第七章『世界の片隅から、あなたに』

第36話『CODE:I』

 以下、『世界最強の大魔導士、現代ファンタジーに転生して無双する』、三巻冒頭からの切り抜きである。


 炎。

 幼年の彼女にとって、不思議と発見に満ちた全世界であった町が今、赤い怪物のような姿になって燃え上がっている。


 破滅。暴虐。反逆。激突。死。


 そのときの彼女には難解に過ぎる黒の概念が辺りを跋扈していた。燃え盛る炎はあまりにも熱く、黒々とした天蓋から落ちる大量の水滴はあまりにも冷たい。


 当時五歳の早乙女 ルイは、あまりのショックに我を忘れ、耳を塞ぎ、一緒にいた友人のことを呼び続けた。


 場の轟音は塞いだ耳の隙間を縫って襲い掛かる。



「逃げろッ!!」「テロリスト!!」「助けてぇ!!」

「愛の下に死せよ」「愛の下に死せよ」「愛の下に死せよ」「愛の下に死せよ」



 鋭利に尖った灼熱の怒号や悲鳴がルイの心臓に突き刺さり、鼓動を速める。

 一方、冷淡に同じ言葉を繰り返すものたちの声がある。


 炎に照らされ、逃げ惑う男の背中に槍を突き刺す人間の影が映った。息が詰まる。


 漆黒の鎧を纏った人間たちが二列に並んで歩幅を合わせ進む。手に持った槍の柄を一定の感覚で地面に叩きつけ、その度に炎や雷が漏れ出す。

 顔面を覆う鎧には、槍をモチーフにしたスリットが入っており、そこから赤い光が目玉の代わりに一つ点灯している。


 『CODE:Iコード:アイ』。当時少女はその名を知らなかった。


 人間は、生まれながらにして愛おしく尊く、そして醜く脆い。故に一度滅び、綻びなき生命体として再構築されるべきである。

 そんな信仰の下、イヴェルシャスカの槍奪還を掲げ、その力で世界を塗り替えようとするテロリスト集団だ。


 ルイの故郷は、彼らの襲撃を受けていた。


 よりによってその目的の遂行に至る大義をとしながら、漆黒の愚者たちは今も目の前で蛮行を重ねていく。



「愛の下に死せよ」

「愛の下に死せよ」

「愛の下に死せよ」

「愛の下に死せよ」



 どす黒いくぐもった低い声。

 空を数多の閃光が奔り、ビルが中ほどで弾け飛ぶ。

 無抵抗な人間が刺し殺され、水に襲われて溺死し、土に挟まれて押しつぶされる。


 臓器が浮き上がってしまったかのように気持ちが悪い。そんな彼女の閉じた耳に、深々とした足音が聞えてくる。


 流れる黒髪は、寂莫たる宇宙の空洞の如き闇を孕む。幼き少女の目に、その黒髪の少女の持つ水色の虹彩は異様に映った。


 人間としてあるべきではない悪魔の道、それを歩き続けてきたような、とにかく常人ではない瞳だ。

 口元には妖艶な笑み。


 ルイは本能的に彼女を恐れ、体を震わせる。少女はルイの前に立ち、影を被せた。



「ごきげんよう、早乙女家のお嬢さん」



 少女は屈み、ルイに視線を合わせる。


 この業火と殺戮に包まれた街の中でその所作は優しく思えたが、それがとにかく不気味で、深く昏い。



「綺麗なお顔ね。あぁ、もったいない、もったいない」



 声を詰まらせたルイの頬に、冷たい手が乗せられる。そのまま皮を剥ぎ取られてしまいそうなほどの威圧が、頬を這う。



「!?」



 黒髪の少女は微笑み、そのまま、その唇をルイの唇に押し当てた。


 頭が真っ白になる。

 同時、何かが、体の中に入り込んできた。


 確かな意識があるのは、ここまで。

 ルイの喉元から赤黒い液体が込み上げ、口づけを交わす口元からどくどくと零れていく。意識が毒に喰われていく。


 地面に崩れ、空を仰いだルイの体に、雨が打ち付ける。

 瞠目した瞳を雨が叩こうと、体の内側を侵食する毒に苛まれた意識と体は反応を示さない。

 体がびくびくとのたうち、呼吸が止まる。


 少女が立ち去っていく。代わりに歩幅の小さい足音がした。



「ルイルイ!! しっかり!!」



 遊びに来ていた友人のセナだった。



「お前!!!! 私の友達に何をした!!!!!」



 聞いたことのない友人の怒号だった。しかし、黒髪の少女は悠々と立ち去っていく。

 消えていく意識。そんな彼女の意識に、もう一つの声が入り込んでくる。


 ……それは、光だった。



「何をされたんだ?」

「分からないよ、分からないよッ」



 やけに大人びた空気の少年だったのを、朧な中で確かに覚えている。泣きじゃくるセナの隣で、冷静にルイを見つめている。



「お願い、助けて……誰か……お願い……!!」

「任せろ。俺が助ける」



 セナの無茶な願いを、少年は意外にも快諾した。


 少年の体に光が宿り、ルイの顔面に手を伸ばした。


 ルイの意識が消える。



 ――この日からであった。



 彼女の人生が大きく狂い始めたのは。

 そして、彼女の一途で素直じゃない恋が始まったのは。

        』

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