第4話 『盾』と『爪』との出会い

 少し先のほうに目を向けるとビルのような建物が見えた。自分たちの世界でいうタワーマンションのようなたたずまいで、高さは一〇〇メートル以上ありそうだ。今まで見てきた建物と同様にあちこち破損しているが、原形が残っている分ほかよりもマシと言えなくもない。


「ひょっとして、あれが宿泊施設ってやつなのかな?」

「ええ、多少の食料も調達できるかもしれません」


 空腹を感じていたのでありがたい情報だったが、遠目で見ても人が住んでいそうな気配はない。自分が想像していたような、いわゆる異世界の料理にありつくことはできそうになかった。


「……宿って雰囲気じゃないよね」

「安心してください。すでに使われなくなった施設を借りるのだけなので金銭は不要です」


 相も変わらず、少々ズレた方向に先回りの回答をしてくれるフィリア。しかし話題に出されるまで、この世界お金の存在について考えもしなかったのも事実だ。一応、自分も財布は持っており中に数千円程度は入っているが、こちらの世界では無価値であるのは間違いないだろう。この先お金が必要になったらフィリアを頼るしかないというのは、なんとも格好がつかない。

 せめて、モンスターを倒したらお金がもらえるという制度でもあれば助かるのに……ぼくがそんなことをぼんやりと考えていたら、隣を歩いていたフィリアがピタリと足を止めた。


「……才佐くん、まだ戦えますか?」

「大丈夫だと思うけど……」


 「けど……」に続く「結構厳しいかも」という言葉を飲み込んだ。フィリアがこう聞いてきたということは、近くに敵がいるに違いないからだ。


「……モルスの集団が近づいています。撃破しないと……あの建物に入るのは困難です」


フィリアは息を切らせながら、宿泊施設の方向を見つめている。


「迂回してやり過ごすという方法もありますが……」


 そこまで言ったところで。彼女はぼくのほうへ向き直った。


「才佐くんの意見を聞かせてください」


 思いもよらなかったセリフが飛んで来た。異世界からやって来た右も左もわからない自分が、今後の指針について相談を受けるとは想像もしていなかったのだ。フィリアのあとをついて行けば、目的地にたどりつけると思っていただけに驚きが大きい。

とはいえ、自分を頼りにしてくれる気になったというのは素直に誇らしかった。責任重大だが、できるだけ役に立つところを見せたくて必死に頭を働かせた。


「……迂回する場合だけどさ、今日の目的地はどうなるの?」

「別の宿泊施設へ……向かうことになります」

「ここからそこまでの距離はどれぐらい?」

「本日、進んだ距離の半分ぐらい……ですね」


 さらに3~4キロメートルは歩く必要があるということだ。それぐらいの距離だったら、ぼくはもちろんフィリアの体力もなんとか持つかもしれない。


「ただし今、戦いを避けたとしても、モルスに遭遇する可能性がゼロになるわけじゃない……」

「ええ、その通りです……」

「……今、近づいているモルスの数は分かるのかな?」

「8体ほど……確認できます」


 フィリアはチラリと指輪――マキリスのほうを見て答えた。ハッキリとは覚えていないが、昼間に2人で撃退した数はそれよりも多かったはずだ。あの程度の相手なら自分ひとりでも処理できそうな気がした。

 とりあえず現状の2択を整理してみる。1つ目は目の前の敵を撃破して休息場所を確保する。そして2つ目は戦いを避けて別の休息場所を目指すというものだ。体力の消耗具合を考えると、一度も敵に遭遇しないように後者を選ぶべきなのかもしれない。

 しかし、今よりも疲労が蓄積した状態で戦闘に巻き込まれてしまう可能性がある以上、安全策とは言えないだろう。

 そうであるなら、動けるうちに休めるところを確保してしまったほうが確実な気がする。それになによりもフィリアを1分でも早く休ませてあげたかった。会話を続けてはいるが声に力が無くなっているし、顔色もよくないような気がする。


