第35話『変な奴』

 夜も更けたころのことである。

 風呂上り、ソファーの足に背中を預けてフローリングの上に腰かけるルイ。下ろした髪をタオルで拭きながら携帯に文字を打つ。



『火威さん、随分個性的なお友達をお持ちなのね』



 分かりやすい皮肉である。返信は、すぐに帰って来た。


 熊だ。デフォルメされた熊が、大胆に親指を持ち上げているスタンプ。いいでしょとでも言わんばかりの熊の顔に刹那の顔が被り、ルイはくすりと笑った。


 歌声が風呂場の方から聞こえてくる。軽く口ずさむ程度にも関わらず、セナは船乗りを惑わすローレライの如き透き通る歌声を響かせていた。



「いやぁ、いいお湯でしたぁ……」



 セナがバスタオルで一糸纏わぬ体を拭きながら風呂場から出てくる。彼女の健康的に育った胸元を見ていると、何とは言わないが比べてしまって微妙な気持ちになる。



「服くらい着てから出てきなさいよね」

「そーだルイルイ、今日噂の彼と一緒に帰ったんでしょ? どうだったの~」



 彼女はいつだってマイペースだ。振り回されるのにもいい加減慣れてきたので、一々声を荒げたりしない。


 セナはルイの背後に回ってソファに腰かけ、ルイの髪をタオルで拭き始める。


 先に自分を拭けと言いたいが、今のセナはあの少年のことが気になっているようだし、聞く耳は持ってくれまい。



「別にどうってことないわよ」

「でもルイルイがハヤト以外の男の子と帰るなんてね~、明日は雨が降りそう~」

「火威さんに頼まれたんだからしょうがないでしょ」

「え~、ルイルイだったら断るじゃん。男の子嫌いだし。あー、さては毎日誘われててまんざらでもなくなったとか~?」

「つねるわよ」

「もうつねってるよ~、痛い痛い~」



 わざとらしく痛がるセナの手の甲をつねる手を離し、ルイは溜め息を吐く。


 あの少年のことが頭を過る。ルイに学生らしからぬ無償の愛を伝え続けた少年、小波 蒼。そんな人間、今までに出会ったことがなかった。


 第一印象から避けられることの多いルイ。それを潜り抜けても、きつい性格に嫌気が差して離れて行ってしまう人も多かった。

 自分ですらそんな自分自身が嫌いだというのに、どれだけ拒絶しても、ニコニコ笑って好意を顕に話しかけてくる。


 やりづらく、不思議な手合いだった。


 ルイは、人間の機微に対して聡いところがある。多くの悪意や黒い感情に曝されてきたせいで、目の前の人間が腹の内にどんなものを抱えて自分に接しているかが何となく分かるのだ。


 これまでも、近づいてくる男はそれなりにいた。だがそのいずれもが、ルイの体に流れる早乙女の血筋か、ルイの持つ女という属性だけが目当てだった。


 早乙女に取り入るにせよ、欲望を満たすために使い捨てるにせよ、早乙女本家から迫害されている憐れな少女は都合がよかったのだろう。

 あんな奴、ちょっと優しくすれば絆せるだろ、なんて野蛮な陰口を聞いたことがある。


 生憎、ルイにとって彼らの悪意は明け透けなもので、そんな連中に甘い言葉を言われても嫌悪感しか募らなかった。

 彼女にとって、唯一彼女を一人の人間として見てくれる男はハヤトだけだった。


 ところが、あの小波 蒼という少年も最初はその手の打算的なものかと思っていたのだが、今になっても彼の内側には粗暴で卑しい謀りが見えない。

 何度雑に追い返しても、彼は純粋な子どものように目を輝かせて次の日にはまたやってくるのだ。


 だからこそ、刹那の提案に了承した節がある。


 愛、そんな言葉が過ぎるが、変な話だ。



「ねぇセナ。初めて私に会ったときとか話したとき、どう思った?」



 ん~と考え込むセナ。 向かいの鏡を見れば、桜色の唇に人差し指を当てて考え込むあざとい姿が。

 そんな動作が許されるのはセナだけだろうと思いつつ、風呂上りで上気した頬にしどけない姿を見ていると、同じ女でありながら本能の疼きを感じてしまう。



「そうだな~、目つきがきつくて~、性格もきつくて~、言葉もきつくて~、そっけなくて~、ツンツンしてて~、負けず嫌いっぽくて~、感じ悪くて~」

「まぁ、そうよね」

「いてててて、納得しながら太腿つねるのやめてよ~」



 つねる手を離し、少し考え込む。

 そんなことをしていたら、背後からセナの体重が乗って来た。湿った腕がルイの首元に巻きつき、耳元で優しい声がする。


 その声は、ステージの上で何万人何十万人を魅了してきた、特別な声色った。



「でもね。素直になれないだけで、本当は誰よりも優しくて、他の人のことを考えてて、気配り上手で、繊細で、傷つきやすくて、使命感があって、志があって、決して驕り高ぶらない、可愛らしい人だって、私は知ってるよ。だから、ルイルイのこと、大好きなんだよ」



 心地よく首元の腕が締まった。背中に柔らかい胸の感触がある。

 この状況、男子だったら血を吐き散らして死ぬだろうなと思う。優しい一番の友人の言葉に、「ありがとう」と口にして先ほどつねったセナの手の甲を撫でた。


 ルイは考える。親友であるセナはルイ自身が知らないことを言ってルイのことを好きだと言ってくれる。


 仮に、ルイにそういういい部分があったとする。

 しかし第一印象でそれを認めることは出来まい。だというのに、小波 蒼という人間はそれを全て知っているかのように、いや、それ以上の何かを手にして、セナよりも強い爆発的な好意を向けてくるのだ。


 彼は、ただ一度だけルイに命を助けられ、ただ一度だけ一緒に帰っただけだというのに、そこまでの好意を持てるものだろうか?



「あ」



 側の携帯が鳴る。セナも一緒に画面をのぞき込む。件の少年からであった。


 恐らく、相当に推敲したのだろう。何行にも渡って感謝や感動が丁寧に綴られている。


 行間や読みやすさも完璧、誤字脱字は皆無、それでいて定型的でなくカジュアルさは損なわない。

 笑えるほどよくできた文章だった。



「ながっ」



 セナが言い、くすくす笑う。その文面を眺めながら、ルイは思った。



(変な奴)



 あの少年に、ほんのちょっとだけ、興味がわいたのである。

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