第7話 アッシュ、転移前の回想

「……あなた! 聞いているんですか!?」


 声の主がじっと睨むようにこちらを見ていた。

 考えごとをしていてまったく聞いていなかったが、それを悟られるわけにはいかない。


「ああ、聞いているよ……」

「今日は病院へ呼ばれているので、少し帰りが遅くなりますからね」

「病院!? どこか具合でも悪いのか?」

「もう、やっぱり全然聞いてない!」

「……すまない。もう一度頼むよ」

「私の細胞に難病を治療する手がかりがあるとかで、少し検査をさせてほしいみたいです。なんか、その道の権威やエライ先生とかが来るみたいで……」

「検査……危険なことはないのか?」

「今回はただの血液検査って言っていたし、大丈夫じゃないですか。それに人さまのお役に立てるなら、協力はすべきでしょう?」

「それはそうだが……」

「あと、多少の謝礼は出るみたいだし♪」

「……」

 彼女はカラカラと笑いながら言った。どうやら本命はそちらのようだ。

「それで…あなたはどちらへ?」

「……えっ」

「今日は仕事を休んだんですよね? 何か用事があったんじゃあ……」

「ああ、少し身体を動かそうと思ってな。最近、体型が気になってしまって……」

「外に行くなら、ホクトも連れて行ったらどうですか?」

「……あの子は私が誘っても来ないだろう」

「そうかもしれないけど……最初から声も掛けないのも、ちょっと……」


 理由はわからないが最近、長男のホクトに避けられている。

以前もそれほど頻繁にコミュニケーションを取っていたわけではないが、会話はできていた。それなのに今は、顔を合わせる機会すら必要最低限に済まそうとしているフシがある。


「あなたのほうで、なにか心当たりはないんですか?」

「しいて言うなら、ここのところ仕事に集中していて、ホクトと話す機会が減っていた……」

「それが原因……とは考えにくいですね」

「ああ。そっちは何かないか?」

「……実は思い当たることが、1つだけありまして」

「聞かせてくれ……」

「私たちの馴れ初めについて話していたのを、聞いていたんじゃないかと……」

「……ちょっと待て、なぜそんな話を?」

「カナタが聞きたいって言うから……」


 カナタというのは、ホクトの3歳下の妹だ。年齢の割に落ち着いているかと思ったが、そんなことに興味を持つようになっていたとは。


「それで……どのぐらい話したんだ?」

「出会いから結婚するまでの間を……2時間にまとめて」

「そんなに!?」

「だって、話しているうちに楽しくなっちゃって!」

「はぁ……ちなみにカナタの反応はどうだったんだ?」

「興味深いって。でも、お兄ちゃんはナイーブだから、ちょっと引くかもって言ってました」


 わが娘よ。もう少し子供らしい感想を持ってくれないと、父は不安になってしまう。

さて、これが息子に避けられる原因になり得るだろうか? ……まあ、なるだろうな。

 我が家の女性陣は、話に夢中になると声量が抑えられない。両親の若い頃のアレコレが部屋にいても聞こえてきてしまうのだ。

 それで気まずくならない子供はいないだろう。ましてや思春期の男子であれば、なおさらだ。


「……ごめんさない」


 妻がしょんぼりした様子で頭を下げる。


「いや、まだそれが原因かどうかはわからないんだから気にするな。それに――」

「それに……なんです?」


 しばらく待っても続きを言わないのを不思議に思ったのか、妻が聞き返してきた。


「それに……気づかない内に、私が何かしてしまったという可能性もある。今度きちんとホクトと話してみるからさ」


 ポンッと彼女の背中を軽くたたく。


「はい、お願いします……」


 最初に思いついた「それに」に続く言葉は「おまえが恋人時代のことを、楽しそうに話してくれてうれしかった」だった。若い時分ならまだしも、この歳で言うセリフとしては死ぬほど恥ずかしい。それに、長男をこれ以上気まずくさせてはならないだろう。


「それじゃあ、そろそろ行くとするかな」

「お帰りは何時ぐらいですか?」

「2~3時間で戻ると思う……」


 本来の目的のためであれば、それほど時間は必要ない。だが、一応運動のために外出するという名目になっているので適度に幅を持たせて答えておいた。


「私とは入れ違いになるかもしれませんね」

「ああ、くれぐれも気をつけてな」

「はい、いってらっしゃい」

「じゃあ、行ってくる……」


 私は外に出ると、マキリスを取り出し装着した。転移のための場所については、あらかじめ候補を見つけておいたので、そこへ向かって歩き出す。心構えも済ませておいたので、あの世界に行くことへの迷いはない。


 今の自分には一番大事なものがハッキリとしているからだろう。それは私の家族だ。

もしも、家族を守るために自分が犠牲にならなくてはいけない状況に陥ったら、そうする覚悟はできている。逆に言えば、それ以外の理由で自分が命を落とすわけにはいかない。

 朝霧才佐とフィリア・レーギスのことは守ってやりたいと心の底から思っている。自ら選んだこととはいえ、我が子と同年代の子供が受けるには、あまりに過酷な経験だ。

 だが、2人のために自分が犠牲になるわけにはいかない。できる限りの手助けはするが、私自身が生き残ることを考えなくてはならないのだ。

 彼らにとって自分は親ではなく大人でいるべきだ。それが最終的に出した結論だった。

客観的な立場に自分を置いて、感情に流されずに冷静かつ穏やかに2人を見守ろう。今回の自分の役目はそれで間違いないはずだ。


「こちらは身体にガタが来ています。戦闘に関してはお任せしますからね、サイファー」


 目つきの悪い、不器用な男を思い浮かべてみると「うるせー」と返事が返ってきたような気がした。以前、彼と会った時にどんな話をしていたかは、もう思い出せない。歳を重ねて時間が経つのを早く感じるようになったというのに、不思議なことだ。

 少しは成長して大人になっているのだろうか? もし、悩みがあるのなら人生の先輩として相談に乗ってやってもいいかもしれない。


「機会があれば、酒でも酌み交わしたいところですが……ふふっ」


 自分の考えていることの滑稽さに、思わず笑みがこぼれてしまう。

 私は右手を左胸の前に添えてワードを唱えた。


「リープ・イン・ポステルム!」


 マキリスが強い光を放ち、私の身体を包み込んだ――。

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