「ぼくは……今すぐ戦うべきだと思う」

「同感です……さまざまな観点から考慮した結果……私も同じ結論に達しました」


 自分が考えたようなことは、すでにフィリアも検討済みだったようだ。せっかく意見を求められたのだから、この状況を見事に打開できるようなアイデアを出したいところだったが、結局ありきたりのことしか出てこなかったということだ。


「……ごめん。大したことは言えなかったね」

「たとえ同じ意見だったとしても……才佐くんの口から聞くことは重要だと思います」

「そう、なのかな……」


 気を使ってフォローしてくれただけかもしれないが、フィリアが肯定してくれたおかげで少し救われた気がした。


「……そろそろ敵と接触します。準備をしましょう」


 ぼくたちはそれぞれ武器を取り出した。


「……敵は8体いますから……その半分、4体の対処をお願いします」

「……ぼくが先行するよ。もし討ち漏らしたら、その時はお願い」

「ですが……いえ、そうですね。了解しました……」


 フィリアが素直に聞き入れてくれて助かった。少しは自分のことを頼りにしてくれているのかもしれない。討ち漏らしてしまう可能性も言い含めたが、もちろんそんなつもりは一切なかった。これ以上フィリアに負担を負わせないように、自分1人で蹴散らしてやる! そう決意をして剣を強く握った。


「……見えてきました」


 フィリアの声に反応して前方に目を移すと、百メートルぐらい離れたところにモルスの集団が迫っている。数えてみるとたしかに8体ほど確認できた。

 敵の姿を確認すると同時にぼくは駆け出していたが、敵に近づくにつれてある異変に気づいた。モルスがそれぞれ棒状の道具――つまり武器のようなものを携帯していたのだ。鉄パイプやナタ、ほそい鉄骨のようなものなど、それぞれ持っている道具はさまざまだったが武装しているのは間違いない。


 昼間に遭遇したモルスとは明らかに異なる様子だったので一瞬不安がよぎりはしたが、やることは変わらない。敵の武器には警戒すべきだろうが、こちらは一発でも攻撃を命中させれば決着がつく。それに自分はマキリスの力で相手よりも早く動くことができるのだ。

 目を凝らして敵の動きを観察すると、やはり全体的に動きがゆっくりと見える。「いける!」という確信を持って、一番近くにいるモルスに向かって右から薙ぎ払うように剣を振るう。二の腕あたりに武器が当たり動きを止めた――かに見えたが、すんでのところで相手の武器により自分の剣が防がれていたのだ。


「……えっ!?」


 自分が想定していた場面とは異なる光景に驚き、動きを止めてしまった。


「才佐くん! 危ない!!」


 後方からフィリアの叫び声が聞こえた瞬間、我に返り周囲を見回す。自分が切りかかったのとは別のモルスが武器を振りかぶっているところだった。動き自体はよく見えたので、後ろにステップにして距離を取り、その攻撃をなんとかかわした。


「大丈夫ですか!?」

「うん、なんとか……でも、近づかないほうがいい! なんか変だ!!」


 フィリアが駆けてくる気配がしたが、ぼくは敵から視線を外さずに応じた。確実に仕留められたはずのタイミングで斬撃を繰り出したにもかかわらず、相手の武器によって防がれてしまった。その事実に動揺してしまったせいかもしれない。心なしか敵の動きが徐々に早くなっているように見えてしまい、立て続けに襲い掛かる攻撃を回避するだけの状態になっていた。


「くっ!」


 なんとか反撃を行なおうと試みるも、敵が武器を振り回しているせいで距離感がつかめず、うまくタイミングがつかめない。武器を持っただけで、モルスがこれほど厄介な相手になるとは思ってもみなかった。目の前には6体もいるのに、まだ1体も減らせていないのだ。

……6体? 敵は全部で8体いたはずだ! 残り2体はどこへ行った?

