第26話 いつもの診察

 いろいろとトラブルはあったが、万吉達は指示書にあった依頼主の家についた。

 中心部から少し外れた静かな住宅街、しかも一戸建てで小さいながらも庭もある落ち着いた家が並び、高級住宅街のような印象を受けた。


「ここかな?」


 その一番奥城壁の脇に目的の家があった。城壁までは開けた場所になっている。

 文字通り門の前に鈴がぶら下がっている呼び鈴を鳴らし、しばらくすると中年の男が訝しげに現れた。


「冒険者ギルドから依頼の件で来ました」


「本当に来たのか、あんな依頼は無理だと思ったんだが……だが、成功報酬だぞ?」


「わかっています」


 その旨は依頼書にきちんと書かれていた。


「入れ」


 扉が開けられるときれいな庭と上品な白を基調とした家が目の前に飛び込んでくる。


「綺麗ですね」


「ふむ、粗野な冒険者とはなんか違うなあんたは」


「まだなったばかりだからですかね」


「まぁ、俺は娘が元気になってくれればそれでいい」


 それから庭が見える一室に通される。

 大きな窓がある。万吉たちが見てきた中でもこんなに大きな窓を見たのは初めてだった。


「おとおさま、そちらの方は?」


「ああ、ルークを治してくれる方だよソフィア」


「まぁ!! お願いします! ルークを元気にしてあげてください!」


「分かりました。それではルークをよく診させてもらいますねソフィアさん」


 ルークは濃い茶色のラブラドールレトリーバーに似た大型犬。

 呼吸は浅く、顔つきは険しく痛みを我慢しているように短く唸っている。

 その側に座って心配そうになでていたのが依頼主の娘さんなのだろう。

 とても可愛らしい金髪のお嬢さんで、しかめっ面のお父さんと同じ青いきれいな目をしている。


「ルークはいつ頃から様子がおかしいですか?」


 万吉は優しくルークに触れていく。すでに触れた瞬間に熱があるであろうことは確かだった。


「3日前からご飯も食べなくなったの」


「食欲が落ちたなーとか、歩く時に辛そうとか、お水を飲む量が増えたとか気になったことはあったかな?」


 腹部が腫れていて筒状の物が触れる。圧痛も認めている。


「2週間くらい前からお水はよく飲むなーって思ったわ。身体が重そうにしているのは3日前から、少し食べる時間はかかったけど、ちゃんと食事は食べていたの」


「ルークちゃんは女の子なんだね」


 外陰部から少量の血混じりの膿が出ている。この時点でほぼ一つの病気が万吉の頭には浮かんでいた。


「まだ3歳なのに急に元気がなくなるなんて……」


「詳しくはもっとちゃんと検査しなきゃいけないけど、十中八九これは子宮蓄膿症って病気だと思う。お腹の中に膿が溜まってしまう病気で、時間的にもルークちゃんの状態的にもゆっくりはしておけない」


「助かるの……?」


「きちんと治療をすれば助かります。ただ、私の治療方法は職業に関わる力を使うのでお見せできない。

 それと、ルークちゃんの子供はもう産ませることはできなくなります。

 それでもルークちゃんを助けると信じて私に預けてくれますか?」


「助けてくれるの?」


「全力を尽くすよ、もし、きちんとした治療を受けないと、ルークちゃんはこのまま元気にならないと思う。初めて会ってこんな事を言うのも悪いとは思いますが、私を信じて預けて欲しい。私にこの子を助けさせてください」


「ソフィア、どうするんだい?」


「私は信じるわ、貴方……」


「マンキチです」


「マンキチ、私の大切なルークをお願いね」


「お任せください」


 万吉はそっとルークを抱き上げる。


「申し訳ないのですが、3刻ほどお待ち下さい」


 そのまま家を後にする。

 そして、先程見つけた城壁沿いの広場に移動する。


「もふもふ、頼む」


 目の前に病院が現れる。

 ここが閑静な住宅街出なかったら大騒ぎになっただろうが、音もなくすっと現れた病院。しかも、カモフラージュに使っていた木々をまるごと収納していたので、突然鬱蒼とした木が現れたように見えるだけだった。

 万吉はルークを抱きかかえ手術室へと移動する。

 レントゲンと血液、超音波を見るけど、先にラインを取って輸液と抗生物質、消炎鎮痛剤を使う。もふもふはテキパキと助手としての働きをこなしていく。

 しっぽと手を使って二人分以上の仕事を行っていく。

 万吉も手早く静脈へのルートを確保し点滴を流し始める。

 検査用の血液も確保し、レントゲン撮影、そして超音波検査へと移って行く。


「やっぱり間違いなさそうだ……年齢的に痩せ始めてるけど、その他の臓器は問題ない、しかし、破裂寸前かもな……よし、手術するよ」


 すぐに子宮蓄膿症の手術準備が進められていく。

 麻酔を行う前に適切な前投与薬が使用される。

 輸液と炎症痛みを抑えたお陰でルークの呼吸は少し楽そうになってきている。

 さらに前投与薬の影響で少しウトウトとしてきている。


「始めよう」


 導入薬を入れるとすぐにルークの意識は眠りの世界へといざなわれていく。

 気管挿管を行い、手術をするのに適した体位に固定紐によって固定される。

 手術台も少し変形し、安定した体位を支持してくれる。

 手術中に身体が冷えることを防ぐヒーターがルークの身体を温める。

 お腹を上に向けた体勢で手術部位であるお腹の毛を刈っていく。


「かなり大きいだろうしパンパンなのが予想されるから毛刈りは広めで」


「了解ニャ」


 それから術野の消毒だ。

 万吉は手術着に着替えて器具を準備していく。


 子宮蓄膿症は文字通り子宮に膿が溜まってしまう感染症の一つだ。

 子宮は腹腔内臓器であり本来子供を妊娠する臓器なので筒状で外と連続している。

 陰部から細菌が侵入したり、何らかの方法で細菌に暴露し、内部で感染が起こると袋状の臓器の内部に大量の膿や血が溜まってしまう。

 初期の場合は体温が高かったり、飲水量が増えたりとしたあまり派手な症状は引き起こさずに、重症化して初めて食欲不振、体調不良などを訴えるために、発見した時点で危険な状態になってしまっていることがある。

 若い頃に避妊手術を予防的に行うことで100%防ぐことが出来る病気であるために、避妊手術が一般化し始めている万吉達の世界では数自体は少なくなっている病気だが、未避妊の個体の場合、どんなときでも忘れないようにしなければいけない病気の一つになる。こういった生殖器疾患や乳腺腫瘍の予防、望まない繁殖を防ぎ、満たされることのない性情動を抑えてあげるためにも、若いうちの予防的な避妊手術は、飼育動物にとっては有益であると考えられている。






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