さんとする子どもじみた狂気の戦意が、常人ならざる握力で蒼を縛る。


 戦慄に満ちた瞳が、目まぐるしく移ろう。 双眸を閉じ、しかと見開く。

 涙が途切れ、瞠目した好奇の目が蒼を睨めつけた。


 その口元が、酷薄に歪んだ。


 空が、光る。

 稲光が奔り、黒い膨大な光が、柱となって急速に地上に飛来する。


 蒼が拘束を力ずくで解くとほぼ同時、光が大地に突き刺さった。 黒縄の姿を圧倒的な光が飲み込み、爆ぜた衝撃が蒼を後方へ弾き飛ばす。


 地面を転がり、受身を取って体を起こした蒼は、大きく歯軋りした。


 ……原作の、十三巻ほどだろうか。

 辛くも黒縄を征したハヤトたちに予想外の刺客が現れたことがある。


 全てのきっかけは『煌神具』と『毒神具』が内包した粒子がそれぞれ持つ、使から生まれ出たものだった。


 その性質は、本来大層なものではない。長年使用された鍵を他人が使ったとき、その人間の過去の声が朧げに聞こえてくることがある程度のもの。


 原作では、死者の鍵を使い、元々の使用者からのわずかな声を聞き、反撃の狼煙となるといった展開があった。


 だが、ごくわずかながら例外がある。

 前使用者の適合率が高すぎる等の理由で、内包された情報が強く、多量である場合だ。声や意識がノイズとなって思考を濁し、ろくに使えたものではないらしい。


 そして、その例外の中のさらに例外。

 あまりに強すぎる情報が、使用者を押し潰して肉体の主導権を奪ってしまうケース。


 原作者はこう語っていた。

 黒縄 リリアは、私の作品の中で最も欲望に忠実で、それ故に、最も厄介で、最も執拗な女である。

 ハヤトたちは、どこまで行ってもこの女の呪いから逃げることはできない。

 たとえ、その身を滅ぼされようと。


 ……原作にて、FNDに忍び込んだCODE:Iの諜報員。

 追い詰められた彼は、力を求め、黒縄の『毒神具』を盗み、使用した。


 そして――



《Welcome to Delta Server》



弱く愚かな男の精神は、『毒神具』に内包された人間の恐ろしく強烈な恨みの念に喰われ――



「フフ……アハハッ……!!」



 悪魔の女が、帰ってくるのだ。それと同じことが、目の前で起きている。


 原作のときは、使用者の体が脆かったために倒し切るよりも先に体が自壊したが、今回は。


 本物、でしかない。


 光の柱が弾け飛ぶ。

 中央に立つ少女は空を仰ぎ、再びの生を受け入れて破顔する。


 蒼は拳を握り締めた。

 狂気に満ちた笑い声も、周囲に瘴気の如く漏れ出す肌寒い覇気も、もう清里のものではない。

 水色の双眸が、蒼を見て悦びに体を震わせる。



「……ごきげんよう……!! 名も無き、勇者くん?」



 蒼の前に、CODE:I最高幹部の二人が、立ち並んだ。

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