ハッとして振り返ると、2体のモルスがフィリアのいるほうへと迫っていた。


「フィリア! 逃げてっ!!」


 叫び声は聞こえているはずだが、彼女はその場から動くことなく悲壮な表情で短剣を構えていた。それはそうだろう、自分よりも早く動く敵が相手では背を向けて逃げることは、自殺行為に等しい。迎え撃ったほうがまだマシだろう。ただそれは、彼女に戦えるだけの体力が残っている場合に限っての話だ。

 ぼくは必至でフィリアの元へ走った。2体のモルスがフィリアに向かって武器を振り上げた瞬間、一瞬が引き延ばされたような奇妙な錯覚を覚えた。あたりがすべてスローモーションになり、水中の中を自分だけが自由に動いているような感覚だった。

二十メートル、十メートルと徐々に距離をつめていくが、フィリアには自分よりも先に敵の攻撃が到達するほうが早いだろう。

 体が届かないのであれば、せめて声だけでも届けたいという思いで、もう一度フィリアの名前を呼ぼうとした。その瞬間、彼女とモルスの前に立ちふさがるように大きな盾が現れたのだ。その盾によりモルスの攻撃を弾き返したかと思えば、ほぼ同時に盾が横に振られて、2体のモルスは薙ぎ払われていた。

 盾の陰にかくまわれているせいで良くは見えなかったが、どうやらフィリアは無事らしい。


「……よかった」


 自分も危険な状況にあることをすっかり忘れて、安堵してその場に座り込んでしまった。


「ボサッとしてんな! まだ戦闘中だぞ!!」


どこからか聞き覚えのない男性の声が聞こえたことで、今の自分の状況を思い出す。先ほど距離を取った6体のモルスが寸前まで近づいていたのだ。

焦って剣を構え直すが、今の自分に6体もの敵を同時に相手をする自信はなかった。


「少し落ち着け。まずは呼吸を整えろ……」


先ほどの声の主がいつの間にかすぐそばに立っており、敵のほうを睨みつけたまま言った。

 正確な年齢は分からないが、自分よりも10歳以上は年上に見える。顔を見ようとすると少し見上げた形になる程度には身長差があるため、おそらく175センチメートル以上はありそうだ。黒のトレーニングウェアのようなものに身に着け、両手には赤い手甲鉤、いわゆる『かぎ爪』のようなものをはめていた。目つきの鋭さや、そのたたずまいから『黒ヒョウ』をほうふつとさせる、そんな男だった。


「5体は俺がなんとかしてやるから、残り1体はオマエが倒せ」

「えっ!? ちょっと待って……」


最後まで言い終わる前に、黒ヒョウは疾風のごとく駆け出した。彼の動きは素早く正確で、そして無駄がなかった。相手の隙を突いてかぎ爪による斬撃を繰り出しつつ、モルスからの攻撃を必要最低限の動きでかわして、すぐに反撃の態勢を整える。その一連の動きをまるでダンスの型のようになめらかに行なっている。

 一撃でモルスを仕留めているということは、彼もマキリスの使い手ということだ。動き自体は目で追えるし把握はできるものの、あのような身のこなしは、何年かかっても自分には真似できないような気がした。


「おい! そっちに1体行ったぞ!!」


 なかば黒ヒョウの動きに見とれてしまっていた自分に、その本人から怒号が飛んで来た。どうやら、あっという間に5体のモルスを片付けてしまったらしい。自分の前には槍を構えたモルスが接近している。敵の動きはそれほど早く感じないが、当たればケガをおってしまうため武器の存在は脅威だ。ぼくはタイミングをつかみかねて、こちらから仕掛けられずにいた。


「武器に気を取られ過ぎるな! 敵の動きは、ぼんやりと全体を見て把握しろ!!」


 少し離れた位置から黒ヒョウがアドバイスをしてきた。意外にも必死な表情をしているため、内心では「そんなに心配なら、残り1体も始末してくれればいいのに」と思っていた。

 ひとまず助言通りに動くためモルスから距離を取り、動きを観察してみた。すると、構えた槍を一度引いている動きが目に入った。瞬時に「突いてくる!」という次の動作を予見することができ、その突きを回避して剣を打ち込むことができた。


