第5話 フィリアの不調
何か聞こえる。苦しそうな女性の声だ――。目を開けると、一瞬ここがどこだかわからなかったが、自分が異世界で眠りについたということを思い出す。夢も一切見ずに熟睡をしていたという自覚はあるが、あたりはまだ暗いようなので朝ではなさそうだ。
となりに寝ているフィリアを見ると、うなされているらしく時折うめき声を上げていた。一度、起こしたほうがいいと思い、近づいて声をかけてみるが一向に目覚める気配がない。恐る恐る彼女の額に手を乗せてみると、かなりの熱を帯びていた。
正確にはわからないが、おそらく三十八度ぐらいはあるだろう。苦しそうなフィリアを前にして、できることがないかを必死に考えた。なんとか自分の力で彼女を助けたい――そう思っていたが、結局子供にできることは限られている。そう大人を頼ることだ。
ぼくは自分の無力さに泣きそうになりながら駆け出した。目指すは1階のエントランスホール。部屋を探す前にアッシュは、何かあれば降りてくるように言っていた。かなり時間が経過しているようなので、まだいるかどうかはわからなかったが他に手がかりがない。
1階まで駆け降りると、食事を取っていたスペースにまだ2人は座っていた。
「はぁはぁ……すみません! 2人とも……ちょっと来てください!!」
「……どうかしましたか?」
息を切らせながら現れたぼくに、ただならぬ気配を感じたのかアッシュが鋭く反応した。
「フィリアが……すごい熱みたいで……ぼくじゃあ、何にもできなくて!」
それだけで状況を理解したのか、2人はすぐに立ち上がった。
「サイファー! こちらを……朝霧くんは水を持ってきてください」
アッシュに指示されたとおりに、ぼくは両手に水を、サイファーは結構なサイズのカバンを持って部屋へと急ぐ。寝起きに急に走ったせいか、身体が思うように動かない。結果的に大人2人が先行して自分があとを追う形になる。
2階まで上がったところで2人は廊下に出た。同じような扉が並んでいるため案内する必要があるかと思っていたが、ぼくたちが寝ていた部屋へと直行してくれたので助かった。
部屋へと入ったアッシュは、そっとフィリアの額に手を当てる。
「……おそらく急激な疲労からくる発熱でしょう」
「ど、どうすればいいですか!?」
「落ち着いてください。こちらの解熱剤を飲ませれば問題ないはすです」
アッシュはサイファーが運んで来たカバンの中から、カプセルを取り出した。
「……フィリアさんは相当無理をされているようでしたので、こんなこともあるんじゃないかと必要そうなものを探しておいたんですよ」
自分が熟睡している間に、2人はそんなことまでしていたらしい。
「まあ、できればこんな備えは無駄になってほしかったんですがね……」
アッシュはフィリアに薬を飲ませながらつぶやいた。
「……汗がひどいので着替えさせてほうがいいでしょう。2人とも……ほかの部屋からキレイなシーツを探してきてください」
カバンの中からタオルや衣類を取り出しながら、暗に部屋から出るように指示をしてきた。フィリアのためになるならそうしてやるべきなのだろうが、アッシュに任せてしまってもいいのだろうか? かといって自分にそんなことができるとは思えない。
「……私には彼女ぐらいの歳の子供がおりますので、こういうことは初めてではありません。お任せいただけませんか?」
ぼくが抱いていた懸念を解きほぐすような、おだやかな口調だった。
「わかりました……お願いします」
それだけ言って部屋を出るが、廊下に出たところで立ちつくしてしまう。
自分がもっと賢ければ、フィリアに負担はかけなかったんじゃないか?
自分がもっと強ければ、フィリアに戦わせずに済んだんじゃないか?
自分がもっと優しければ、フィリアの異変に気付けたんじゃないか?
