第3話 フィリアの生い立ち
テンションを上げてしばらく歩いていたが、さすがに疲れを感じるようになってきた。思えばこの世界に来てから歩き通しの上、ゾンビとの戦闘もこなしている。疲れないわけがない。
さらに疲労感を増している原因は体力的な問題だけではなく、一向に変わることのない景色によるところもあるだろう。行けども行けども、目に入ってくるのは荒れ地や廃墟など朽ち果てた風景ばかり。異世界といえば、ゲームやアニメからのイメージで自然豊かな世界を想像していただけに、そのギャップは大きかった。とはいえ、隣にいるフィリアが愚痴ひとつこぼさずに歩みを進めているので、うかつに弱音を吐くわけにもいかない。
日も少し傾いてきたようだ。無意識にポケットに入っているスマートフォンを取り出して時間を確かめてみた。デジタル時計は夕方4時をしめしていた。空模様からするとそれぐらいでもおかしくないだろうが、こちらの世界にとって正しい時間を指しているかは不明だった。
試しにゲームアプリをタップしてみるが、ネットワークエラーと表示されてしまい起動することができない。それもそうか、ここは異世界なのだ。
隣を歩くフィリアを見てみると、真っ直ぐに前を向いたまま黙々と歩いてはいるものの、自分と同様に……いや、それよりも疲労を感じているに見えた。さっきの戦闘でも息を切らしていたし、もしかしたらフィリアは体を動かすことがあまり得意ではないのかもしれない。
あと、どれぐらい歩かなければならないのか気になり、フィリアに尋ねてみることにした。
「目的地までは、あとどれぐらいかかるの?」
「最終的な目的地へはまだかなりありますので、今夜は宿泊施設を借りることになります」
「宿泊って……まさか2人で泊まるの!?」
「え、ええ。宿泊施設ですから……」
とてもバカみたいで不毛なやり取りだ。ぼくの必死な問い掛けに、いまいちピンと来ていない様子のフィリア。質問というのは、している側と、されている側が問題点を同じように捉えていないと、こうなってしまうのだろう。
もちろんフィリアがそういうつもりで言っていないのは理解しているが、誤解を招く言い方はよくないだろう。自分たちの間で価値観がズレているのは薄々感じていたことだが、この世界には貞操観念というものはないのだろうか……。
「……まあいいや。それでその施設まではどれぐらいあるの?」
「……あと1時間ぐらいは掛かると思います」
1時間。今のペースで歩けば3キロメートルといったところだろうか。まだかなりある。自分はなんとかなりそうだが、フィリアは大丈夫だろうか?
そんなことを考えていたら、珍しく彼女のほうから話題を振ってきた。
「才佐くんは体力があるんですね」
「そんなことないと思うけど……どうして?」
「こちらの世界に来てからかなり歩いていますが、それほど疲れているように見えません」
そういう彼女は見るからにつらそうだが、会話を続けようとしている。話をしているほうが気がまぎれるのかもしれない。
「……それに剣の扱いにも慣れていたようですし、運動が得意なんですか?」
「剣に関しては部活……学校で少し習っている程度だし、体力だって普通ぐらいだと思うよ」
謙遜しているような言い回しになってしまったが嘘ではない。学校で行なわれる体力測定でも平均ぐらいだし、所属している剣道部については部員が少ないのでレギュラーということになっているが、試合に勝ったことなどほとんどない。本音を言えば今もかなりしんどいがフィリアの手前、格好をつけて言い出すことができないだけだ。
「……ということは、やはり普通の人と比べて私が貧弱なのかもしれませんね」
フィリアは自嘲気味に笑った。気のせいか少し寂しそうに見える。
「キミは、その……女の子だしさ、まだ子供なんだから……仕方ないんじゃないかな」
もう少し気の利いたフォローは言えないものだろうか。自分の引き出しの無さに嫌になる。しどろもどろになりながらの言葉にフィリアはクスッと笑った。
「……私は人生で数えるほどしか、外を出歩いたことがありません」
「何か外出できない理由でもあったの?」
今、自分たちの世界を取り巻いている状況を真っ先に思い出す。この世界も何か目に見えない脅威にさらされているのだろうか?