「やったぁ……」

「……ったく! ヒヤヒヤさせるなよ!!」


 ホッとしていたぼくの元へ、黒ヒョウが不愉快そうな表情を浮かべてやって来た。薄々感じていたことだが、この人はとてもガラの悪い人なんだろう。いい年をした大人がこんな風に威圧的にしゃべるなんて、きっと元々不良だったに違いない。


「何か言いたそうな顔だな……」

「……いえ、特になにも」


 そこまで言ってから、ふとフィリアの様子が気になり後方に目を向けると、ちょうど彼女と一緒に1人の男性がこちらに向かってくるところだった。彼がおそらくフィリアを守った盾の所有者なのだろう。つまりマキリスの持ち主が新たに2人増えたということだ。


「フィリア! 無事でよかった。怪我はなかった?」

「……ええ。大丈夫です。才佐くんもご無事で何よりです」


 心配していた気持ちが強く出てしまい、非常に近い距離で話しかけてしまったせいか、フィリアは困ったような表情を浮かべている。


「ごめん! ぼくが戦うことを勧めたから、キミを危険な目に……」

「謝らないでください……あれは2人で決めたことです」

「でもっ!」

「結果として……私たちは無事だったわけですし……」


 そう言ったあとに、フィリアは助けてくれた2人の男性を警戒するように見つめた。


「助けていただいたことには感謝します……ですが、あなたたちは何者ですか?」


 その言葉に驚いた。2人ともマキリスの持ち主だったので、てっきりフィリアの仲間だと思っていたからだ。しかもフィリアは右手を軽く開いて、いつでも短剣を取り出せる構えを取っている。場合によっては戦闘も辞さないつもりなのだろう。


「……不審に思われるのも無理はありませんが、そろそろ日没です。あちらで休息を取らせていただくことにしませんか? 話はそれからにしましょう」


 盾の男性は、ぼくたちの目的地である宿泊施設を指し示しながら、穏やかな口調で提案してきた。彼は黒ヒョウと同じぐらいの背丈だが、体重はもう少しありそうで全体的にがっしりとしている。いわゆる中年と呼ばれる年代だろうが、落ち着いた印象を受ける人物だ。

 フィリアは警戒を解かぬまま、ぼくのほうへ問いかけるような視線を送って来た。どうすべきか考えあぐねているように見える。正直、彼らが敵か味方かの判断できないが、ここで戦闘になったとしても、この2人に敵わないというのは理解できる。黒ヒョウはもちろん、盾の人に関しても、先ほどの動きを見る限り相当な実力者なのだろう。


「……そうしようよ。話をする必要はあると思うけど、ここでってワケにはいかないし」

「そう、ですね……わかりました」

 フィリアは構えを解いて同意してくれたが、表情を見る限り警戒は解いていない様子だ。


「それでは向かうとしましょうか……」


 話がまとまった判断したのか、盾の人がのんびりとした口調で歩き出す。こういう時に何か言ってきそうな黒ヒョウは、黙ったままフィリアをじっと見つめていた。


「……何か?」


 その視線に気づいたのか、フィリアのほうが鋭く反応した。


「……悪い、なんでもないんだ。気にしないでくれ」


 黒ヒョウは決まりが悪そうに顔をそらせて、急ぎ足で歩き出してしまった。もしかして、フィリアの美貌に見とれていたのだろうか? ガラも悪いし、若い女の子に目が無いなんてアブナイ人だ! 確かに信用できないかもしれない!! 内心でそう毒づいていたら、ちょうど振り返った彼と目が合ってしまった。

 射貫くような鋭い視線を受けて、ギョッとしていると「チッ」と舌打ちを返されてしまった。自分に対して特に態度が悪いのは気のせいだろうか……。

遠目でタワーマンションらしいと思っていた建物は近づくにつれて、よりそれらしい物であるのがわかった。ところどころ壊れてはいるものの、元々は鉄筋コンクリートのような材質で作られているようで、かなり頑丈そうに見える。異世界の科学技術は、ぼくらの世界よりも遅れているだろうと勝手に思い込んでいたが、この建物を見る限りそれほど差は感じなかった。

