第80話『ニアミス その5』
「蒼ッ!」
蒼が人ごみを掻き分けていると、大切な妹の声が聞こえた。
人ごみを退ける勢いのまま、朱莉は蒼に飛びつく。 すぐに体を離し、蒼の顔を心配そうに見上げる。
「どうしてここに……!?」
「蒼が病院を飛び出していくのが見えたから……! 早く避難しないと!」
「俺はいい!! 朱莉だけでも行ってくれ!!」
「ダメ! 蒼が戦う理由なんてないよ!!」
事情を説明している暇はない。
黒縄の姿は見えなくなりそうだ。
走り出した蒼を、朱莉が大声で呼び止める。 行き交う人にぶつかりながら、人の迷路を掻き分ける。
避難が進んでいき、大地が振動する響きと共に人の数は減る。
「待つんだ!!」
ふらふらと走る黒縄の姿を捉える。
黒縄は蒼の声に気付いたが、顔を恐怖に染めて却って速く走り出す。 蒼はもつれそうになるほどに加速し、一気に黒縄に追いついた。
「待ってくれ!!」
「いやッ!!」
手首を取った瞬間、黒縄は悲鳴を上げて振り返り、蒼を突き飛ばした。 反動で、黒縄も尻餅をつく 。
しくしくと泣き始める黒縄。
そこには、あの日命を賭して戦った女の影はない。
人ごみが消えていく。 追いついた朱莉が蒼に手を添えるが、黒縄を見つけた途端、怒りの声を上げた。
「こ、黒縄……!!」
すぐにでも『煌神具』を発動させようとした朱莉を、蒼は慌てて制した。
すぐに、朱莉も黒縄の異変に気付く。
あの狡猾で凶悪な女は、人前でいたいけな少女のように泣いたりしない。
黒縄は顔を庇いながら細く呟く。
「何で、どうしてこんな目に……やってらんないよ……」
『やってらんないよね~』
あのとき、バスの中で聞いた彼女の口癖と、瓜二つだった。
蒼の嫌な予感がそのまま現実として実ってしまっているのが、分かった。
肩に乗った朱莉の手に触れてから、ゆっくりと体を起こす。 その間も、決して黒縄から目を反らさなかった。
大通りに放置された車を縫って一組の親子がどこかへ走っていくと、街には人がいなくなる。
地面を揺るがす衝撃と怪物の咆哮、黒縄のか弱い泣き声だけが残っていた。
「蒼……もしかして、この人」
蒼を身内に持っただけあって、朱莉は察しがよかった。 蒼は頷くが、視線を外さない。
心臓が妙な鼓動を響かせる。
まさか、あれから二年経った今、もう一度彼女と出会うことになるなんて、思いもしなかった。
お互いに、随分変わってしまったものである。
「大丈夫。 俺に任せて」
蒼はゆっくりと、腰を下げたまま一歩ずつ黒縄に近づいていく。
「いや、来ないで!!」
黒縄は側に落ちていた空き缶を拾い上げ、出鱈目に投げつける。
たまたまそれが蒼の額に直撃したが、蒼は怯まない。
静かに、包み込むように、言った。
「…………清里、だよな?」
黒縄ははっと顔を上げる。
孤独だった彼女の名を呼ぶものが現れたことに、彼女は冷静さを取り戻す。 そして、同時に困惑も芽生えさせた。
「誰? ……どうして、私のこと……」
蒼は静かに黒縄に視線を送る。 黒縄もそれに応え、探るように蒼を見つめ続ける。
そして、気付いた。
「中原……?」
蒼は頷く。
瞠目しつつ、黒縄は信じられないといった表情を浮かべる。 だが、その顔にはわずかに安堵が混じり始めていた。
「俺だよ……中原 重音だよ。 清里、もう、大丈夫だから」
黒縄は安心からか泣き喚く。 彼女の涙を見て、蒼は胸が締め付けられるようだった。
彼女にまつわる後悔は果てしない。