自分がもっと……。
こうあったほしかったという理想を思い描いては、現実の自分との落差を感じてしまう。結局どれだけ悔いたとしても、すでに起こってしまったことは変えられないのだ。そんなことを繰り返し考えていたら、頭にポンッと手が置かれて我に返った。
「オマエのせいじゃねーよ……」
見上げるとサイファーがぼくを見つめていた。そのまなざしは彼がフィリアに向けていた、いつくしむようなものだった。
「でもさ……」
サイファーは泣き言を続けようとしたぼくの髪を、手でクシャっとして押しとどめた。
「……フィリアをここまで守ったのはオマエだ。それに……できる限りあの子のことは気づかっていたはずだ。違うか?」
「そう、かもしれないけど……」
「フィリアは……大切な役目を任されている。そのプレッシャーで少し疲れちまっただけだ」
「……大丈夫ですよね?」
「ああ、もちろん……っても、オレもこういう時は何もできないけどな」
「……アッシュは落ち着いていましたよね」
「あの人は……まあ、大人だからな」
「サイファーも大人なんじゃ……」
「年食っただけじゃ大人にはなれねーよ。オレにはまだ子供もいないしな……」
サイファーは自嘲気味に笑った。その顔はいたずらがバレた少年のようにも見えて、自分に兄がいたらこんな感じなんじゃないかと思わせる雰囲気がある。その空気が、ある決意を口に出す勇気をくれたのかもしれない。
「あの……マキリスの使い方を教えてくれませんか?」
「どうしてだ……?」
「今よりも強くなりたいからです!」
サイファーは、フゥーと自分を落ち着かせるように息を吐いた。
「……いいだろう。ただ、この状況が落ち着いてからな」
「ありがとうございます!」
「今はオレたちのできることをやろう」
「はい!」
ぼくたちは二手に分かれてシーツを探し始めた。
部屋に戻ると衣類をたたんでいるアッシュの姿があった。
「……ああ、お疲れさまです。シーツはそこに置いてください」
「フィリアの様子は……?」
恐る恐るベッドのほうを見てみると、フィリアは先ほどとは打って変わってやすらかな寝息を立てていた。大量の汗もきれいにぬぐわれており、ベッドもきちんと整えられていた。こういうことは初めてではない、というアッシュの言葉は嘘ではなかったようだ。
「薬が効いてくれたのか、今しがた落ち着いたところです……」
「……色々とありがとうございました」
「いえ、大したことはしていませんよ……それにキミこそお疲れでしょう? フィリアさんはひとまず大丈夫ですから、そろそろ休んでください」
「わかりました……」
「我々も同じ階で休んでいますから、何かあれば呼んでください……サイファー、部屋は探しておいてくれましたよね?」
「ああ……じゃあ、また明日な」
「お休みなさい朝霧くん」
2人が部屋を出て行ってしまい、ぼくとフィリアの2人きりになった。
静けさの中にフィリアの寝息が響く。ベッドに入ってもなかなか寝付けないと思っていたが、彼女が無事でいてくれたことに安心できたのか、すぐに眠りに落ちることができた――。
翌日、目覚めるきっかけをくれたのは窓から差し込む日の光だった。
となりを見ると、まだフィリアは眠っていた。女の子の寝顔を見るなんて初めてだったのでなんだかドキドキしてしまう。申し訳ないと思いつつ、しばらくフィリアの顔を眺めていたら、彼女が「んむ~」とうめき声を上げた。少し心配になり顔近づけると、ゆっくりとまぶだを開けてぼくのほうを見た。
「――才佐くん?」
焦点を合わせるようにぼくの存在を認識すると、ハッとして飛び起きた。
「無事……ですか!? ……何日、経って……ゲホッ、ゴホッ!」
「フィリア! とりあえず落ち着いて、ほら水!」
枕元に置いてあったボトルを差し出すと、フィリアはそれを受け取ってごくりと飲み込む。
「すみません……ご迷惑をお掛けしたみたいで」
「気にしないでよ……」
「状況を確認させてください。私たちが出会ってから何日が経過していますか?」
「一日だけだよ……ひょっとして覚えていないの?」
「……眠りについたところまでは記憶があるんですが、それ以降はあいまいで」
「かなり苦しそうだったからね……本当に無事でよかった」
フィリアがふと自分の格好を見て首をかしげた。眠る前と異なる服を着ていたからだろう。
「……才佐くんが着替えさせてくれたんですか?」
「ち、違うよ! アッシュがやってくれたんだ!! 子供がいるから慣れてるとかで……」
「アッシュがこの部屋に入ったんですか?」