 中に入るとエントランスホールが広がっており、応接スペースのような場所にソファが見えた。あちこち破れてはいるようだが、4人が座るには十分なスペースがある。


「それでは、あちらで話すことにしましょう」


 盾の男性にうながされ、ぼくたちはそれぞれ腰を掛けた。フィリアのとなりにぼくが、ぼくの対面に黒ヒョウが、そのとなりに盾の人が座る形だ。


「……さて、まずはこちらの自己紹介からさせていただきましょうか」


ゴホンと咳ばらいをしてから、盾の人が語り出した。


「はじめまして、私の名前がアッシュ。そして彼が……」


 と黒ヒョウに振ると「……サイファーだ」と短く答えた。中年の盾の人が『アッシュ』で、爪を持った黒ヒョウが『サイファー』という名前らしい。


「あ、朝霧才佐です。先ほどは助けていただいて、ありがとうございました」

「……フィリア・レーギスと申します。私からも改めてお礼を、ありがとうございます」


 頭を下げながら名乗ったぼくたちのことを、向かいの2人は静かに見つめている。敵意は感じられないが、なんとなく居心地の悪さを感じるような不思議な視線だった。フィリアも同様の感想を持ったのかもしれない。若干、困惑したような表情を浮かべつつ切り出した。


「……まずは、あなたたちの目的を聞かせてください」

「キミたち2人を目的地まで護衛することです」


 答えたのはアッシュだった。


「……なぜ、そんなことを?」

「……リベルタスの人間に依頼されたからですよ」


 その回答を聞いた瞬間、フィリアがピクッと反応した。


「リベルタスって?」

「私が所属している組織の名前です……」


 誰に聞いたわけでもないようなぼくの疑問に、フィリアが正面を向いたまま答えてくれた。それが事実なのだとしたら、やはり2人はフィリアの仲間という認識で間違いないような気がするのだが、表情はさっきよりも警戒心を強くしているように見える。


「今回の任務に護衛がつくという話は聞いていませんが?」

「それについては、いずれ判明するかと……」

「……お二人が使用しているマキリス。それはどこで手に入れたものですか?」

「私も彼も以前適性が認められて、その時にいただきました」

「もらった? 誰にですか!?」

「今は……言えません」

「……それで納得できると思いますか!?」


 フィリアにしては珍しく感情的になっている。事情がわからないぼくがなにか言えるはずもなく、もう1人の関係者――サイファーのほうを見てみると、腕組みをして話のなりゆきを見守っており、口をはさむ様子はない。話し合いはアッシュに任せるつもりのようだ。


「リベルタスが保有しているマキリスは2点……私と才佐くんが使用しているもので、すべてのはずです……だから」

「我々2人は敵である可能性が高いと……?」


 続けようとした言葉をアッシュに先回りされてしまい、フィリアは「ええ」とだけ言った。しかし、これで合点がいった。フィリアが助けてくれた2人を警戒していた理由だ。


 彼女の話では、味方陣営にマキリスは2つしか存在しない。無いはずのマキリスを使っていたからこそ、目の前の2人を怪しんでいたというわけなのだろう。とはいえ、自分としてはこの世界に来て初めてあった人間だ。このまま険悪になるのは避けたい。


「……たとえばさ、フィリアがぼくに会いにきたあとに、マキリスを手に入れたとかは?」

「時間的に考えてそれはありえません……仮にそうだとしたら、彼らはマキリスを使い慣れすぎています」


 ぼくの挙げた可能性はあっさり否定されてしまった。だが、フィリアの言う通りだと思う。この2人はモルスとの戦いを何度も経験している、さっきの戦闘で見せたのは、そう思わせるような熟練の動きだった。