「環境ではなく、私自身の問題ですが……」
懸念が伝わったわけではないだろうが、良くない可能性がひとつ消えて少しほっとした。
「……才佐くんは、ご両親のことはお嫌いですか?」
途中のやり取りがすっぽり抜け落ちたような、脈絡のない問いだった。
「……えっ、なんで?」
「ご自分の名前に対して、複雑な思いを抱いているようでしたので……」
なんでそんなことを訊くのだろう? という疑問を口にしたつもりだったが仕方がない。
「……名前負けしている自覚はあるけど、それに関しちゃデキが悪くて申し訳ないって気持ちのほうが強いかな。親とは……まあ特別仲が良いワケじゃないけど……別に嫌ってもないよ……ほら親ってそういうものじゃない?」
「よくわかりません。私には親がいませんので……」
「ご、ごめん! そんなつもりじゃ……」
「わかっていますよ。気にしないでください」
フィリアは何でもないように軽く微笑んだ。何かフォローをしたいところだが、地雷を踏んだばかりなので怖くて言葉が出て来ない。彼女のほうも黙っているようだが気分を害したというよりは、これからする話を整理して考え込んでいるように見えた。
「この髪の色、少し変わっていますよね……」
フィリアは指先で純白の前髪に少し触れながらつぶやいた。異世界人である以上、彼女の髪色が自分と異なっていても、そういうものだとしか考えていなかった。しかし、こういう言い回しをするということは、こちらの世界でも珍しい容姿なのかもしれない。
気の利いたあいづちも打てないぼくを気にした様子もなく、フィリアはひと呼吸おいた。
「……私はある目的のために、人工的に生み出された存在なんです」
フィリアの顔をまじまじと見てしまう。ただ、驚きはしたがどこか納得してしまう自分もいた。彼女の現実離れした雰囲気がそうさせたのだろう。
「つい最近まで自分が生まれた施設の中で暮らしていました。外出した経験がほとんどなかったのはそのせいなんです」
フィリアの年齢は不明だが、物心がついてから10年以上は経過しているはずだ。その間、ほとんど外に出られずにいたのを想像すると不憫でならない。
「……長い間、大変だったんだね」
「えっ? ……あっ、いえ面倒を見てくれる人達もいましたし、そこでの生活自体は悪いものではありませんでした」
気づかった言葉に一瞬だけ意外そうな顔してから、フィリアは答えた。
「……でも、少し安心したよ」
ぼくの言葉にフィリアは疑問を浮かべた表情を向けてくる。
「フィリアはそこで大切に育てられたってことでしょ?」
「ええ、そうですね……」
「……詳しい事情はよくわからないけど、ヒドイ扱いを受けていたんじゃなければよかったと思ってさ」
「……それは、私のことを気づかっていただいた、という意味で合っていますか?」
「うん、まあそうなるけど……」
事実ではあるけれど、その相手から改めて確認されてしまうと、なんとなくばつが悪い。
「……あなたは優しい人なんですね」
「別に普通だと思うよ……」
ほめてくれるのはありがたいが、例によってフィリアの表情は少し悲しそうだ。なんとなく気まずい空気になってしまったので、話題を変えようとした。
「……ところでさ、どうしてそんな話をしてくれたの?」
「才佐くんが、ご自身の話をしてくれましたから……そのお返しみたいなものです」
「ぼくの話なんて、そんな大層なものでもないけどね……」
実際その通りだ。フィリアのこれまでの人生に比べたら、先ほどの自分語りなど大した内容ではない。会ったばかりの女の子に向かって名前の由来を語り、おまけに自分のコンプレックスをカミングアウトしてしまうという醜態をさらした。改めて思い出しても恥ずかしくなる。
もちろん深刻さで話の価値が変わるわけではないだろうが、フィリアとボクとでは打ち明けた内容の天秤が、釣り合っていないような気がするのだ。
「いいえ、そんなことはありません」
ぼくの不安をよそに、フィリアはハッキリとボクの目を見て答えた。
「あなたがどういう人間なのかを知ることができて、よかったと思っています」
理由はなんであれ、彼女が自分に関心を持ってくれたことはうれしかった。
「こっちこそありがとう。話しにくいことを話してくれて……」
「すみません。自分の生い立ちについて他人に話したことなどなかったので、お聞き苦しいところがあったと思いますが……」
脈絡がなかったりところどころ無関係そうな話題は、フィリアなりに話のとっかかりを探していたのかもしれない。おそらく慣れないことをしようとして、ああなったのだろう。
「……ん? でもさ、フィリアは元々ぼくのこと知ってたんでしょ。だから会いに来たんじゃなかったっけ? ぼくの話なんて今さらって感じだったんじゃあ……」
「いえ、私が把握していたのはあなたの顔と名前、ぐらいのものでしたから……」
「ふ~ん、そうなんだ……」
「ええ、人間性については知らなかったので、とても参考になりました。それに想像していたよりも才佐くんが、その……友好的でしたし」
「ぼく、そんなに感じ悪そうに見えるかな……」
「……そろそろ見えてきました」
フィリアは目をそらして前方を向き直ってしまった。彼女に尋ねたつもりだったのにスルーされてしまったということは、暗に肯定という意味だろう。確かに自分は愛想が良いほうではないが、顔だけ見てとっつきにくそうだと思われていたのは軽くショックだ。救いがあるとすれば、フィリアが自分のことを『友好的』と思ってくれたことだろう。
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