第16話 アッシュのその後

「ただいまー!」

「おかえりなさい、早かったのね?」

「そうか?」

「だって一時間も経ってないし……」


 うっかりしていた。数日前のことで忘れていたが、そういえば自分は2~3時間は掛かると言って外に出たはずだ。なんとかして誤魔化さなくてはならない。


「あーそうだったな。でも、アイスクリームが食べたくなって戻って来たんだ。ほらみんなの分も買ってきたぞ」


 妻へ大量のアイスクリームが入ったビニール袋を手渡した。甘い物は彼女の大好物だ。これで今の話はうやむやにできるはず。そこで、ふと妻にも用事があったことを思い出した。


「……そういえばキミも、病院に行く用事があるとか言ってなかったか?」

「ええ、けれど予定を変更して、一度家に行こうかと……」

「家ってキミの家はここだろう?」

「いえ、そうじゃなくて、時任ときとうの実家のほうなんですが……」


 妻が実家に帰りたがるというのは、離婚へのカウントダウンと聞く。もしかしたら14年後の私は、彼女に出て行かれたことがきっかけで、世界を滅ぼすことになってしまうのだろうか? 絶対にありえないと言えないところが情けない。だとしたら、なんとしてでも阻止しなければ!


「ひょっとして、お土産が気に入らなかったのか? ここにはキミの好きなキャラメル味だって入っている。飽きがこないように味の種類だってバラけさせた」

「は、はい? 何を言っているんですか……」

「たしかに最近スキンシップは減っていたかもしれないが、あくまで子供たちに気をつかってのことで、正直私のほうはいつでもその気だからな!」

「ちょっと待って! 私の話を聞いてください――」

「私の想いを疑っているのかもしれないが……キミが望むのだったら、3人目だってこれから育てたっていいんだ!」

「少し落ち着いてください!! センパイ!」


 あたりが静寂につつまれた。


「……恥ずかしい呼び方をするんじゃない!」

「先に恥ずかしいことを言ったのは、そちらですからね! まったく……」


 赤面している妻を見たのは久しぶりだったが、やはり可愛らしかった。

 さっきは勢いでおかしなことを口走ってしまったが、いろんな意味で頑張れそうな気がする。


「……それで、なぜ実家に?」

「少し思い出したことがあるから、それを確かめに行くだけです。子供の頃に大切にしていた指輪を探しにいこうかと思いまして……」

「本当にそれだけか?」

「それだけです!」

「はぁ……それならよかった。あやうく世界を滅ぼしてしまうところだった……」

「……何を言っているんですか、あなたは?」


 そういってジロリと睨みつけてくる妻の髪に、白髪が交じっているのが見えた。


「やっぱり、苦労はさせてしまっているみたいだな……」

「ああ、これは気にしないでください。じきに見慣れると思いますし」


 そんなやり取りをしていたら、リビングの入り口のほうから視線を感じた。


「あのさー……2人とも声デカすぎ……少しはこっちの身にもなってよ」


長男のホクトがそっぽ向きながら言う。


「まぁ、そうかもね。たぶんご近所様にも聞こえちゃっているし……」


ホクトの妹のカナタも困ったような顔をしていた。


「「すみませんでした」」


私たちは2人揃って頭を下げた。


「仲がいいのはイイことだけど、節度は持たないと……でも、ちょっと楽しみかも♪ ね、お兄ちゃんはどっちがいい?」

「……どっちって、何の話だよ?」

「だから、妹と弟」

「はぁ!? よくそんな話できるな……」

「だって、わたしがお姉ちゃんになれるかもしれないんだよ?」

「そうかもしれないけどな……どっちがよかったとか先に言われたら、そうじゃないほうが生まれた場合、少しかわいそうだろ……」

「……そっか、そうだね。じゃあ、わたしたちはどっちが来ても歓迎するから、お父さんとお母さんは頑張って作ってね」

「だから、おまえはそういう言い方やめろって!」


 今度は兄妹間で言い合いが始まり、我が家はまた騒がしくなってしまった。


「……どうしたんですか? そんなにニヤニヤして」


 となりにいた妻に指摘されて初めて気づいた。どうやら私は意図せず笑っていたらしい。それほど、面白いことがあったわけでもないのになぜだろうか? 今抱いているなんとも言えないこの気持ちを言い表すには、どういう言葉が適切なのだろう。


「あーたぶん、私は幸せを感じているんだと思う」


 妻のほうを見ずに答えたが、自分で言っていて非常に恥ずかしくなるセリフだ。なんのリアクションも返ってこなかったのを不安に思い、しばらくしてから妻のほうに向き直ると、彼女はなんと泣きながら笑っていた。


「……そこまで笑わなくてもいいだろう」

「ごめんなさい……でも、私も嬉しくて……本当に、よかったです」


 何がそんなにおかしかったのかはわからないが、まあ良しとしよう。本当のことを言えば、妻が笑っていてくれる時が一番、幸せを感じられるのだから。

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