「……フィリアさん、我々の目的はあなたたちを無事に送り届けることだけです。すぐには信用できないかもしれませんが、しばらくは同行をお許しいただけませんか?」


 アッシュの雰囲気はあくまでも穏やかで、さとすような口調だった。敵かもしれないと疑われている状況で、よくこんなに冷静でいられるものだと感心してしまう。


「……少し考える時間をいただけませんか?」

「ええ、もちろんです……キミもそれで構いませんか?」

「えっ!? あ、はい……」


 自分のほうへ突然話を振られ、曖昧にうなずいてしまう。


「……さてと、それじゃあそろそろメシにでもするか。オマエちょっと手伝え」


 今まで沈黙を貫いていたサイファーが腰を上げつつ、ぶっきらぼうにぼくに言ってきた。


「それじゃあ、私も……」

「いいよ、疲れてるんだから座っとけって」


 サイファーは、立ち上がろうとするフィリアの肩をポンッと叩き制止する。


「あ、はい、すみません……ありがとうございます」


 かけられた声があまりにも優しかったせいか、フィリアもそれに応じておとなしく座ってしまう。ぼくは何とも言えないイラ立ち感じつつ、おとなしくサイファーのあとを追った。


 サイファーはエントランスホールにあるカウンターのような場所から、さらに奥に進んでいき、ある部屋へと入った。そこはいくつもの箱やビンなどが並んでいる、倉庫のような場所だった。

 ガサゴソとあたりを物色し目当てのものを見つけたかと思えば、後ろにいたぼくに次々と渡してくる。水の入ったペットボトルのようなもの、レトルト食品らしきパック、ビニールに包まれた乾燥したパンと思われる物体、早い話がどれも保存食のようなものだ。


「勝手に持ち出したりして、いいんですか?」

「いいんだよ、許可取る相手もいないしな。あの嬢ちゃんも、そうするつもりだったんだろ」


 ぼくのほうを振り向かずに答えた。嬢ちゃんというのはフィリアのことだろう。


「この建物について詳しいんですね」

「……いや、前に一度来たことあるだけだ」

「ここはいつから、こんな状態なんですかね……」

「……さあな、前に俺が来たときは、もうこんな感じだったな」


 ぶっきらぼうな口調は変わらないが、鋭い目つきを意識しなくて済む分、今のように顔を突き合わさない状態のほうが会話をしやすい。聞いたことには素直に答えてくれるため、ぼくのほうだけでなく、サイファーのほうもそう感じているのかもしれない。


「……この手の施設は、エントランスカウンターの裏側に備蓄用の倉庫があることが多い……念のため覚えておけよ」

「……はぁ、わかりました」

「とりあえず、こんなもんでいいだろう……」


 ぼくたちは水と食料をつめた段ボール箱を両手で持って、さきほど話し合いをしていたスペースへ戻って来た。フィリアは椅子にもたれかかるように深く座っており、そんな彼女をアッシュは心配そうに見つめていた。


「フィリアさん、食事は取れそうですか?」

「……ええ、大丈夫です」

「キツイだろうが、できるだけ食っといたほうがいい」


 箱から食料や水を取り出しながら、サイファーが優しく言い聞かせていた。アッシュはそうでもないが、サイファーのほうは、フィリアに対して露骨に格好をつけている気がする。彼女の好感度を上げようとしているのは間違いないだろう。やはりフィリア狙いなのだろうか?