ぼくが着替えさせた可能性に言及した時は、責めるようなニュアンスは含まれていなかったのに、アッシュが部屋に入ったと聞いた途端、動揺したように声を上げた。
「えっ、うん……サイファーもだけど、2人とも色々助けてくれて……」
フィリアは黙り込んでしまった。
「ごめん、マズかったかな? 正直、ぼくひとりじゃどうしていいか、わからなくてさ……」
「あ、いえ……そういうわけではないんですが……」
フィリアは言葉を濁しながら、自分がはめている指輪に視線を移す。
「彼らが部屋に入って来た時に、私のマキリスは反応しませんでしたか?」
「……えっ? 特に何もなかったと思うけど、なんで……」
「半径4メートル以内に外敵を検知した場合は、警告を発するように設定したはずなんです」
「それは、やっぱり2人が味方だって判断されたからなんじゃ?」
「そういう類のものではないんですが……いえ、私が不調をきたしていたせいで、設定ミスをしてしまったのかもしれません。すみません……」
「でも、かえってよかったんじゃないかな? フィリアを看病している時に、アラームとか鳴られても困ったと思うし……」
「……そう、ですね。ありがとうございます」
口ではお礼を言いつつも、フィリアはうつむいたままだ。
「そうだ! 何か食べられそうなもの取ってくるから、ちょっと待っててね」
少しでも彼女を元気づけたくて、返事も聞かずに部屋を出る。一階に行けば食料がまだ残っているかもしれない。
エントランスホールに行くと、サイファーが食事に準備をしているところだった。ぼくの気配に気づいたのか振り返りながら、声をかけてくる。
「おう……起きたか」
「フィリアが目を覚ましたんです! 何か食べられそうなものを……」
なかば興奮気味だったせいか、朝の挨拶もせずにまくしたててしまった。彼はそれに気にした様子もなく、優しく微笑みながら「よかったな」とだけ返してくれた。
「このあたりが消化によさそうだ……持っていってやれ」
「ありがとうございます!」
ぼくは水と食料を抱えて、今来た道を急いで戻った。2階の廊下へ出ると自分たちの部屋の扉が開いているのが見えた。自分は確かに扉を閉めてきたはずなのだが……。不審に思いつつ近づいて行くと、中からアッシュとフィリアの話し声が聞こえてきた。
「念のため今日一日は安静にしておいたほうがいいでしょう……」
「そうさせていただきます……あの、才佐くんから聞きました。色々と面倒をかけてしまったみたいで……ありがとうございます」
「気にしないでください。当然のことをしたまでです」
「あなたたちは本当に敵ではないみたいですね……」
「……少しは信用していただいたようで、なによりです」
「私が動けない間も才佐くんが無事でしたから……彼の存在は敵にとって脅威になりえます。2人が刺客ならこの機会を見逃すはずはありません」
どういうことだろう? フィリアと出会った時に言っていた『ぼくにしかできないこと』に関係あるのだろうが、彼女の口ぶりだと敵にも自分の存在が知られていることになる。
「しかし、この世界にリベルタスの味方が存在しているとも思えません……」
「……フィリアさん、ここまでにしておきましょう……我々のことはラボに着いた時に必ずお話します。ですから、しばらくは何も言わずにご一緒させてください」
ラボというのは研究所のことだろうか? それよりも、フィリアは『この世界』にと言った。つまり別の世界であれば可能性はある、ということにならないだろうか? アッシュとサイファーが自分と同じように、こことは異なる世界から来たのかもしれないということだ。
「……わかりました。才佐くんと話してみます」
「ええ、よろしくお願いします。それでは私はそろそろ失礼させていただきます」
アッシュが扉のほうへ歩いてくるようだ。ぼくは立ち聞きしているのがバレないように、ひとまずとなりの部屋へ隠れてやり過ごすことにした。足音が階下へ向かったのを確認してから、フィリアが待つ部屋へと入って行く。
「……ごめん、お待たせ」
「いえ、ありがとうございます……」
フィリアはベッドの上で布団に入ったままの状態で座っていた。窓が空いているせいか、部屋の中をかすかに風が流れを感じる。アッシュは換気のために入り口の扉を開けっぱなしにしていたのだろう。
「もう、起き上がって大丈夫なの?」
「ええ、平気です……ただ今日一日は休ませていただくことになるため、出発は明日になってしまいます。私のせいで、すみません……」
