『蒼繁風水紋』

 豊穣の十月献舞の三十日、午前十時。

 レンナは一人、因果界の霊長砂漠にやってきた。

 砂漠化防止のため、風と水の修法陣、”蒼繁風水紋”を施す。

 場所はストルメント山脈ヘカテ山麓エレジー区上層。

 ウェンデスに願って、それまでの修法陣は解法してもらってある。

 固い地面に砂礫が混じる、かろうじて草が生えた場所に、オレンジのポンチョが翻る。

 昨日、約束通り母のアンジェラは一緒に買い物をして、たくさんの服や小物を買ってくれた。ポンチョは、そのうちの一つで、日焼けしないようにフードも付いた、母の心遣いだ。

 母の有り余るパワーに振り回されながらも、濃密で充実した時間を過ごしたレンナは、気力・体力ともに全開だった。


ストラト・ユラナス疾風の王! アクエリア・ネライダ水の記憶!」

「はい、ここに」

 すぐさま現れた二大精霊は、一体は青い髪をなびかせ仮面で目を覆った青年、一体は水影の貴婦人だった。

 レンナは二大精霊に命じた。

「風と水の精霊界に先触れを。十分後に力を開放します、とお伝えして」

「畏まりました」

 二大精霊はフッとその場から消えた。 

ソレール・ミリュー光の構築!」

 光の構築はオーロラ――ちょうどレースのカーテンのような姿をしていた。光によって、その土地のあるべき光景、つまり未来を映し出すことができる。

「蒼繫風水紋を描いて見せて。それから、この土地の未来も」

 すると、ソレール・ミリューは何本にも分かれて地面に広がった。

 翼を広げたような紋様と、緩やかな曲線が上下に左右から落ちる紋様が描かれている。

 そして、生い茂る小さな森が透けるように現れたのである。

 頷いて、レンナはソレール・ミリューに言った。

「ありがとう、もういいわ」

 これで選択が正しいことが証明された。

 時間だ。レンナは真東を向いた。

 風の精霊界は北東。水の精霊界は南東。

 手を差し伸べて、力の開放句を唱える。


「冥弧晩期 地から火に移る時 我は衝となる風と水を呼ばん 蒼水の月神 風の作り手よ 繁緑の月神 水の保ち手よ 我が呼びかけに応えたまえ」


 その呼びかけに、北東と南東より風と水の力が流入する。

 レンナの頭の中には、ストラト・ユラナスとアクエリア・ネライダが強風と激流を伴ってやってくる姿が映し出されていた。

 物質界を超越する力は、次元を軽々と飛び越える。

(来た……!)

 両手を広げたまま、膝を交差させて折り曲げ、身を屈めて礼を取る。

 その手に、瞳に、血の中に、風と水の真力が宿る。

 ゆっくりと立ち上がり、今度は真南を向く。


「我が両手に風の作り手 その紋たる風羽根をこれに」


 背中に翼があるが如く、両手を上にスイングさせて伸ばし、すうっと半円を描いて下ろす。


「我が両手に水の保ち手 その紋たる水時計をこれに」


 右手を斜め上で手のひらを下に、左手を斜め下で手のひらを上にして、緩やかに手のひらを返しながら上下運動を繰り返し、水平で止めて、手を胸の前で組む。

 

「蒼水と繁緑 合わせて蒼繫風水紋と成す この不毛の大地に広がり 力に充ちよ」


 両手を広げながら後ろに下がると、小さな蒼繫風水紋は、レンナの力の及ぶ限り大きくなった。

 それは当初の予定より、三倍の広さになっていた。

 風と水の力は、溶け合って光のように輝き続けた。

 レンナは急いで星紋の外に出る必要があった。

 神足でヘカテ山の麓にある古木の上から様子を見守る。

「……ちょっと大きかったみたい」

 チロッと舌を出す。

 これで砂漠化防止の第三段階は終了した。

 しかし、事態はこれだけに収まらなかった。

 同時刻、世界の五箇所に星紋が現れたのである。


 エスクリヌス北部、後悔の塔付近に、”宇豊地火紋うほうちかもん”が。

 ティアドロップ大海、マーメイドリーフ付近に、”落輝闇紋らっきあんもん”が。

 アルペンディー大山脈中央部の峰の一つ、シルキュイ山腹に”聖昇光紋せいしょうこうもん”が。

 そして、カピトリヌス西北、首都デウスに、六芒星が現れたのである。

 これらの星紋は地図上で並べると、円の軌道上に四分割された位置と、中央の配置。つまり十字形になっていた。


 これらを管理する場所では、上へ下への大騒ぎになった。

 修法者がおらず、なんの予告もなく現れた星紋が何なのか、情報を掴むのに東奔西走した。

 しかし、万世の占術師こと、ウェンデスの敷いた情報管制により、詳しい情報は掴めなかったのである。

中には、呪界法信奉者の陣地もあったから、万世の秘法側の奇襲攻撃か、と浮足立ちもしただろう。

 事態を把握していたのは、ウェンデスと降霊界の人々のみだった。


 修法者統括本部では、万世の占術師が万世の伝道師から報告を受けていた。

「ウェンデス様、降霊界から天窓の鍵を除く、六つの神器が消えたそうです」

 ウェンデスは意味深長に頷いた。

「……やはりそうか。運命のグランドクロスが地に下った。創世紀に記された、天変地異の前触れであろうな」

「では、万世の魔女の力を呼び水にして、神々が世界の危機を告げられたのですね」

「今こそ全世界が立ち上がる時じゃ。主要宮廷国統治者に連絡を。万世の秘法の総力を挙げて、来るべき大災害に備える」

「はい、直ちに。万世の魔女の処遇はいかがなさいますか?」

「しばらくは鳴りを潜めてもらうしかなかろうな。今回の件が発覚すれば、吊し上げられかねん。責は私が引き受ける」

「ではそのように致します」

「頼むぞ」

 万世の伝道師が部屋を出て行くと、ウェンデスは一人呟いた。

「ここで隠すにはあまりにも惜しいが、力を使うには時と心を培うことが必要だ。しばらく待つとしよう」

 ウェンデスもまた、世界のためにレンナを守る決意を固めた。

 終わろうとする今世に、光明を見い出したかのように。













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