第46話『地獄よりの襲来』

 そろそろ午前から午後に切り替わろうとする時間帯である。待ち合わせをする人々を眺めながらルイはぼやく。



「小波の奴、おっそいわね」



 そんなことはない。ルイがたまたま早く来すぎただけである。

 まだ待ち合わせ時間まで長針が一周するほどの余裕がある。



(まるで私がめちゃくちゃ楽しみにしてるみたいじゃない!!)



 とはいえ、いつも彼は待ち合わせの二時間前というどう考えても時間を持て余すほど早く来ているので、何かあったのかと心配だ。


 白のワンピースを見下ろす。ハヤトたち以外と私服で出かけるなんていつぶりだろう。


 ルイに好意を寄せる変人のことを考えながら、待ち合わせの時間が来るまでボーっと時計台の秒針を眺める。


 絵に描いたような平和だった。

 風も心地よい。

 人の流れは緩やかで、柔らかく暖かい日差しが落ちる穏やかな空間。


 ――そんな安寧を破くように、低く唸るようなサイレンが街に響き渡った。


 雑踏が突然慌ただしくなる。相変わらず、人間の不安を底から揺さぶるような不快な音だった。



『緊急警報、緊急警報。『不干渉毒野』に歪みを確認、『トウカツ』発生の予兆あり。現界予想場所は奥多摩ニューシティB―04。速やかに近くのシェルターへの避難を開始してください。繰り返します、『不干渉毒野』に歪みを確認、『トウカツ』発生の予兆あり――』



 悲鳴が上がり、子どもが不安がって泣く声が上がる。

 人の流れが一気に加速し、居合わせたFNDの職員が声高に避難所へ誘導を開始し、その間隙で本部に連絡を回す。


 ルイは空を見上げた。


 『トウカツ』発生の予兆である、単色の巨大なオーロラが被さっている。緑色に染まる空を仰ぎパニックは爆発的に加速する。


 行き交う人々に肩をぶつけられながら、ルイは振動する携帯を取り、耳に当てた。



『ルイ!!』

「小波、今どこ?」

『もうすぐ待ち合わせ場所!! 俺も後から行くから、ルイは早くシェルターに!!』



 急く蒼の声。

 その声音は、ルイの身を必要以上に案じているように聞こえた。



『ルイ! ルイの正義感の強さは俺の無限にある好きなところの一つだよ! でも、必ずシェルターに避難するんだ!! 何があっても戦ったりしないようにな!!』

「分かってるわよ。私は学生で、討伐はFNDの仕事。彼らの邪魔はしないわ。アンタこそ大丈夫なんでしょうね?」



 蒼の必死さに、ルイは眉をひそめる。

 こんな状況で心配になる気持ちは分かるが、それにしても彼の言葉は、それを遥かに超え、ほぼ束縛に近かった。



(どうしてそこまで……? まるで、を知っているみたい。でも、そんなはず……)



 ルイの秘密を、彼が知っているはずがない。あれは、セナとルイ、そしてハヤト、三人だけの秘密なのだ。


 考えすぎか、そう思うが、小波 蒼という人間にずっと前から抱えていた疑問を思うと、あながち杞憂でもない気がしてしまった。


 人が駅構内の緊急避難シェルターへと流れ込んでいく。


 また空を仰げば、緑色の流星が五つ、街に向かって降り注いでくる。あの中に、破滅がいる。


 街の人間は目に見えて減っていく。

 ここは『トウカツ』が最も襲来する都市、それに備えたシェルターも至る所に存在し、その規模もこの日本一の都市の人間たちを完全に匿えるほどのものだ。避難訓練も頻繁に行っているため、人々の対応は早い。


 流星の一つがどこかのビルに着弾し、爆発音が逃げ詰まる人間たちから悲鳴を巻き上げる。


 ルイはそれほど焦ることなく最後尾で駅の構内に入るのを待っていた。


 また一つ流星が飛来する。轟音が地面を揺らし、獣の遠吠えのような音が人の消えていく街の中に広がっていく。



「……何?」



 人々の悲鳴が次第に遠のいていく。破壊の音と殺意の雄叫びが大きくなっていく中で、ルイは小さな何かをその耳で拾った。


 弱く、か細い力で必死に何かを伝えようとする、虐げられるものの声だった。



(誰かいる?)



 親とはぐれた子どもか。そんな予想が脳裏を奔ったときには、ルイは蒼の言葉も忘れて正義感のままに駆け出していた。


 人の姿がみるみる減っていき、大通りには投げ出された車やゴミ、そしてピンと張り詰めた空気とサイレンの不愉快な音が残る。


 獣の雄叫びと破壊の音、ノイズ交じりの泣き声が鮮明になっていった。

 ルイは走る。



「大丈夫!?」



 ビル同士の細い道の最中に、うずくまる女の子がいる。駆け寄り、大泣きする少女の背中に手を回し、撫でた。



「お、お母さん……が、いなく」

「お母さんとはぐれちゃったの? 大丈夫よ、お姉さんが必ずお母さんのところへ連れていくからね。一緒に行こ?」



 少女は泣きながらも頷いた。ルイは少女の腋の下に手を入れて持ち上げ、強く抱えてから転ばないよう慎重に、されど出来得る限りの速さで路地を抜けていく。


 人気のない大通りは化け物の到来にふさわしく不気味だ。ゴミが風で転がり、ビルの中ほどに設置された巨大なモニターがチカチカと誰も見ることのない広告を打ち出す。


 そこに表示される巨大なタレントの笑顔が、かえって気味が悪い。

 ルイは通りの真ん中を駆けながら近場のシェルターへと急ぐ。 


 ……しかし、十字路に差し掛かったときだった。耳をつんざく轟音と共に、背後にあった車が吹き飛んだ。

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