せめて、この世界に孤独に生れ落ちてしまった彼女を救いたい。
それが、今も誰かを愛しているだろう彼女にしてあげられることだろうと思った。 蒼は、ゆっくりと黒縄へ……いや、清里へ手を伸ばす。
「蒼ッ!!!!!」
朱莉の悲鳴だった。
殺気。 上からだった。
「な……ッ!!」
眼前に迫っていた紺碧の火球。 清里と蒼を分かつように、火球が地面に爆ぜる。
青く白い閃光が視界を覆う。
熱と地面の破片が突き刺さり、朱莉と清里の悲鳴が聞こえたと思いきや、轟音に聴覚が奪われた。
熱に喘ぐ自分に気付いたとき、彼の視界はひっくり返って天上を仰いでいる。
腕に刺さった大きなコンクリートの破片を喚きながら引き抜く。
全身が熱に晒されて空気に擦れるたびに悲鳴を上げた。 蒼はあたりを見渡す。
まず目に入ったのは、画面が粉々に砕けた蒼の携帯。 次に、融解し、一撃の下に姿を変えた町並み。
ひしゃげ、横転した車に、破砕したビルのガラス、そして――
「朱莉……!! しっかり!!」
駆け寄り、
頭から血を流した妹の姿。 揺さぶるが、反応がない。
どこかに頭を打ち付けたのだろう。 火傷は軽いようだが、頭の怪我が――
「いやぁッ!! 離して!!」
清里の悲鳴が、焼け残った街に反響する。
もがく清里の腕を掴む、細く白い手。 しかし、しかと掴んだ手は決して彼女の腕を離さない。 清里が拳で女の体を叩くが、その女は微塵も揺らぐことはなかった。
青い巫女服に、銀色のロングヘア。 青い瞳が、愉しそうに細められている。
琴音に似て上品な風体だが、その笑みと頭に生えた巻き角はどこまでも邪悪だ。
霧の巫女、シュゴウ=L=オーヴェリア。
『国家転覆級』と謳われたSランク『トウカツ』を何体も飲み込んだ正真正銘の怪物。
彼女の周囲に口元から漏れた煙が、霧となって辺りを侵食する。
「シュゴウ!!」
「会うのは二度目かしら? 見れば見るほど、凡庸な少年ですわね」
シュゴウは清里を引き寄せ、首を腕で縛る。
「いやッ!! 離してッ!!」
「まぁ、本当に人が変わってしまったみたい」
懐から腕輪を取り出す。
あれは――『毒神具』の起動装置!!
「大丈夫……すぐに本当のあなたを思い出させてあげますわ」
黒縄の耳にシュゴウの舌が這う。
抵抗空しく、腕輪がガチリと音を立てて腕に嵌まる。
「やめろッ!!」
立ち上がる蒼を牽制するように、シュゴウは開いた手から火球を放つ。
蒼は咄嗟に朱莉の体を抱き起こして横合いに飛び出した。 轟音と青白い閃光、多量の熱が蒼の背中を襲った。
衝撃が止むや否や、蒼は朱莉を壁に寄りかからせて立ち上がる。
「《共鳴れ》!!」
《『煌炎』、Caution》
《接続》
鍵を取り出し、迷うことなく腕輪に突き刺す。
同時、シュゴウも懐から漆黒の鍵を取り出した。 FNDからシュゴウが強奪した、黒縄の『毒神具』だった。
清里の顔が恐怖に歪む。
「よせ!!!!」
「やめてッ!!」
「あなたに、この声が耐えられますか?」
蒼が疾駆するが、間に合わない。
シュゴウが祝詞を唱え、黒い鍵が光を纏う。
鍵が、『煌神具』とは似ても似つかない野太い男の声で、愉快そうに言った。
《『
シュゴウは、蒼の怒号と清里の悲鳴を意に介さない。
そのまま――漆黒の鍵を腕輪に突き刺した。
《
清里の甲高い絶叫が、鼓膜を揺らす。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます