首相経験者が襲われるということ

 以下、列伝形式で歴史を振り返る。



列伝


名前 伊藤博文

生没年 1841~1909

総理大臣として

    初代  1885年12月~1888年4月

    5代   1892年8月~1896年8月

    7代   1898年1月~ 1898年6月

    10代  1900年10月 ~1901年5月

死地 (現)中華人民共和国黒龍江省哈爾濱市 ハルビン駅

犯行者 安重根(1879~1910)

補足  暗殺時は枢密院議長。


※暗殺直前の伊藤博文の写真

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Ito_before_death.jpg



名前 原敬

生没年 1856~1921

総理大臣として

    19代 1918年9月 ~ 1921年11月

死地 (現)東京都千代田区 東京駅

犯行者 中岡艮一(1903~80)

補足  暗殺時、原は現職首相。

    中岡は出獄後満州に渡る。また、神戸でムスリム(イスラム教徒)となった。



名前 高橋是清

生没年 1854~1936

総理大臣として

    20代 1921年11月 ~ 1922年6月

死地  (現)東京都港区芝大門

犯行者 中橋基明中尉・中島莞爾少尉が襲撃部隊を指揮(二・二六事件)

補足  襲撃時、36代大蔵大臣(岡田内閣)。高橋は首相としてより、財政通として有名。




名前 犬養毅

生没年 1855~1932

総理大臣として 

    29代 1931年12月 ~ 1932年5月

死地  総理公邸

犯行者 三上卓海中尉ら海軍青年将校(五・一五事件)

補足  襲撃時、犬養は現職首相。   

    三上は1971年まで生存。五・一五事件に際しては、国民が実行犯の助命嘆願を行った。小山俊樹『五・一五事件――海軍青年将校たちの「昭和維新」 』(中央公論新社〈中公新書〉、2020年)に詳しい。



名前 斎藤実

生没年 1858~1936

総理大臣として

     30代 1932年5月~ 1934年7月

死地  東京府東京市四谷区

犯行者 坂井直中尉、高橋太郎少尉、麦屋清済少尉、安田優少尉が率いる襲撃部隊(二・二六事件)

補足  襲撃時、斎藤は内大臣。

    



 この他にも、1930年、浜口雄幸首相は東京駅で佐郷屋留雄に襲撃されて入院。幸い一命をとりとめ、翌年退院し、首相職を継続するが、野党の登壇要求に応じるなどの無理がたたり、間もなく辞任し、再び入院、八月に死去した。

 また、戦後、岸信介首相は1960年に太ももを刺されるなどした。岸は安倍晋三の祖父である。


 

 ここまででわかること。

 それは、首相経験者が襲撃されて命を落とすのは、二・二六事件(1936)で高橋是清、斎藤実元首相が亡くなって以来、86年ぶりだということ。


 しかも戦後にいたっては今回が初である。今が時代の転換点なのだろうか。


 山上容疑者は、政治信条による犯行ではないと言っているようだ。もしも本当に身内の宗教の問題がその根底にあるとするなら、非常に個人的な動機と言える。


 社会を変革する、政治を刷新する、革命を起こす、天皇の権限を侵害している、などといった、戦前の犯行者たちが(建前上であったとしても)語った動機とは大きく異なると言わざるを得ない。もちろん、黒幕がいるなどというつもりはないが、憲政史上最長の政権を実現した首相の死を検証する必要は、間違いなく存在している。


 安倍政権は、功罪相伴うものだった。外交では巧みな手腕を発揮した。一方、森友学園問題、アベノマスク問題(マスクが輸入できず、転売ヤーが溢れた当時の状況を考えれば、私自身は必ずしも失政だとは思いませんけども)など、見直しや解明が必要な問題も残った。しかしそれは命を奪うという形でなされてはいけないし、そもそもそれによっては達成されえないのであって、その点を誤解してはならないと思われる。

 しかし、容疑者の動機は政治信条によるものであり、謎は深まる。



 この事件に関して検証が必要だと感じたのは、他の先進国で首脳が暗殺されるという事態はここしばらく起こっていないためだ。

 先進国の定義は難しいものの、例えばG7(フランス、アメリカ合衆国、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ、欧州連合)をその指標とするなら、イタリアでは1978年にモーロ前首相が暗殺されているし、アメリカでは1963年にケネディ大統領が暗殺されているのが比較的直近の例である(首脳の暗殺例のみ)。

 G20に拡大しても、1978年に韓国で朴正煕大統領が、1975年にサウジアラビアのファイサル国王が暗殺されている例があるが、やはり20世紀の例である。

 首相経験者が容易に命を奪われてしまうということが、21世紀の先進諸国の中で、どれほど異常なことかがわかる。しかもその事件が起こったのは銃器を持つ人間が他国に比べて非常に限られている日本なのだ。


 これをもって日本の治安が悪化しているとするのはあまりに短絡的すぎる。しかし、日本の治安は絶対安全で、外国に行かない限り大丈夫とするのは、あまりにも楽観的に過ぎるといえるだろう。



―――――――――

 いずれにしても、くりかえしになるが、検証が必要です。また、大事件の時にあふれるデマをどれだけ無視できるか、都市伝説に惑わされないか、それに今後はかかっているといえるでしょう。

 そして最後に、仮にも十年近く日本という国を引っ張ってきたリーダーに敬意を表するとともに、その冥福を祈るばかりです。

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首相狙撃事件 蓬葉 yomoginoha @houtamiyasina

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