「ううん……あ、そうだ。食料をもらって来たんだ。食べられそうかな?」
「はい……いただきます」
フィリアはゆっくりとではあるが食事をし始めた。
「……あの、そんなにジッと見られてしまうと、落ち着かないのですが……」
「ご、ごめん! そんなつもりはなかったんだけど……」
別に観察するつもりで見ていたわけではない。フィリアが元気に食事している姿にうれしくなってしまっただけだ。とはいえ、さすがに失礼だとは思ったので窓の外に視線を移す。
「……さきほどアッシュが来て、我々に同行したいと改めて要請をされました」
立ち聞きしていたことを悟られないように、初めて聞いたようなリアクションを心掛けて「うん」とだけ返事をしておく。
「才佐くんは2人のことをどう考えていますか?」
「……とりあえず一緒にいたほうがいいとは思う」
「どうしてですか?」
「2人とも強いっていうのが一番の理由かな……。これから先どれぐらい戦闘に巻き込まれるかわからないけど、ぼくたち2人だと厳しいような気がする」
「……それは、そうかもしれません」
「あと、うまく言えないけど悪い人たちじゃないとは思う……フィリアのことも、すごく心配していたからさ」
「……彼らを信用しているんですか?」
「う~ん、会ったばかりだし信用というのとは違うかな」
「えっ?」
「……たとえばさ、フィリアだって元々ぼくのことを信用したから、この世界に連れて来たわけじゃないよね?」
「……ええ」
「ぼくにしかできないことがある……つまり『ぼくの能力』が必要だから連れてきた……」
フィリアは黙ってぼくの言葉の続きを待っている。
「それと同じことで『2人の能力』が必要だから、アッシュとサイファーにも一緒に来てもらうって感じかな」
「彼らの存在を利用しよう、という意味でしょうか?」
「そんな物騒なものじゃなくてさ……それぞれできることが違うんだから、助け合っていこうって提案かな……信用なんてさ、しばらく一緒にいないとできないもんでしょ?」
それらしいことを言ってはみたが、本当は心細かったので頼り人が欲しかったのだ。
元いた世界では思うようにいかなくても、異世界に来れば少しはうまくやれるはず。根拠もなくそう考えていた。しかし自分は結局のところ子供のままで、できることには限りがあった。今の自分では目の前にいる女の子すら守れない。
無力ならせめて判断だけでも間違えないようにしたい。フィリアの任務はぼくを目的地に連れていくことだ。そのためにはアッシュ、サイファーと共に行くのは間違いではないはず。
内心ではそんなことを考えながら、フィリアを説得していた。これ以上、情けないところを見せたくなくて、必死に頭を働かせてもっともらしい理由を考えていたのだ。
「……わかりました。彼らと共に行きましょう」
「それじゃあ、2人にはぼくから伝えておくよ……」
「あの、才佐くん……」
「なに?」
立ち去ろうとしたぼくを呼び止めたにもかかわらず、続きを口にするのをとまどっている様子でモジモジしている。しばらくそうしていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「……私はあなたのことを信用しています」
「えっ!?」
「突拍子もない話を信じてくれましたし、一緒に戦ってもくれました……何度も気づかっていただきましたし、それに……」
「ちょ、ちょっと待って! 突然どうしたのさ?」
「……才佐くんが、少し元気がないよう見えたので、それで……」
ネガティブな感情をうまく隠せていると思っていたのに、思いっきり顔に出ていたらしい。それに気づいたフィリアが励まそうとしてくれたのだろう。
「……私が信用していると言ったところで、元気づけられるとは思いませんでしたが、ほかになにも思いつかず……その、すみません」
「ううん、すごくうれしかったよ……ありがとう」
今度は本心から出た言葉だった。
「それならよかったです……でも本当に、今のあなたは信用に足る人物だと思います」
フィリアはそう口にしてから、一瞬なにかに気づいたように右手で口をふさいだ。さすがにほめすぎてマズイと思ったのかもしれない。
「サイファーがマキリスの使い方を教えてくれるみたいだから、そろそろ行くね」
「え、ええ……」
一生懸命に自分のことを励ましてくれたフィリア。せめて彼女のことは自分の力で守れるようになりたい。そう決意して部屋を出た。
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