「……変なこと考えてないで、オマエもとっとと食え!」

「変なことなんて考えていませんよ……」

「思いっきり顔に出てるんだよ!」


 そんな複雑な表情をしていた覚えはないのだが、空腹は感じていたのでとりあえずパンのようなものを手に取った。それは薄いビニール袋につつまれており、中身が確認できたというのが理由だ。なにせ他のものは、ラベルの貼っていないレトルトパックのようなものに包まれているため、何が入っているのかわからない。


 封を切りパンを口に入れてみて驚いた。ほのかな甘みと、しっとりとした触感で平たく言えば、とてもおいしかった。空腹分を差し引いたとしても、かなりのクオリティだと思う。自分たちの世界で言えば、ベーグルとバウムクーヘンの間のようなものだろうか。

 となりに座るフィリアの様子を見ると、おかゆのようなものを口に運んでいた。動作自体はゆっくりだが、たしかに食事はしているようで安心した。


「……アンタはあんまり食いすぎるなよな」


 サイファーがとなりに座るアッシュに、ボソッと忠告するようにつぶやいた。


「どうしてですか……?」

「昔に比べて、だいぶ太っただろう?」

「妻の食事がおいしくて、つい食べ過ぎてしまうのですよ」

「ったく……テキトーなこと言うなよな」


 サイファーとくらべると若干太めに見えるというだけで、アッシュ自身はぼくから見ても肥満とは言えない。仲間のオジサンの体型を気にするなんて、サイファーは変なところで細かい男だ。それよりも会話内容から察するに、2人はかなり前からの知り合いのような口ぶりだ。そのあたりについて聞いてみることにした。


「……えっと、おじさんたちの付き合いは長いんですか?」

「ちょっと待て! おじさん『たち』だと!? 今、俺を含めて言ったのか?」

「…う、うん。そうだけど……」

「俺はまだ二十代だ!」


 自分としては年上の男性に対して名前で呼ぶ習慣がなかったので、こういう呼び方になってしまっただけのことだが、サイファーの逆鱗に触れてしまったらしい。

そうは言っても「まだ二十代」とわざわざ断りを入れるということは、おそらく二十代の後半ということだろう。それは立派なおじさんなのではないだろうか? と思ったが、火に油をそそぐことになってしまいそうだったので黙っておいた。


「私はおじさんでも構いませんが、彼のことは『お兄さん』とでも呼んであげてください」

「気持ちワリーこと言ってんなよ!」


 アッシュがニヤニヤしながら提案した内容に、すかさずサイファーがツッコミを入れる。やはり彼らの会話はテンポよくかみ合っているようだった。


「……ケホッ、ゴホッ」


 となりでフィリアがむせているようなので心配になって見てみると、彼女は口に手を添えていた。吐き気をもよおしたのではないかと近づくと、小刻みに身体を震わせている。


「大丈夫っ!?」

「……へ、平気です。すみません、少しおかしかっただけで……」


ただ単に笑いをこらえているだけだった。どうせならそんな隠れるように笑わずに、正々堂々と笑ってくれればいいのに。敵かもしれない相手だから、笑いづらいのかもしれない。


「……それで我々の関係性についてでしたか?」

「あ、はい……」

「古くからの知り合いではありますが……先ほど久しぶりに再会した、という感じですね」

「それじゃあ、しばらく会っていなかったんですか?」


 放置されていた話題を引き継いだアッシュに、フィリアが反応した。


「……ええ、お互い遠くに住んでおりましたから」

「アッシュさんは、おいくつなんですか?」


 サイファーの歳はなんとなくわかったが、ぼくはアッシュの歳も知りたくなりたずねてみる。


「逆にいくつに見えますか~?」

「……気持ち悪いからヤメてくれよ」


 身体をくねらせながら聞き返す中年を、吐き捨てるように止めるギリギリ二十代の男。かなり失礼なことを言われているようだが、一向に怒り出す気配がないようなので、アッシュという男は想像以上に器が大きいのかもしれない。


「……ところで朝霧くん、私を呼ぶ時は『アッシュ』だけで構いませんよ」

「俺のほうも『サイファー』でいい……」

「でも、2人とも年上みたいだし、そういうわけにも……」

「キミからすれば、ここは異世界――まあ、外国のようなものですから。その場所の習慣に合わせると思って、そうしていただけませんか?」

「はい、わかりました……」


 自分としては多少抵抗があったが本人たちが希望している以上、それに合わせることにした。


「フィリアさんも、同じように接してください」

「……ええ、そうさせていただきます」


 自分の時は呼び方ひとつであんなに抵抗していた彼女が、やけにあっさりと引き下がった。まだ2人を味方として認めていないせいだろうか?

