♯9 白河さんは値下げシールを間違えない
それから数週間が経った。
特にその
いつも通り出社していつも通り仕事をする。
一個だけ変わったことがあるとすれば、前よりも白河さんの出社時間を気にするようになったくらいか。
前よりは明らかに打ち解けて雑談が増えたし、白河さんと過ごすその毎日が楽しくなっていた。
「……チーフ、そろそろはっきりさせないとダメなんじゃないの?」
まな板の刺身のサクをリズムよく切りながら、山上さんが俺に声をかけてきた。
「分かってますって」
「本当に?」
「……山上さん俺の母ちゃんみたいですね」
「だって、二人とも真面目だからお節介も焼きたくなるじゃない? チーフ前よりも楽しそうに仕事してるよ」
「そうですかねぇ」
「一緒にいられる時間なんて限られるんだからこういうのは早いほうがいいのよ」
「もうすぐ金婚式の人に言われると説得力あるなぁ……」
「ふふふ……すごいでしょ?」
「おはようございます! 今日も宜しくお願いします!」
山上さんとそんな話をしていたら、今日も元気よく白河さんが出社してきた。
「おはよう白河さん」
「おはよう白河ちゃん、今日も元気いっぱいね」
白河さんがいつものルーチンで売り場に値下げに出て行った。
「白河ちゃん可愛くなったわよね」
「そうですか?」
「分かってるくせに」
山上さんがいつも通り俺のことをからかってきた。
※※※
ピッ
ピッ
ガラララララ
「戻りました!」
「お疲れ様」
いつも通り白河さんが値下げをして作業場に戻ってきた。
「そこのオレンジジュース、山上さんからだから」
「あれ? 今日はコーヒーじゃないんですね」
「山上さんが買ってくれるって言うから、白河さんの好み言っておいたよ」
「あ、ありがとうございます!」
そんな会話をしながら二人ともいつも通り仕事をする。
「あっ! もうすぐデートの日ですね!」
「……もうそんなになる?」
「そんなになります! 私なんて指を折りながら楽しみにしていたのに! ひどいです!」
「大げさだなぁ」
「大げさなんかじゃありませんよ! 私、今度はお魚が見たいです」
「えっ!? また市場?」
「ち、違いますよっ! 今度は水族館に行きたいです!」
「ふ、普通だった……」
「い、いいじゃないですか! デートっぽくて」
「初デートが市場だったのはこれから忘れられそうにないなぁ……」
「だ、だってお魚好きなんですもん……」
カレンダーを眺めると、確かにデートの日まであと二日にせまっていた。
「……緊張するなぁ」
「えっ? チーフが緊張するんですか」
「俺だって緊張するって。この前も緊張したけど今度のはもっと緊張しちゃいそう」
「えー! 意外です!」
「……白河さん、俺のこと超人か何かだと思ってるでしょ」
「あははは、そんなことはないですよ?」
白河さんが作業場を片付けながら次の予定の会話に声を弾ませている。
「楽しみだなぁ」
「あんまり期待されるとプレッシャーが……」
「いつもピシッとしているチーフがそういうこと言うのも面白いです!」
「白河さんまで俺のことからかってきた」
白河さんは随分素の自分を見せるようになってくれていた。
最初は無表情でクールな子だと思っていたが、実は明るくてお話好きな普通の女の子だった。
「あっ、白河さんエプロンに値下げシールついてるよ?」
「えっ?」
白河さんのエプロンの隅に印字されていない赤い値下げシールが貼られていた。
作業をやっているとあるあるなのだが、自分の知らずのうちにシールがあちこちについてしまうときがある。
「あっ! 本当だ! 値下げされちゃってました」
ぺりっとそのシールを白河さんが剥がす。
「あはははは、チーフに値下げしちゃダメだって言われてるのに間違えちゃいました」
「……」
「チーフ?」
「……間違えてないよ」
次のデートまで黙っていようかと思ったが思わずそんなことを言ってしまっていた。
「あのさ……白河さん。俺、白河さんのこと――」
白河さんが続く俺の言葉に驚いた様子を見せていた。
――結局は。
結局は、白河さんが俺に値下げをしてほしいと言ってきたときから、白河さんに心を掴まれていたのかもしれない。
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