 ぼくたち4人はひとりきり食事を楽しんだ。最初に口にしたパン以外にも、カレーや煮物のような惣菜系も豊富にあり、味に関してはどれも文句がなかった……どころか、ぼくの世界にあったものよりも、おいしいものもあった。宇宙食や非常食を思わせる包装だったので味も期待していなかったが、うれしい誤算だ。


 そうこうしていると、次第にまぶたが重くなってくるのを感じた。緊張感が解けたところに、一気に腹をふくらませてしまったせいかもしれない。それは、ぼくだけでなくフィリアも同様だった。その気配を感じたのか、アッシュが声を掛けてきた。


「お二人とも……そろそろ休まれてはいかがですか?」

「そう、ですね……それでは才佐くん。部屋を探しましょう……」

「……ああ、うん」


 言われている意味はよくわからなかったが、頭がよく働かないので、フィリアに言われるままフラフラとついていくと、途中でアッシュがうしろから声をかけてきた。


「我々はしばらくここにいますから、何かあれば降りてきてくださいね~」


 エントランスホールを抜けると階段があった。フィリアがそこを登って行くようなので、ぼくもトボトボとついていく。2階にのぼったところで通路に出ると、そこにはホテルの廊下のような光景が広がっていた。同じデザインの扉が延々と並んでいるため、部屋の内装も同じなのだろう。かなり破損しているとはいえ、やはりここは元々、宿だったのかもしれない。


「……扉を開けて部屋の様子をのぞいてみてください……できるだけ無事な部屋を使用します」


 さっきフィリアが言っていたのは『使えそうな』部屋を探すという意味だった。ぼくたちは、二手に分かれて次々と扉を開けていく。ほとんど窓が壊れている部屋ばかりだったが、何度目のタイミングで比較的マシな部屋を探し当てることができた。


「フィリア~ちょっと来てくれないかな~」


 かなり遠くにいると思われる相手に向って声を上げる。とりあえず彼女には、この部屋を使って先に休んでもらおう。少し待つと、おぼつかない足どりでフィリアがやって来た。


「……どうかな、使えそう?」

「はい……問題ないと思います。この部屋にしましょう」

「よかった。それじゃあ、この部屋を使ってよ」

「ありがとうございます……奥のベッドは才佐くんが使ってください」

「わかった……って、え!? ぼくもこの部屋で寝るの?」

「はい……ベッドは2台とも無事ですし」

「で、でも、いいのかな? 同じ部屋でなんて……」

「……才佐くんの懸念点はわかりかねますが、防犯上の理由によるものです」


 おそらくフィリアが言いたいのは、外敵に対して自分たちが固まっていたほうが、対処しやすいとかそういうことなのだろう。もちろん自分が彼女に対して何かするつもりはないが、女の子である以上は別の意味での防犯に関しても意識してほしいものだ。

 とはいえ、身体は限界まで披露している。本音を言えばこれ以上、部屋探しに体力を使いたくはなかったので了承することにした。決してそれ以外の理由はない。


「じゃあ、奥のベッドは使わせてもらうよ……」

「……ええ、私は少し準備がありますので、先にお休みください」


 ぼくはベッドに向かってボフッっと倒れこんだ。マットレスは心地よい反発を返し、備えつけられていた掛け布団は羽毛のような軽さと温かさを与えてくれる。うっかりすると一瞬にして眠りに落ちてしまいそうだ。チラリと横を見ると、ベッドの上でフィリアがマキリスを使って何か操作をしているようだった。

 薄暗いところにいても、やはりフィリアはキレイだった。いつまでも眺めていたかったが、今は眠気に勝てそうにない。中学生男子の三大欲求とやらも、緊急時は優先順位が入れ替わってしまうのだろうと、そんなくだらないことを考えていたら意識が途切れてしまった――。

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